Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

渓谷へ

2006年08月25日 | Guest Book

今週、友人のakiちゃん家族をお迎えしていました。半年も前から計画していた旅がついに実現。。。
Tも、二つ年上のJくんが来るのを心待ちにしていました。
昨日我が家をあとにして、今ごろは次の目的地へ旅しているであろうaki家。その旅の守りを祈りつつ、今朝は盛りだくさんだった四日間をランダムに振り返っています。

厳しい残暑から逃げ出すように、山道を車で30分ほど行ったところの渓谷へ。
この渓谷は、何キロも続く一枚板の岩盤の上を足の甲がかぶるくらいの水が、サラサラと流れている場所。そこはまるで天然のクーラーにいるような涼しさ。木々が作ってくれるトンネルの下、滑らかな岩盤の上を、流れに足を浸かりながらどこまでも歩いていくのです。
キャンプ用の折りたたみテーブルとRのベビーカーを、流れの中に置いてみる。なんだか不思議な光景です。
                    

ここをベースキャンプ(?)に“トム・ソーヤーとハックルベリー・フィン”よろしく、子供たちは滝を目指して水の中をずんずん歩いて行きました。(半分までついて行ったけれど、母はあえなく途中でギブアップ。)遠くから見ていると、まるで水の上を歩いているようです。

お盆休みの頃には連日にぎわうこの渓谷も、今は人影もまばら。足をつめたい流水に浸しながら、
水上ピクニックと洒落込んでみました。
水の上に降り注ぐ木漏れ日。ふと、昔たずねた米南部ルイジアナのバイユーを思い出す店主でした。

            



ゆいまぁる亭

2006年08月23日 | Guest Book

湯布院に温泉に入りに行ったときに立ち寄ったのが、沖縄料理の店“ゆいまぁる亭”。
Eri-Neが来てくれたときに初めて行ったのですが、とても良かったのでakiちゃんたちもお連れしてしまいました。

実は行きがけに立ち寄ったワイナリーで、ソムリエが“湯布院へ行くのなら、ピザのおいしいイタリアンの店がありますよ”とおしえてくれたのですが、行ってみると残念ながら定休日。それでは…と“ゆいまぁる亭”に白羽の矢がたったのでした。
表通りに面していないからか、“ゆいまぁる亭”はなんだか隠れ家みたいな静けさの漂う店。明らかに観光客向けでない、地元の定食屋さんのような佇まい。入口には“めんそーれ”の文字。引き戸を開けて中に入ると迎えてくださるおかあさんは、沖縄の方でしょうか。

           

ランチメニューの中から、ソーキそばにラフテー丼。ゴーヤチャンプルーに麩チャンプルー。冷たいジャスミンティーが振舞われ、M之氏は菊の露をロックで注文。
“本当は今日は定休日だったんですけれど、先週の金曜日に台風で休んでしまったので、今日は私一人でお昼だけ開けようと思ってね、作るのが遅いけど、ごめんなさいね”…どうやら湯布院は水曜休みの店が多いようです。それにしても、危うく二軒にふられるところ…幸いでした。ありがとう台風。

   

食事の終わった子供たちに、おかあさんからシークワーサージュースの差し入れも…。本当に良心的なお店。おかあさんのお人柄を慕って、お店の常連さんが毎月ノーギャラでライブをしているという話もうなずけます。

おなかがはち切れるほど食べてごちそうさま。その頃には、いつの間にやら集まった常連さんたちが数人、カウンターで和やかに過ごしていました。

湯布院の沖縄料理。んー、悪くありません。




天井桟敷

2006年08月23日 | Guest Book
     http://blog.goo.ne.jp/gabriels/e/eda6984ff29848db0cd04afe3d5b4bae

亀の井別荘のカフェ・天井桟敷に行ったなら、迷わず階上の席を選びたい。グレゴリオ聖歌の響きがよく似合う薄暗いその席からは、その名の通りの視界が楽しめる。階下で優雅にお茶を楽しむ客たちを、縦横に張り巡らされた黒い梁越しに天井桟敷で見おろすと、窓の外のしたたる緑がいっそう目に鮮やかだ。

滑車の回る音がして、注文した飲み物が木で出来た手動の“エレベータ”で上がってくる。
誰の目も気にせず、ゆったりと布のソファにもたれる。緊張した神経が、するするとほぐれていくのがわかる瞬間…。
                      
  
                      
  




半分

2006年08月19日 | Cafe Gallery

            グラスに水が入ってる。「半分しか」?それとも「半分も」?

