Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

ナンダコレ!?

2006年06月30日 | Cafe Gallery

写真を加工して色を変えたわけではありません。正真正銘、“青いカエル”です。

今朝Tを幼稚園へ送っていくと、子供たちが手招きしながら“Tくんのおかーさんこれみてぇ”というので、“なになにー?”と水槽の中を覗いてビックリ!!!!
な、な、な、なんだこれーーーっ!!と、今年一番の衝撃を呈する母、若干一名。

この驚愕カエル、Tの幼稚園のお友達のおとうさんが土木作業中に見つけて、幼稚園に持ってきてくださったのだとか。でも、いったい、なんなんでしょうか、どうなってんでしょうか、このカエル。夜になり、未だ衝撃から立ち直れない店主でした。

…お、恐るべし、田舎ライフ。



アメヤ村の奇跡

2006年06月26日 | Gospel

これは、先々週の日曜日、国際飢餓対策機構の総主事・神田英輔師がお話くださった実話です。
この地上に、神のみわざを見ることができるとしたら、まさにこのようなことではないでしょうか。

1985年、神田師らがエチオピアの地で緊急食糧配給のご用に当たられていたときの話です。彼らの元に一人の男の人がへとへとになってたどり着きました。彼は近くのアメヤ村(現在のショア州チェハ)から、助けを求めてやってきたのでした。
とりあえずの食糧を積んで村へ案内された神田師は、ここで極限の状態に瀕している人々に出会います。
そこは、二年続きのかんばつにみまわれて、どの家の食糧も底をつき、穀物入れにはクモの巣が張っていました。村人たちは皆一ヶ月間食べ物をほとんど口にしていなかったのです。

村人の大半がイスラム教徒のこの村で、国際飢餓対策機構の働きが開始され、その後14年間、日本から入れ替わり立ち替わりスタッフが村を訪問して、彼らが自立できるまでのお手伝いをつづけました。
そしてその途上で、神田師が再びアメヤ村を訪問すると、はじめて訪問した時の村長だった人物が、うれしそうに彼に歩み寄り言ったそうです。“あなた方が来てくださる実に3日前、実は私たちは餓死を覚悟して皆で集まり、別れの儀式をしたのですよ。けれどもあなた方クリスチャンが間に合って助けに来てくれた。それで私たちの村は生きることができたのです”と…。イスラム教徒であった村長さんは、そのとき涙を流して、神田師との再会を喜んだそうです。
この時アメヤ村にあったキリスト教会は一つだけ。集う者はたったの5人でした。

そして2004年の11月、神田師は再びこの村を訪れる機会に出会いました。たった一つだけのその小さな教会に礼拝説教に招かれた師は、驚きと感謝に満たされました。たった5人だったその教会が、なんと600人の会員を擁するまでになっていたのです。それだけではありません。教会の牧師曰く、本当は村の他の教会とも連携してみんなで神田師を歓迎する予定だったけれど、神田先生が体調不十分だそうなので取りやめにした…とのこと…。“なんですって?この村に、ほかにまだ教会があるというのですか?”驚いてそう訊く神田師に、牧師は笑って言ったそうです。“はい、35あります。”

村人のほとんどがイスラム教だったアメヤ村。それが、こんな短期間でクリスチャンの村に生まれ変わってしまった。これはどうしたことか。

神田師は、このことの背後にある理由を聞いて大いに励まされたといいます。
以前彼らがイスラム教徒であった時に、教えられて信じられていたのは“神はアメヤ村に怒っておられる。アメヤ村は呪われた村であるから、この土地は飢餓になった。アメヤの人々は呪われた民だから、餓死していく運命なのだ、仕方がないのだ”…というものだったそうです。このことはどんなに村の人々に生きる希望を失わせていたことでしょう。
しかし、支援に来たクリスチャンたちから彼らが聞いたメッセージはまったく逆のものでした。聖書の神は、アメヤ村の一人ひとりを愛しておられる。呪っているのではなく、生きて欲しいと思っておられる。神はアメヤの土地を呪うお方ではなく、祝福するお方だと…。
このメッセージはアメヤの人々に希望をもたらしました。彼らはそれを信じました。そして村は立ち直り、見事に自立を果たしました。イエスの福音を信じる信仰が、アメヤ村を救ったのです。

年老いた元村長は足を引きずりながらも誇らしげに、再び村を訪れた神田師を彼らの畑に案内しました。そこには彼らの主食の穀物が、豊かに実って風に揺れていたとのこと…。



駆け込み署名 月曜9時まで

2006年06月25日 | Blackboard

あまりに多くの署名の為、ネット署名の期限が26日午前9時に延びました。駆け込み署名OKです!

