Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

コロッケ

2006年02月17日 | Good Food Fine Wine

                 親子三代で、コロッケを作る。
“横浜のおばあちゃんがよく作っていたあのコロッケを再現してみよう!”というのが始まりだったので、なんだか四世代で作ったような気分。
ゆでたジャガイモに炒めたまねぎとツナを混ぜ、俵型に形成。Tは小麦粉をつける係だったけれど、いつの間にかボールの中の小麦粉は“トリノの雪”と呼ばれてスキーの跡がついていた・・・。





EBONY&IVORY

2006年02月16日 | BGM

 なかなか生まれてこないので、暇をもてあますついでに(というわけでもありませんが…)ここのところ、テレビでやっていた映画を何本か観る時間に恵まれています。
来月にはアカデミー賞の発表があるため、その前振りとして歴代のアカデミー賞作品を特集しているようですが、その中に“夜の大捜査線”というのがありました。(“踊る~”はここからとっていたのかな)
もう40年も前の作品ですが、すばらしい映画でした。
映画のことはあまりよく知らないワタクシ、云々するのもおこがましいのですが、ストーリーの面白さに加えて、カメラアングルなども、そんなに以前の映画とは思えない斬新さを感じました。
しかも音楽がクインシー・ジョーンズ。イントロでいきなりレイ・チャールズが歌う!そして、なんといっても主演のシドニー・ポワチエがかっこよすぎる!!

…すっかりシビれた私はそれで終わらず、“よし”とばかりにシドニー・ポワチエ主演の別の作品をビデオ屋さんで借りてきました。
タイトルは“招かれざる客(原題:Guess who's coming to dinner)”。

あらすじは至って簡単で、白人の若い女の子が、自分の結婚相手に選んだ人を両親に紹介するべく家に連れてくる。彼はとても優秀な青年で、ひととなりも素晴らしく、娘の結婚相手としては文句のつけようもない最良の相手。彼が黒人だということを除いては…。
裕福な家庭で両親から余りある愛を受けて育った天真爛漫な彼女が、彼の肌の色のことなど気にもせず、こんな素晴らしい人との結婚を両親が喜んでくれないわけがない、と喜び勇んでつれてくる。けれどもその突然の出来事に、両親はまず絶句し、そこから父親の大いなる苦悩が始まる…。
“夜の大捜査線”でもそうでしたが、40年前の映画の中には、今ではちょっと考えにくいような黒人へのあからさまな差別が描かれていました。白人が黒人を自らよりも低く見ている。それと同時に差別される側の中にも、自分たちを白人より低いものとして納得しているきらいがあったりする。それがある意味当たり前になっている中で、そこから本質を見極め、一番大切なことに誠実であろうとする“どちらにも属さない”人々。

部外者である私には、白人と黒人のこういう歴史を語る資格はまったくないし、なにひとつ知らないのだとも思います。今のアメリカがこの問題をどの程度過去のものとしているのかも私はよく知らない。
10年前に米南部ニューオーリンズの白人の友人宅にしばらく滞在した時、“友達だよ”と紹介された人たちの中に、一人として黒人がいなかったことを思うと、場所によってはまだまだ高い壁が存在するのかもしれない。
けれども少なくとも、私が米軍基地の中の黒人教会に通っていた時、私たちは一度としてそこにいた人々から肌の色で区別をされたことがなかったし、むしろ違うからこそ余計に愛されている…と感じていました。
彼らの歴史がそうさせたのか、それとも彼らが無償の愛を注いでくださる源に繋がっていたからか、私にはわかりません…。でも、私が基地の教会で接していた彼らは、だれもが皆心優しく、懐が深くて聡明な素晴らしい人々…シドニー・ポワチエが演じていたあの役たちと、不思議とだぶって思い出されました。

20年前、P.マッカートニーがスティービー・ワンダーとデュエットをした曲に“エボニー&アイボリー”というのがありました。
ピアノの黒鍵を“エボニー”、白いほうを“アイボリー”と呼び、“ピアノの上で完璧なハーモニーで共存する白と黒。僕たちもそんな風に生きられないかい”・・・と歌っていました。

私たちがもっともっとお互いを受け入れあい、違いを尊重しあい、理解できなくても心を抱きしめる気持ちを持つことができたら…そんな風に生きるための力と知恵を、祈り求めたいと思います。
肌の色ほどに目に見えずとも、そんな課題は、実は私たちの身近にたくさん存在しているのかもしれませんから…。


P.S.同時にビデオ屋さんで借りてきた“笑の大学”も秀作でした!(若おばあ、ありがとう♪)
…さてさてニューフェイスがお出ましになる前に、あと何本ぐらい観られるかな?



love Chocolat?

