もう2ケ月半も前のこのことを、本当はもっと早くここに綴りたいと思っていました。
が、ふさわしい画像が見つからなくて、記事にできないまま夏がきて、そうこうするうちばたばたと夏休みになだれ込んでしまいました。。。
今日、友人のブログにこの写真があるのを見つけ、くすねてきてしまいました。(あっちゃんごめんね!勝手にもらっちゃったよ)
これは、今年の6月12日に行われた『多摩ラブフェローシップ・ゴスペルクワイヤ&多摩リバーサイド・ゴスペルクワイヤ』の10周年コンサートの時のショット。
この川崎の地に嫁いで来て、右も左も分からなかったこの地で、古くからのゴスペルの友がゴスペルクワイヤーをやっていたということだけでも、いま考えてみれば本当に奇跡としか言いようがなく…それが『多摩リバーサイド・ゴスペルクワイヤ(通称・たまリバ)』でした。
乳飲み子をかかえた子育て真っ最中ということもあり、いつでも自由に参加できたわけではなかったけれど、『たまリバ』は、当時の私には、異国で再会した旧友のような存在で、大きな心の支えになってくれていました。
やがて、『たまリバ』が『たまラブ(多摩ラブフェローシップ・ゴスペルクワイヤ)』に移行するときが訪れ、リーダーが替わり、雰囲気が変わり、メンバーが変わっていき…『リバ』のメンバーたちは、卒業するようなかっこうで、変化を迎えていきました。
今回、その『リバ』『ラブ』を通じて10周年を迎えるにあたり、いつもリハーサルをしている市民館の大ホールを借り、記念のコンサートを開くことになったのです。
『リバ』にとっては『リユニオン』というカタチでの、復活ステージです。
現役の『ラブ』と違い、何年もずっと歌っていなかった仲間たちが、このコンサートのために集まり、一ヶ月前からの練習でみごとな復活を遂げました。
私は『リバ』『ラブ』のどちらにも属していたことがありますが、今回は練習日の都合と大分にいたときからのブランクもあり、『リバ』のメンバーとして参加させていただきました。
…余談ですが、このGabbie's Cafeを開店した時、私はまさにこのクワイヤでの活動を断腸の思いで辞め、大分の地に移る時でした。
あまりに辛かったので、当時の記事にはそのことは何も書いていなかったけれど、思えば、そのクワイヤとの別れの辛さを紛らわしてくれたのが、このブログだったなぁと思います。
だからこのブログの開設からの日数が、すなわち私のクワイヤでのブランクの日数。…そう思うと、今こうして自分がこのブログを、この地で綴っているということが、実はものすごい奇跡なのだ、恵みなのだと分かります。
『たまリバ』とともに、私のゴスペルライフも奇跡の復活を遂げた気分。このコンサートがなかったら、たぶんいつまでも歌い始めるきっかけを捕らえられずにいたことでしょう。
本当に、私にとっては特別なスイート10のコンサートとなりました。
…そして、先週。
その時の出演者が集まって、コンサートのビデオを観る機会を与えられました。
10周年のために、スペシャルとして集まった面々。でも、みんな『これを機会にまた歌いはじめたい!』という思いに駆られていました。…少しずつでもいい。時々でもいい。このまま、終わらせたくない。ビデオを観終わり、コンサートの感想を述べる一人ひとりの口から、そんな言葉があふれてきました。
リーダーのMさんは、『みんなのこの思いに応えない理由がない』と、語りました。その声には、小さいけれど新しい炎が燃え始めるときの、希望にも似た力が含まれていました。
…神様のなさることは、すべて時にかなって美しい…
そんな聖書の言葉があります。
この、『たまリバ』復活の一連の流れを見ていて、本当にそうだと思います。
自分にとって、この10周年のコンサートは、まさに『神の時』と思えるようなタイミングでやってきました。けれども、その同じ『神の時』にいざなわれ、引力を感じて集った人は、私だけではなかったんだと感じます。
だから、きっとここには、何か神のご計画があるのだろうと期待します。
まだ見えない、想像もできない、驚くような大きなこと。。。神はこのクワイヤの復活を通して、きっとそれをご計画しているに違いない。。。
その大きな引力に身を任せつつ、運ばれていこう。その大きな恵みの真っ只中に。
そんな風に思う、今日この頃なのでした。
『見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それが芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。』(イザヤ書43:19)