23日付けで署名者数が21万人に達したそうです。当初の目標の10万人を倍以上上回ったとのこと。最終的にどのくらいになるのでしょうね。

呼吸器リハビリの打ち切りまであと4日。この日数制限撤廃要請の署名は、まとまり次第厚生労働省に提出されます。

ご協力くださった皆さん、感謝します!今後とも私たちのこの声が最善の結果に出会えるよう、共にお祈りいただければ幸いです。

   リハビリテーション医療打ち切りに反対する署名活動 http://www.craseed.net/



まだ間に合う!今日中に!

2006年06月23日 | Blackboard
     リハビリテーション医療打ち切りに反対する署名活動 http://www.craseed.net/

ニュースでおおきく取り上げられているというわけではないので、このことをよく知らないという方も多いと思います。(かくいう私もしらなかった)
今回署名を募っているのは、今年4月から疾患別にリハビリの日数制限が設けられ、最大180日でリハビリ医療が打ち切られることになった、というとても理不尽な制度に反対するものです。

今は皆さんも、皆さんのご家族も元気で健康に過ごしておられることと思いますが、たとえばもしも、あなたもしくはあなたの家族が脳梗塞や脳卒中などで倒れ、一命は取り留めたとします。もしくは子供が交通事故にあって大怪我をした場合もです。そんな時、長期のリハビリが必要になっても、日数だけでリハビリが機械的に打ち切られてしまうということです。

今リハビリを必要としている人たちはもちろん、自分の親が、子供が、大切な人が(もちろん自分自身も)、いつでもその立場におかれる可能性があるのです。その時に、その制度でいいんですか?・・・ということを問われている気がしてなりません。
署名の締め切りを前に、ふたたびこのことをトップに掲載するのは、2児の母としてこの件について、できる限りの声を上げていかねばならないと思うからです。みなさんの中にはもうおとうさん、おかあさんの方も多いと思います。将来自分の親が、そして自分自身が受けるかもしれない医療、自分の子供たちが育っていく国の医療の制度。誰にとっても、決して他人事ではありません。

署名をしにいったら、そう思っている人がものすごくいっぱいいて、署名はどんどん増えているようです。ネットで公開されているだけでも一時間に100単位で増えているみたい。
そして署名をしておられる方々のコメント(掲載はほんの一部ですが)を読むと、さらにその切実さがわかります。たとえば小児マヒの子供は、何年もかかるリハビリを続けられるかどうかによって、その一生が劇的に違うそうです。そんな重大なリハビリの必要も、打ち切られてしまうのです。

署名はせずとも、ぜひこの現状を知っていただきたいと思います。

※みなさんのpcに悪影響を及ぼす悪質なサイトではありません。実に懇切丁寧でわかりやすく、プライバシーの保護についても注意を払ってくれています。




24日までに!

2006年06月20日 | Blackboard

デッドラインは明日!
下記URLより署名可能です。
http://www.craseed.net/

無二の親友akiちゃんから、こんな呼びかけが届きました。
これを読んでご賛同願える方、こんなのおかしい!と思われた方、どうぞ署名をお願いいたします。
店主も今行ってきました。

以下、akiちゃんのブログより拝借してきました。どうぞよろしく

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NHKで見た時にはよくわかりませんでした。「リハビリテーション医療の打ち切り」がどういうことか。3月31日以前に発症した人も4月1日発症とされて、そこから数えた日数までしか、リハビリテーションを保険で受けられない??? んんん? その制限日が目前???