同じものをみても、「半分しか入っていない」と思ってしまう私がいます。でも、どんなときも「半分も入っている」と言いたいです。





Eri-Ne

2006年08月15日 | Guest Book

  夕暮れの空に飛び立つ飛行機を、私たちは両手を振って見えなくなるまで見送りました。

Eri-Neは私にとっては姉のような人なので、彼女にとってTは甥っ子のようなものかもしれません。川崎での子育ての中で、彼女は電車を乗り継いで幾度となく私たち親子を訪ねてくれました。
Tも彼女が大好き。久しぶりにその甥っ子に会いに、そして半年前に生まれたもう一人の“甥っ子”を抱っこしに、忙しいスケジュールを繰り合わせてこの大分の地までやってきてくれました。

どうしてもお客さん扱いできなくて、ご飯を作るのを手伝ってもらったり、Rに離乳食を食べさせてもらったり。色々働かせてしまいました(笑)。思えば、川崎にいたときもそうだったなぁ…何でもかんでもまかせたなぁ。随分本音も受け止めてもらったなぁ…なんて思い出したりして。

             

三月に素敵なマザーズバッグを送ってくれたEri-Ne。このバッグに色々入れて、一緒に湯布院温泉に行きたいなぁ…そんな希望も今回かないました。突然のゲリラ雨からも不思議に守られて、おいしい沖縄料理の店に行ってみたり、素敵な古布アートの店でお茶をご馳走になったり。

夜、布団を並べて、以前のようにあれこれ色々な話をしながら、いつのまにか心が解きほぐれていき、自分自身でもわからなかったあんなことこんなことに気がつく。私は一人っ子なのでわからないけれど、仲の良い姉を持つというのは、もしかしたらこんな具合なんだろうな…と思いながら快い眠りに落ちました。

日曜日の礼拝では、一緒に特別賛美をささげる恵みにもあずかりました。Tも飛び入りして、三人でMEG&KOJIの“主のみ手の中で”を賛美。私たちは、共に大きな神のみ手に守られて生きている…離れていても、こうして共に賛美する主はひとつ。そんな幸いを感じました。

楽しいときはあっという間に飛ぶように過ぎました。
最終日は、ゆったり家を出てワイナリーに立ち寄ったりしながら、余裕を持って空港に到着し、レストランで最後にお茶をしました。窓の外で発着する飛行機たちを眺めながら、“またいつでも会えるよね”“T、今度はEri-Neの家に泊まりにおいで”と別れを惜しみました。

共に歌ったあの賛美の歌詞のように…God be with you 主があなたと共におられますように…搭乗口に消えるEri-Neを見送りつつ、心の中でそう祈りました。Eri-Ne、ありがとう。きっとまた近いうちに…!




きもっち君

2006年08月10日 | Kid's Plate

近頃我が家のあちらこちらに見かける、折り紙のこんな人たち。保育園で“紙コップ”の折り方を覚えてきた折り紙工作員Tのしわざです。

     ここにも、あんなとこにも…。でもなんだかほほえましくて、そのままにしてしまいます。

            

      “ぼくは紙コップじゃないの、きもっちっていうの!”って声が聞こえてきそう…?




盆地祭り

2006年08月09日 | Season's Special

年に一度の町のお祭り“盆地祭り”。この町は盆地にあるからこういう名前がついたのでしょうか。
ようは、盆踊りです。
役場の裏の広い駐車場の真ん中に、ちょうちんをつけたやぐらが立ち、その周りにぐるりとたくさんの、手作りのしょうろうが置かれてやさしい光を放ちます。そしてその外円を、盆踊りの列がめぐります。

