本当に久しぶりに、シフォンケーキを焼きました。卵がたくさんあったので。
そしてなんだか、上手に焼ける気がして。
お正月、義理の母は毎年、鎌倉へ商売繁盛の祈願に行きます。
自営の水道屋のおかみとして、まだだ現役、最前線で事務を切り盛りする義母。
…『会社は私の命なの』
という義母には、きっと私たちには分かりえない、特別な思いがあってのことなのでしょう。
私たちの生活の充足も、この義母の『命』の会社があってこそ…
私自身の祈りの先は、特に鎌倉を向いてはいませんが、できる限り、母の鎌倉初詣には毎年同行したいと思っています。
そんな、ちょっぴり不純な動機のワタクシにとっての毎年恒例・年頭の鎌倉での楽しみは、初詣客でごった返す
小町通りの散策と、帰りに立ち寄るカフェでのひととき。
駅前の通りから一本入り小さなアーケードを抜けたところにある、こぢんまりした吹き抜けの空間に位置するシックなカフェ。高級感のある調度品と薄暗い照明で、ちょっと隠れ家的な落ちつきのある場所です。
そこでのわたしたちのお目当ては、丁寧にいれられた美味しい珈琲と、ケーキのショーケースに並ぶ生クリームをたっぷりまとったシフォンケーキたち。
お正月の冷たい空気と初詣帰りの雑踏を離れ、わたしたちはそこでホッと一息つくのを、ひっそり楽しみにしているのです。
今年もやはりこのカフェで、美味しい時間を過ごしてきました。
…震災のほんの数日前に、思いがけず受けたマドレーヌの大口注文を焼き終わって以来、実はわたしはケーキをまったく焼いていませんでした。
色々、理由はあるのですが…なにかこう…不毛な気がしてしまって。
星の数ほどあるケーキ屋さんのケーキケースを飾る、宝石のようなケーキの数々。わたしたちの住む町にも、数年前にお洒落で美味しいケーキ屋さんができました。
自分みたいな小さな者が、決して良いとはいえない条件の下、不十分な設備と技量で、時間を削り労力を費やし、ケーキを焼くということに、意味を見出せなくなってしまった…というか。
震災という、日常がひっくり返ってしまうような出来事を目の当たりにして、今日を生きるだけでも精一杯の方々がおられることを知りつつ、あれやこれやこだわりながら、食べて一瞬でなくなってしまうもの、しかもケーキという嗜好品のようなものを、一介の主婦であるわたしが作ることに、なんの意味があるんだろうと…。
いくらこれをがんばってみたところで、そこから生活の糧を得るほどにはできないのだという、色々な現実の壁にも直面し、少々気持ちが萎えてしまったのでした。
…今思えば、嗜好品だからこそもっと気軽に何も考えず、家族や友人のために、どんどん作りたいものを作ればよかったのに、と思います。
そのことで作るほうも食べるほうも、ほんのひとときでも心が豊かになったり華やいだりするのであれば、それはそれで、いいじゃないか、と。
…もしかしたら、そうしているうちに見えてくるものも、あるのかも、知れませんし…ね。
どんより曇った月曜日の朝、今日はぜひ、シフォンケーキを焼こうと思ったのでした。
卵がたくさんあったので。そしてなんだか、上手に焼ける気がして。
10日前にあのカフェで見た、圧倒的に魅惑的なシフォンたちをイメージしながら。
何も難しく考えず、ただ『おいしくなあれ』とだけ、つぶやきながら。
…出来栄え?…そうね、シフォンのように、なんだか心がふわりと軽くなった気がしますわ^^