 2006年4月から始まった「障害者支援自立法」がこの縛りを与えたらしい。この法律、障碍の種類の間・地域の間に格差の無い支援を、という意味で作られた聞こえの良い法律ですが、その実体は。(実は「障碍」の中に、難病や発達障碍者などを含んでいないなど、問題が指摘されてもいて、3年後に見直す、という付帯付きで成立した法律なのです。) 「自立」という聞こえの良い名目で、実は昨今の福祉施策は、公金支出を抑えることを優先させて、後付けで福祉理念との合致をみているようなところがあるんです。

 そして今、どうして本当の「支援」や「自立」に反比例するような「打ち切り」を? もちろん、昔、「リハビリ」と称して保護的・永続的な施設内入所の措置に遭ってきた方達の権利を保護する意味で、1982年の国連「障害者に関する世界行動計画」では、リハビリテーションとは「時間を限定したプロセスである」と示されました。でも、それは、当時の社会の反省を受けて利用者の権利を守るために書かれたもの。今それをいい口実とばかりに、必要なリハビリテーションまでがカットされるとしたら、なんと本末転倒なのかと思います。
 
呼吸器リハビリの方のリハビリ打ち切りまで、あと4日だそうです。

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4ヶ月のR

2006年06月18日 | Anniversary
20日で満四ヶ月をむかえるR。
母がよく「三ヶ月間は“寝っ子垂れっ子よね”(つまり寝て垂れ流してるだけってこと…)」というのですが、本当に。3ヶ月目を境に著しく成長を遂げたように見受けられます。
Tの時の教訓ですが、子供の成長は過ぎると忘れてしまうものですね(そんな親は私だけか)。
過ぎさせてしまうのは少々もったいないので、4ヶ月を迎えるRを少し書き残しておくことにしよう。

首がしっかりとすわり、固めの場所に寝かせると、時間はかかるも自分でひっくり返るようになったR(でもまだ下になるほうの腕が自分で抜けないので“寝返り完了”とは言えないかな…)。
動くものを目で追い、母親(おっぱいをくれるひと)を見分けているらしい。首を動かして目で追いかけてくれる。出て行ってもまだ泣くことはないけれど、その「おっぱいをくれるひと」が入ってくると明らかにうれしいらしく、手足をばたつかせて喜んでいるしぐさを示します。そしてあやすと“にぱー”っと満面の笑み。この、“にぱー”というのが適切な表現かと思われます。さらにこちらが声を出して笑えば、まねして声を立てて笑う…こんな協調性も、もう備わっているのですね…。
触れるものを積極的に握るその力もかなり強く、人差し指を握らせるとうっ血させられそうなほど(笑)熱く握ってくれます。ごきげんでテンションの高いときはドンドンと音がするほど足を鳴らして、見ていたTに「Rくんの踊りが実にお見事だから…」と言わしめるほど。
ふだんは穏やかなRも、こんなときはかのブラジル・セレソンのような、かのリオのカーニバル集団のような?熱ーい一面を垣間見せてくれます(笑)。
そのほかにも手の指を胸の前で絡めて遊んだり、おしりをもちあげて足先を絡めたり、色々始まりました。喃語(なんご)もはじまったご様子。だいたい「あっくっぷー」みたいな発音がお得意です。

Tのときには結局好まずに使わなかったおしゃぶりというものを、Rはどうやらお好みで、眠たくなったときに与えると絵に描いたようにすっと寝てしまいます。
おかげさまで夜泣きもなく、夜中の授乳は一回ペース。朝は5時ごろ起きて飲み、すっきり用を足してしばらくごきげんでひとり遊んでいますが、しばらくするとまたひとりで眠りに落ち、Tの保育園の準備であわただしくしている間はたいていよく眠ってくれている。送って帰ってきて、ほっとして一杯お茶を飲む時間までくれたりする。親孝行で育てやすい“実にお見事な”R。
眉毛も生え、次第に顔がはっきり…一時期ずいぶんと頭の産毛が抜け、産まれたときより毛が薄くなりましたが、これもまたふさふさと生え始め、子供の髪の毛に生え変わっているようです。
私たちが何か食べていると、時折じっと口元を見つめているので、そろそろ離乳食への興味が湧いてきたものと思われます…。

                      

個性が光りはじめたそんな愉快なある日、すっかり顔なじみになった宅急便のお兄さんが届けてくれたのは、あのsunnydaysの包み。…どきどきしながら開いてみると、こんな素敵なフレームが…!
サイトウミキさんのワイヤークラフト。sunnyにいつも飾られていて、いいなぁ、素敵だなぁと思いつつ、なかなか手が出せなかったオーダーメイドの一点もの。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、送ってくださったsunnyの店主・あっちゃんとカフェの大将あつしさん…。間近で手にしてみると今まで思っていたよりもっともっと素敵…!
こんな素敵なサプライズ…どこに飾っていいものか、フレーム持って家の中をウロウロ…
今なおうれしく思案中…!