2006年02月13日 | Cafe Sweets

ル・コルドンブルーの菓子クラスに、チョコレートの授業がありました。
製菓専用のチョコレートの塊を大きなナイフで削ってボールに入れ、湯煎にかけて溶かす。
ボールの中でチョコが溶けたら、決まった温度まで温め、それを大理石の作業台の上に流してヘラでひろげながら、また一定の温度まで下げていく…
この作業を“テンパリング”と言いますが、チョコのお菓子を作るとき、この作業はとても大切です。面倒な汚れ仕事なのですが、これを正確に行なわないと、コーティングしたチョコが上手く固まらなかったり、表面が白くなって風味を損なってしまったりするんですね。

明日は、バレンタインデー。
昨日の日曜日あたり、全国各地のデパ地下やショコラティエは、きっと芋の子を洗う大混雑だったのでしょう。今は最後の追い込みをかけているころかなぁ…。

“バレンタイン”とは、紀元3世紀にローマで殉教したキリスト教司祭の名前(イタリア語ではバレンチノ)で、当時のローマ皇帝・クラウディウス2世によって禁止されていた結婚を、ひそかに支援していた人だそうです。
けれども皇帝がそれを知り、バレンタインにローマ国教への改宗を迫ったけれど、承諾しなかったためバレンタインは投獄され処刑…その彼が殉教したのが2月14日だったのだそう。
殉教したバレンタインは、後に勢力を増したカトリックにより聖人として認定され、“聖バレンタイン”として人々の知られるところとなり、彼の殉教した2月14日は、愛する者に贈り物をする日となったのだとか…。

子供の頃は“女の子から好きな男の子にチョコをあげて告白をする日”だと思っていたバレンタインデーですが、大人になって外国に行ってみたらそこではぜんぜんそういう決まりはなくて、恋人同士や夫婦が(チョコとは限らず)贈り物をしあう…ただ単にそういう日でした。当然“義理チョコ”みたいな摩訶不思議なものもない。“ただお菓子屋さんにノセられていただけか…”と、なんだか笑ってしまいました。

                  

それでもやっぱり日本にいる限り、バレンタインデーをチョコレート抜きで語ることはできませんね。
チョコレートの本場ヨーロッパからこれだけ多くの老舗ショコラティエが日本に上陸し、さらにはジャン=ポール・エヴァンやピエール・マルコリーニなんていう著名なチョコレート職人たちが、スターさながらにデパートのイベントに招かれるご時勢…一個500円もするトリュフチョコを“自分へのご褒美”として買っていく女性客も多いとか…
でも、“ノセられている”とわかっていても、時には“ノセられる”のもいいのでは…?美味しいものに出会うと、やっぱり幸せな気分になりますものね。


“チョコレート発祥の地”トリノからのオリンピック中継をみながら、今年はコルドンブルーで習った簡単なチョコメニュー、“マロングラッセ入りのショコラ・ショー(chocolat chaud、あたたかいココアみたいなやつ)”でも、作って飲んでおこうと思います。

でも来年のバレンタインデーには、大事にしまってある大理石を引っ張り出して、久しぶりに面倒なテンパリングに挑戦してみようかな。
願わくば、いつもカフェに来てくださる、大切なあなたのために…!



“たいせつな人”たち

2006年02月11日 | BGM

        “Meg&Piano KOJI”のワークショップがありました。

私たちの住む山奥から車で高速を小一時間走らせた大分市内に“Grace”という祝福されたゴスペルクワイヤーを擁する教会があります。
Meg&Kojiともゆかりが深く、ゆえに彼らは今まで何度も大分を訪れているのですが、今回もGrace主催のワークショップの講師として招かれ、東京から1,300kmの距離を旅してきてくれたのです。

“日本人のための日本語のゴスペル”の曲を、数多く送り出しつづける二人。昨年末にもミニアルバムを発表したばかりで、今回のワークショップでもそこからの曲を教えてくれました。以前から決まっていた予定を聞いて、自分の出産の時期とバッティングすることからワークショップの参加は無理だなぁと思っていたのですが、神様は不思議なご計画で、そこへ運んでくださいました。

10年前、当時私が所属していた横浜の教会にTVOPがコンサートにやってきて、初めてMegさんと出会って以来、彼女の通っていた相模原の米軍基地内の黒人教会に行くようになったり、はたまた嫁いで移り住んだ場所が彼らの家の近くだったり…と、導かれた先に彼らが立っていてくれたことの、不思議に多かったことを思います。
よき友として、主にある兄姉として、そして何よりも共に主を賛美をする魂として、粟野貢司・めぐみ夫妻は私にとって、いつのときも“たいせつな人”たちでいてくれました。

