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Holy Waste 〜 聖なるムダ遣い

2016年07月02日 | Gospel




聖書には「もっとも大いなるものは愛」と書いてある。
「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と、イエスは言ってる。

イエスのやりかたは、自分は安全なボートの上にいて
そこから溺れた人に浮き輪を投げるようなやり方じゃなかった。
なりふり構わず飛び込んで水に潜り
私たちを下から押し上げて助けるようなやりかた。

「神」という、宇宙最強の立場を捨てて弱い人間というカタチになることで
私らと同じ「罪人の一人に数えられる」ことで
私らの代わりに自分が裁かれることにより
私たちの犯した罪をチャラにし、当然払うべき罪の報酬をいう定めを
無効にしてくださった。

そのために、自分は命を落とすことになるのを承知の上で。

それは、私たちを愛していたから。
ちっぽけで愚かな私たちが、地上で罪により苦しんだあげく
助ける者もなく地獄に落ちて滅びていくのを
あまりにも不憫で見ていられなかったから。

そんなこと、しなくてもよかった。
でも、そうせずにはいられなかった。
無関心でいられなかった。
…愛してたから。


これが、神が人類への愛を表すのに選んだ方法。
世界で一番ナンセンスなストーリー。

そう、愛ってやつはいつもそうやって
ムダで、バカげてて、ナンセンス。


…でもそれが、愛なんだ。



実はイエスの愛は、ただムダに命を捨てるだけの
お涙頂戴ストーリーでは、終わらない。

「死んでも必ずよみがえる」という
その先の勝利を見据えた「死」だったんだ。
三日目のイースターの朝、イエスは墓からよみがえった。

この、シナリオを真に受けて、受け取る私たちには
その同じ輝かしき希望がある。

「死んでも生き返る」という
「人間の常識では考えられない神の現実」を受け入れて信じた時
私たちはこの世の常識という足かせを脱ぎ捨て
可能性無限大の全能の神の力を帯びて
輝かしい、勝利して余りある新たな命へと
生まれ変わるのだから。

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