感動産業

2006年06月15日 | Guest Book

ここ安心院町には、毎年学生さんたちが“田舎”を体験しにやってきます。
たいていは北九州あたりの中学校ですが、なかには大阪や関東のほうからも修学旅行をかねてやってきてくれる学校もあります。

今年は三十数校、延べ600人以上の学生さんたちがこの小さな農村を訪れます。一学年全部がバスで到着し、いくつもの受け入れ農家に分宿、行った先で農村の生活を体験するのです。稲作農家では田植えのお手伝い、ぶどう農家ではぶどうの木の手入れなど…滞在中に彼らは、ふだん体験できないことに触れていきます。

都会に住む子供たちは、日常自分たちが食べているお米や野菜がどのようにして作られるのかをなかなか知る機会がありません。また核家族化が進んだ今の時代、両親が共働きで家庭のぬくもりを感じることができない子供たちも多くいます。家族揃った食卓につけない子や、ふだん朝ごはんを食べない子たち。親が忙しく、家庭での当たり前の教育を子供たちに施さないために、最低限知っていなければならない人間同士のルールのわからない子供もたくさんいます。そんな子供たちに、食物ができる過程での苦労を知り、農家の、おじいちゃんから子供までいる大家族の中に入って、家庭のぬくもりや共に過ごす大切さを知って欲しい…“農村体験”には先生や父兄たちのそんな思いがこめられているようです。
                  


我が家も、今年もたくさんの学生さんをお迎えしています。週に一度、2泊3日でやってくるおにいちゃんおねえちゃんにtomaも大喜びです。
今日も4人の女の子たちが我が家にお泊り。我が家は農家ではないため、くたびれるほどの農作業はありませんが、それでも家庭菜園でできた野菜を収穫したり、母がハーブ講座を開いたり…そして父が近くの滝へお連れすると、みんなはしゃいで滝つぼまで行って、びしょぬれになって帰ってきます。お風呂は近所のひなびた温泉へ。都会の子供たちがおじいちゃんおばあちゃんのはいる地元の温泉に入るのは、これまた貴重な体験で、公共の場で過ごすときのルールを学ぶ機会になります。時にはマナー違反で叱られることも…。でも、そんなことが案外忘れられない思い出になったりして。

そんな風にして家族のように受け入れられた子供たちは、“別れの朝”にはみんな涙涙です。滞在中ずっと押し黙っているので、“楽しくないのかなぁ”とこちらも心配して気を遣ったりする子も、あとで宿帳を読むと“超楽しかったですっっ”なんて書いてくれてある(笑)。思春期の子供たちの心はなかなか読めないけれど、それでも、なんというか、やりがいを感じるこのプログラムです。
息子さんの滞在を機にメールをくださったお母さんと、すっかり“メル友”になってしまったりして…
(ね、shinobuさん!)

           

泊まるほうにも泊めるほうにも思わぬ感動があるので、私たちはこのプログラムを“感動産業”と呼んでいます。



HANA-BI

2006年06月15日 | Season's Special

 子供たちが一番喜ぶのが、花火。夏にはちょっと早いけど、我が家では滞在の最後の夜にみんなで花火をします。この最後のイベントのころには、実はわたしたちスタッフ(家族)はもうかなりヘトヘトなのだけど、これだけは欠かさずやることにしています。みんなでやったこの花火の思い出を、一緒に持って帰ってほしいから…。

            




国際飢餓対策機構

2006年06月11日 | Gospel

1996年の誕生日、神は私にtvopというゴスペルクワイヤーとの出会いをくださいました。以来10年間、ゴスペルを歌う中で、神はキリスト者としての私を育んできてくださったように思います。