今回のアルバムで、ママとのすてきなデュエットを聴かせてくれたひとり息子のY君は、Tにとってはおにいちゃんのような存在で、彼が卒業したおもちゃや洋服たちは、惜しみなくTに注がれてきました。(今回もダンボールを満杯にして、飛行機にのせて運んできてくれた…!)
彼もまた、私とTにとっての“たいせつな人”…。

ワークショップの前のわずかな時間、再会したMegさんと座って話しながら、手がけているものや関わっている事柄は少しずつ違うとしても、またそれぞれの置かれた状況が以前と変わったとしても、私たちがお互いを“たいせつな人”と呼びあえる限り、私たちは主にあってひとつなのだ…と実感しました。



                   


横浜になじみの深い私たちのためにと、Kのシウマイを買ってきてくれたMegさん。
“おっ妊婦!早く産んじゃえよーう!”顔を見るなりピアノの向こうから笑ってくれたKojiさん。
涙がでそうなくらい、大好きで“たいせつな人”たち。

昨夜、大分に祝福のひとときを運んでくれた彼らは、今日明日は長崎の地で、あのエネルギッシュで喜びにあふれたワークショップを開くとのこと…。

来てくれて、ありがとう。“あなたに出会えてよかった。”…!


(シャイなY君からは、どうしても撮影許可が下りませんでした…!)


春、遠からじ

2006年02月09日 | Season's Special

 先週末、“今期一番の大寒波”というやつがやってきました。一昨日からとても強い風が吹き、その風が運んできたのか、昨日は一日、小雪がちらほら舞う天気でした。
今日も、とっても寒い。節分も立春も過ぎて、暦の上ではもう春だけれど、出かけるにはまだまだ分厚い上着が手放せません。

でも、ね。ほら、春はもうそこまでやって来ています。

これは、冷たい土の中から芽を出したばかりのチューリップ。
去年の秋に、川崎のスーパーの店頭で見つけて買った球根を連れてきて、秋の終わり頃、冬がやってくる前に植えたものです。
(ちなみに手前に生えている黄緑色の繊細な葉は、カモミールの新芽だそう…)
見渡すだけではまだ黒い地面がむき出しの庭にも、よく目を凝らすと、こんな春の前ぶれを見つけることができます。

早朝は霜で真っ白に覆われ、下手をすればまだあと1、2回は雪も降るかもしれない。
けれども確実に訪れる春を感じ、こうしてもう準備をしているチューリップのたくましさに、なんだかとても勇気をもらいます。

今年は例年になく寒さの厳しい冬でしたが、こういう厳しい寒さを経てこそ、花たちは色鮮やかに美しく咲くのだそうです。昨日車の中から、葉っぱ一枚残っていなさそうな荒涼とした山肌を眺めつつ、“今年は新緑がすばらしく美しくなりそうだ”とつぶやいていた母が、今朝、そう教えてくれました。

母のキッチンガーデンに春がやってくる。それは、もうすぐそこ。そしてその頃この小さな芽も、アプリコットピンクの可憐な花を咲かせているはずです。



“ぱおぱお”

2006年02月03日 | Cozy Booth

出産前にぜひ行ってみようと思っていたところに、今日になってやっと行くことができました。
とは言っても、それは家から車で10分程度の場所。山の中の道沿いに立てられた道しるべにしたがって行くと、ぽっちり小さなお店にたどり着きます。

  

山里のあぜ道沿いの小さな小屋の前には、枯葉をつけたクヌギの木と手描きの看板。“ぱおぱお”というのが、お店の名前。
 
                    
   

入口の引き戸をあけて中にはいると、天然酵母のパンの焼けるいい香りが。コーヒーカップやボール、お皿に香炉など…店内に並んだ、手作り陶器たちもなかなか個性的でおもしろい。
午後の日差しが差し込むお店のおくで、お店の女性の方が一人で作業をしている。パンをこねる機械の音がきこえ、それに調和するジャズのBGMが不思議に心地よい。

                  

素朴な織りの布生地や、手作りの小物などもさりげなく売っていたりして…。

お店の人が心地よくしていると、自然とお客さんにもここちよい空間が生まれるのかもしれません。
何もないように見える山の中のこんな場所で、こんな素敵なお店に出会えるのは、本当にうれしい驚きです。

p.s.ワンランク上のテクニックを伝授してくれたakiちゃんとM之氏に敬意を表して…今日は画像をいっぱい貼ってみました…!