やきそばやりんごあめの屋台。射的の屋台には、大勢の子供が群がります。ずっと前からこの日を楽しみにしていたT。お目当ては、保育園の夕涼み会の時にもらえなかった“光る輪っか”と、昼間下見に来た時に見かけた、射的の景品のプラスチックの刀です。
でも、残念。“光る輪っか”のお店は見当たらず、景品の刀も私たちが着いた頃には出払ってしまっていました。こんな田舎の夏祭り。子供向けの屋台は、この射的しか出ていないのだから仕方ありません。思わず泣きべそになるTの手を引き、一度お祭りをあとにして、隣のスーパーへ。もしかしたらおもちゃのコーナーに刀があるかもしれないと、思ったけれどこれまた残念。

最期の望みをかけて、夕闇の中を歩いてホームセンターへ。ここでみつからなかったら、明日教会のある街まで行って探してきてあげる。
けれども、刀はありました。景品で見たのよりずっとかっこいい“忍者二刀流”手裏剣付きセット(笑)。

“神様にお祈りしてたんだ、刀がありますようにって”
“ママもお祈りしてたんだ。刀がありますようにって!”
一生懸命歩いた先に待っていた刀をさっそく腰にさして、行き道で痛いと言っていた足のことも忘れ、お祭りへの帰り道、Tは足取り軽く満面の笑顔でした。

お祭りに戻ると、“光る輪っか”をつけている男の子たちに遭遇し、どこで買えるのと訊いてみると
“知らん、俺も友達にもらったけん。でもひとつやるよ”と言ってTに譲ってくれました。そのあと、役場のK野さん(Tはその40過ぎのイケメンおとうさんを“洋ちゃん”と呼んではばからない。)にもひとつもらって、Tの腕の“光る輪っか”は二つに…。

   

Rがどうしても泣き止まないから…!と迎えに来た父とバトンタッチ。最後のイベントの花火を前に、私だけお祭りを後にしました。父と一緒にTが見あげているであろう打ち上げ花火が、バックミラーに咲いていました。
                        





祖母のダリア

2006年08月02日 | Season's Special

今年はキリギリスの当たり年のようで、びっくりするほど大きなやつによく出会います。
そのキリギリスが、庭のダリアを食い荒らしてしまうといって、母が無事だった花を摘んできました。

このダリアは、今は亡き父方の祖母が植えたもの。赤や黄色、毎年夏になると色鮮やかな花が裏庭を彩ります。

祖母はどうやらとても花が好きな人だったらしく、昔の田舎の村では誰も植えていなかったであろう花がいくつも残ってます。このダリアもそのひとつ。母はそれらの花を、祖母の思いを受け継ぐように大切に育て続けています。

横浜に住んでいた私たち家族がその祖母に会いに来ることができたのは、夏休みを利用して数えるほどだったと思います。幼い頃の私が訪ねていくと、足が不自由だった祖母は、階段の急なこの二階家の、一階の西日の入る居間にいつもいました。そして痛い足を押して、なにかと孫が喜びそうなことを考えてくれようとしていたのを思い出します。
長いことこの家を一人で守ってきた祖母は、気丈で泣き言などついぞ言わない人だったと聞きます。少ない祖母の記憶をたどっても…いつもあっけらかんとして笑っている…そんな感じがします。

私ら孫たちが結婚する前に他界した祖母に、ひ孫の顔を見せてあげることはかないませんでしたが、自分が守ってきたこの家にひ孫たちを交えて私たちが毎日にぎやかに暮らしていると知ったら、どんな顔をするでしょう…そして全国各地から、あるいは外国から、たくさんのお客さんをお迎えしていると知ったら…。きっと、びっくりするだろうな。そして昔のように目じりにしわをいっぱい寄せて笑ってくれる気がします。

生後5か月のひ孫の住環境を考え、祖母がいつもいた西日の入る窓に、一昨日ひさしがつきました。規格外だから取り付けられないと言われて我慢してきた網戸も、知り合いのクラフトマンが特注でつけてくれ、すだれやよしずもあしらい、西日は髄文と和らぎました。
すだれ越しに入る夕風に涼みながら、母が何度も言いました。“お母様がいる間にこんな風にしてあげられればよかった”。
盛夏の頃、祖母がよく西日を避けて道の向かいの石段の一番下に座っていたのを、母は思い出しているようでした。

夏が来てダリアが咲くたびに、私たちは祖母のことを思い出す。曾祖母に会ったことがないこの子供たちにも、この花が咲くたびに祖母のことを話して聞かせていこう。