そして今年の誕生日の時期、またひとつの大きな出会いが神から与えられました。“国際飢餓対策機構”という団体との出会いです。今日私たちの小さな教会に、この団体の日本での開発・教育部門の総主事を勤めておられる神田英輔師がお越しくださいました。

神田師はそのあたたかな笑顔に、生き生きとした天来の力を感じさせる方でした。神の力とご栄光に照らされているような輝きを持つ方でした。誰でも持つことができるわけではない、あのお方の香りを放つ方でした。

神田師が私たちの元に届けてくださった現実は、神からの圧倒的な呼びかけをもって私の心に突き刺さりました。師が見せてくださった7分間の映像に、私が必要とする全てのメッセージがありました。それは飢え渇く大地で、母親の出ない乳を吸う痩せた子供。tomaと同い年にもかかわらずrioほどしか体重がない、栄養不足で背骨が曲がってしまった子供。一日たった五円のミルクが買えなかったばかりに死にゆく子供。そしてその、死の前の最後の痙攣がはじまったわが子を前に、なすすべもなくただじっと看取る若い母親…。

地球の裏側にそのような子供たちがいることは、もちろん前から知っていました。
彼らの映像を見るたびに心が痛んだことも確かでした。けれども今日のその7分間の映像との出会いは、今までのどんな悲惨な光景とも違っていました。乳飲み子を抱えた今でなければ感じることのできないものを、神は私に投げかけられました。
出ない自分の乳をけなげに吸い続けるわが子を見つめるあの母の心境を思ったとき、授乳期の母親である私は胸がえぐられる思いがしました。そのおなかをすかせたわが子に、代わりに与えて空腹を満たしてやれるものがないその絶望的な悲しみを思ったとき、ただただ涙がこみ上げました。

このブログに来てくださっている皆さんは、私たちが有形無形にどれほど恵まれ満たされているかを知ってくださっていることと思います。rioの誕生に際して私たちが皆さんから受けたものの豊かさ、それだけをとってもごらんの通りです。
私たち親子は、日々これでもかと言うほど満たされ、神からも人からもいただく愛はあふれんばかりです。母の肥沃な畑は、今日も美しい花とおいしい作物であふれています。
これほどまでに神は“押入れ、ゆすりいれ、秤をよくして”私たち親子に祝福を注いでくださった。
でも、それはなぜ。
私たちが優れているから?私たちがなにか偉いことをしたから?
…いいえ、けっしてそうではない。

傷つき渇いた私たちの心をコップに例えると、割れを修復されて癒され、神の愛を注がれて注がれて、その愛がいっぱいになりふちからこぼれるようになった時、私たちははじめて、喜んで自分のためではない生き方ができるようになると思います。それまでは“与えるより受ける”生き方しかできない。またそこを通らなければ、“受けるより与える”者になれないような気がします。今までの私の歩みが、まさにそれでした。
キリスト者となって10年余りが経ち、やっと“受けるより与えるほうが幸いだ”というみことばが腑に落ちるようになって間もない、今日の国際飢餓対策機構との出会い。新たなるレベルで新たなる神からのチャレンジをいただいたという静かな確信に心が奮い立ちました。

“女・子供”である私たちにできることは、多くないかもしれません。幼子や乳飲み子を餓えさせて地球の裏側に心を向けることは、今の私の分を超えます。けれども神がご自身の民に言われたこと…“収穫の時に畑の隅まで刈り尽さず、収穫後の落穂を貧しい者や寄留者のために残しておくこと”…そのことは実践することができそうな気がします。財布の中の一円玉や五円玉を落穂だと思って貯めるだけで、一日五円のミルクで生きられる子供が幾人もいるとは、なんと大いなる励ましではありませんか。

“この中のもっとも小さな者にしたことは、わたしにしたことなのである”という主の言葉にしたがって、主に仕えるように餓えた国の人々に仕える国際飢餓対策機構。偽善でも、自己満足でも、感傷的な同情の行為でもない、はたまたヒューマニズムとも一線を画する彼らのやり方は、移りゆくこの世にあってまるで揺るがぬ堅固な土台をすえた城のようです。

募金をしても彼らの政府を肥やすだけだとあきらめていた時代は終わりました。彼らの餓えは癒されない、彼らの大地は呪われているという嘘に惑わされる日々は過ぎました。少なくとも私の中では。
これからは、信じ、祈り、期待します。かつてこの私を闇から引き上げられた、あのお方にできないことは、何一つないのですから。

   小さな私たちの群れに、今日良き知らせと新しいチャレンジを届けてくださった神田先生、
                    本当にありがとうございました!

                  国際飢餓対策機構 http://jifh.fhi.net/



和スイーツ2種

2006年06月10日 | Cafe Sweets

         九州は一昨日入梅、関東も昨日梅雨入りしたようですね。
雨の日、家の中にいると、なんだか水族館にいるような気分になります。特に梅雨時は、緑が雨に映えて心が潤います。確かにじめじめする季節だけれど、雨の季節、決して嫌いでない私です。

家の中でのんびり。。ちょっぴり甘いものが恋しくなりました・・・
BSでやっていた横浜の開港記念日にちなんだ番組を録画で見ていたら、湘南あたりの海岸がうつりました。そういえば・・・と、少し前に横浜の友人(といっても母ほど歳の離れた友人ですが)が送ってくれた鎌倉の鳩サブレやさんの落雁を思い出し…。白いんげんの風味がやさしい逸品です。

そしてこれはもう食べてなくなってしまったけれど、ちょっと前に叔父が東北から送ってくれた最中。
我が家で仙台といえば・・・、の“白松がモナカ”です。
宅急便で届いた箱を開いてすぐに、母、トウマ、私でひとつずついただきました。
普通の最中とひと味もふた味も違う感じ。餡が上品でちょうど良い甘さで、素材が良いのがよく分かります。Tもあっという間にペロッとひとつ平らげて、もうひとつ食べたい、というので、また午後のお茶でね、と言って置きました…。

            

梅雨空にはこんな上品な和スイーツがほんの少しあるとちょうど良い感じ。時には和菓子と一緒に、
お薄を立てていただく心の余裕などあるとなおよろし。




Pearls

2006年06月09日 | Anniversary

           わたくしごとで恐縮ですが、36回目の誕生日がきました。

今朝起きて、母から“おはよう、お誕生日おめでとう”と言われ、初めて、あ、そうか、と気づきました。去年ぐらいまでは、自分の誕生日をちゃんと意識していた気がしますが…今年は忘れていました。
子供の世話や色々な行事のスケジュールに追われていて、最近なんだか毎日が飛ぶように過ぎるものですから…。
もうこの歳だからでしょうか(笑)、自分の誕生日を“特別な日だわ”とわくわくしなくなりました。
別段うれしくもなく、かといって嫌でもないけれど、この日の重みが他の日のものとあまり変わらなくなっていることを、面白いなと感じています。

子供の頃と違い、誕生日でなくても必要なものや欲しいものは自分で判断してお金を出して買うようになった今、誕生日だからといって特別にお金をかけて欲しいものなどなくなりました。
しいて欲しいものといえば、愛するものたちへの神の守り、そして今日一日を生き抜くための神からの助言…といったところで、それは自分の誕生日でなくても日々求めているものだから、これまた今日特別に求める、といったものでもなく。誕生日でもそうでなくても、分け隔てなく守られて恵まれているという平安の中に置かれている…今日は、そんな幸せな人生の中の一日にすぎません。

けれども神様は本当によくした方で…今朝一番に、“特にこれをお前の誕生日に”と、こんなプレゼントをくださいました。少なくともむこう一年の重要な指針、へたをしたら今後の人生で、座右の銘としたい言葉になるかもしれません。

“10セントの苛立ちのために1,000ドル使うのはよしなさい”

F-mariが以前誕生日にくださったパールのネックレス。六月の誕生石を知ってプレゼントしてくれたのでしょうか…。私の大事な宝物です。そんなパールの輝きのように尊い今朝のみ言葉を添付します。

この日、特別に欲しいものはないけれど、私を産み育ててくれ、36回目の誕生日に朝一番で庭に咲いた花で花束を作り、このみ言葉のページと一緒にわたしてくれた母の存在に、今朝、特別の感謝をささげたいと思います。



June 9th,In The Upper Room

2006年06月09日 | Gospel

                   聖書・マタイ福音書 5:38-42

 “だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。”(マタイ福音書5:39)

私たちは、このイエスの言葉を肉体的な攻撃と結びつけがちですが、イエスは感情的な面での攻撃に対しても言われたのだと私は信じています。しかし、このイエスの忠告は、私たちの今の文化の中で目にするものとは相入れないのではないでしょうか。攻撃されたら反撃する人々を見たことはありませんか。あるいは、打たれる前に相手をやっつけようとする場合もあります。また人々は、いつなんどき戦う羽目になるか知れないというので、防御の構えでいることもあります。落ち着きと平和な静かな声で語るよりも、攻撃を仕掛けるほうがやさしいのです。
 イエスは、憎しみを消散させるための、もっと安定した、自信のある方法を私たちに提供しておられます。私たちを不当に扱う人々に対して、思いやりと落ち着きを持って応えると、その人たちの怒りは和らげられるのです。憎しみや怒りをもって応えると、火に油を注ぎ、頑なな心を助長させてしまいます。
 わたしの母はこう言っています。「10セントの苛立ちのために1,000ドル使うのはよしなさい」
なんと貴重な助言でしょうか。
時には些細なことに感情の全てを注ぎ込みたくなりますが、そうすると、キリストの愛を人々に示す力が残らないのです。しかし、怒りと憎しみの方向を変えることは可能です。私たちは苛立ちをクリスチャンとしての物の見方に変え、キリストの平和に私たちの心を支配していただくことができるのです。

祈祷: 神様、憎しみには愛で、そして攻撃にはあなたの平和な穏やかな声で対応するようお教えく
     ださい。アーメン。

今日の黙想: どうすれば今日、キリストの愛を人々に示すことができるでしょうか。
                                       トミー・ヴァン(テネシー州)

祈祷の焦点: 国と国の間が平和になるために。




昆虫記

2006年06月06日 | Guest Book

毎年この時期の、日没後のほんのわずかな時間、家の前の川にホタルが幻想的に飛び交います。
今までテントウムシすらもさわれなかったTの手に、捕まえたホタルをのせてあげると、Tは自分の手の中で点滅する黄緑色の光を見つめてうれしそうに笑いました。

一昨日、我が家の網戸に訪れたのは、世にも大きなカミキリ虫。
畑でしょっちゅう虫を見ている母も、こんなに大きなカミキリ虫を見たのは初めてだとか。胴体だけでも大人の人差し指ぐらいの全長がありました。その名のとおり口にはなんでも噛み切ってしまいそうなハサミ、背中にはきれいな黄色い模様がついていました。

都会ではまず見かけないであろうこんなお客にも、ここではすぐ目の前で出会うことができます。

もちろん、出会うのはこんな素敵な虫たちばかりではありません。階段の下で手のひらサイズの家グモに遭遇することもあれば、寝ている部屋の天井からムカデが落ちてくることも…!(恐) 
TがちょうどRぐらいのとき、とても暑い熱帯夜に起きて授乳していたら、寝ぼけまなこの視界の隅に、上からツーッと下りてくる小さな黒い点あり。“?”と思い見回すと、あそこにもここにも“ツーッ”。はっとして上を見上げると、なんと天井いっぱいに、部屋の隅にできた卵巣からかえったばかりのクモの赤ちゃんが、文字通り“クモの子を散らしたように”無数にちらばっているではありませんか!
…あのときの恐怖は、それほど虫を苦手としない私でも、筆舌に尽くしがたいものがあります。

自然が豊かということは、そういうことも含めてなのですね。そう、でもそれを含めて、あえて言いましょう。“viva!田舎!”(ちょーっと無理があるけれど… )

                       



横浜開港記念日

2006年06月02日 | Cafe Sweets

生まれ育った街、横浜。今は遠く離れているけれど、ここからずいぶんいろんなところに旅立ってみたけれど、必ずこの街に帰ってきた。色んな街を見たから言える。私にとっていつでも一番の街、横浜。

今日はそんな横浜の開港記念日。遠くから、心から、おめでとう。

   横浜中華街の老舗・華正楼の中華菓子 § selected by Naomi&Susumu §