Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

Scarborough Fair

2017年11月23日 | BGM


花屋で、プレゼント用ではなく、あくまで自分のために作り置きのブーケを買う時、甲乙つけがたい数ある可愛らしい選択肢の中から選ぶという究極の選択を迫られて、優柔不断な私が取る方法は、人と少し違うかもしれません。

まず、花ではない。まぁ時にはあまりのお花の麗しさにノックアウトされて即決してしまうこともあるけれど、またラッピングやブーケ全体の組み合わせの妙で直感的に選ぶ時もあるけれど。
でも大抵、私が見るのは主役ではなく、そこに添えられている緑です。

針葉樹の香りが、とても好きなんです。

子供の頃住んでいた家には庭があり、夏の終わりの年に一度、植木屋さんが入りました。
ハシゴをかけて登らないと剪定しきれないような大きな木が何本もあったので、2日か3日かけて職人さんが手を入れにくる。それがとても楽しみでした。
戦後、祖父が何十年もお世話になっている植木屋さん。もう、いいおじさんやおじいちゃんなのに、無駄肉のない鋼のような体で軽々と竹のハシゴを登っていく。
そんな職人芸を、飼い犬のローリーと一緒に下から眺めました。

バサッバサッと、切られた葉や枝が地面に落ちる。
10時と3時には、お茶と茶菓子を祖母と一緒に用意して、縁側の陽だまりで職人さんたちと一緒にいただくひととき。
あたりには、切られた針葉樹の香りが漂ってる。

針葉樹の香りを嗅いでいると、そんな私の、原風景に戻ることができて、不思議と心が落ち着くんです。
だからかな。花束でまずみてしまうのは、メインのお花もさることながら、どんな添え物の緑が使われてるか。


最愛の祖父が自ら首を吊って死んだあと、私はよく早朝の森に行きました。長屋門公園…とか言ったかな。よく覚えていないけど。
雨合羽を纏って、梅雨時の雨の針葉樹の中に入っていくと、あの懐かしい香りに包まれる。
何時間もそのまま、雨の中に座って合羽を打つ雨の音と振動を感じ続けると、不思議と心が落ち着いた。
混沌と惨劇の記憶が、ゆっくりと凪になり秩序を取り戻すまでずっと、じっとそうしてた。
眠れない食べられない、呼吸すらおぼつかないあの時期を食いつないだのは、きっとあの時の深い森の緑の中での皮膚呼吸だったんだ。


洋楽との出会いは小学生の頃。たまたま見たSONYのCMでした。
サイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」。
私の聴覚が捉えて離さなくなった。テレビの音声端子からケーブルをラジカセに繋げて、SONYのカセットテープにその宣伝の音だけ録音し、何度も巻き戻して繰り返し聴いた。この世にこんな美しい音の組み合わせがあるのかと、衝撃を受けながら。
深い緑の森を疑似体験しながら、何度も何度も聴いた。

大人になって、あの古いイギリスの民謡をベースにした歌の歌詞は、実は呪いの羅列だと知った。美しい音に隠された、世にも恐ろしい魔女の呪いか何か。
http://kiyo-furu.com/fair.html

きっと当時の私も、その魅力に惹かれて片足を踏み込んでいたに違いない。
その私を引き戻したたった一つの命綱だったのは、「偶然」が重なって幼い頃から私の中に刻み込まれた聖書の言葉と、自分では気づかずに、でもずっと握られていた、あの右手。
釘のあとから流れる血に染まった、救い主の右手だったんだと、いまわかる。


ブーケを買って家に持ち帰り、花瓶に挿してしばらく楽しむのだけれど、花はどうしたってしおれていく。
美しく咲き誇った花たちが短い栄華を極めた後に無残にしおれて枯れた時、もともとケチな私は、がっかりして花束ごとゴミ箱に投げ込んだりしない。せっかく500円も払ったんだよ、最後まで楽しまなきゃ。

…というか、本当のお楽しみはここから。
しおれた花を取り除き、まだまだ生き生きと水をあげている緑のだけを再び束にする。
葉っぱを少し摘んで針葉樹の香りをたたせて楽しんだり、逆さに吊るしてドライにしてもいい。いまからだと、クリスマスのリースにも使えるかな?
最大1ヶ月、下手したらもっと、この「のちに来る楽しみ」は失われない。


パセリ、セージ、ローズマリーとタイム。
よく聞けば、料理を美味しくする子たちばかりじゃないか。
これが呪いの歌だって?冗談よせよ。

曳きたてのコーヒー豆の香り、あの針葉樹の香りを楽しむ嗅覚をありがとう。

美しい音の羅列を感じ取る聴覚、花や、深い森の緑を愛でる視覚をありがとう。

愛する者の額と首筋に手を当てて熱を計り状態を知り、適切に対処する。
頬に触れ、キスし、創造者の偉大さに心揺さぶられ、その被造物の完璧なる美しさを享受する触覚をありがとう。


「五感で一つ取り去られるとしたら何を選ぶ?」昨日の夜、突然息子から投げかけられた質問に、出た答えはひとつ。

そんなのキミ、どれもムリだよ。


Rainbow

2017年08月08日 | Cafe Gallery


8月8日、夕刻。
テレビに映る神宮球場の虹を見て、もしかしてうちからも?と外に出たら。

久しぶりの、綺麗なアーチ型の虹。

…もしかしてキミも、見ていましたか?





Midsummer night's dream

2017年08月05日 | Season's Special


昼間の熱気がまだたち残るアスファルトを蹴って、自転車で隣町の神社を訪ねたのは
神様が誘ってくれたから。

自分の町の盆踊りは、毎年小学校の校庭を広く使って盛大におこなわれるから、細い参門の奥の、決して広くない境内にところ狭しと詰めかける、大勢の人たちに少し驚いた。
地元の町内会の青年部の人たちが、毎年力を合わせて櫓を立て、提灯を渡しているのだとか。

盆踊りを訪ねるキッカケをくれた人も、その仲間のひとり。地元の人ではないのに、わざわざ週末を押して毎年参加するという。
いつもの真面目顔とは違う一面を垣間見に、行ってみようと思った。

「お疲れさまです、タイガース勝ちましたよ!」
テントの外から声をかけると、歓迎の笑顔とともにビールを勧められた。乗り出しそうになった私に、
「いいんです、この人もう昼間ロング缶1本開けてきたんで。それにアナタ、自転車でしょ!」
とすかさずTが釘を差す。
「スゲェかぁちゃんだなぁ!」
そして、みんな、笑顔。

…「捨てる神あれば拾う神あり」
むかしの人はうまいこと言ったもんだ。
私にとっては「主は与え、主は取られる」だけど。

失ったものを回復してくださるのも、傷を包み癒してくれるのもまた、その主なる我が神。
主は我が羊飼い。私には、乏しいことがない。

人の目には完全に切り離されたと思えるものが、実は神の目にはちゃんと繋がっていたり…。
別方向に導かれているようで、目指してた道から外れて空白の時を送っているようで、主なる神は、決して私の祈りを忘れてない。
祈って下駄を預け、私自身も忘れてしまった求めを、「忘れてないよ」とばかりに、突然ある時引き戻してくださる神。

家までの帰路、私がもうずっと忘れてた道を、去年の夏に開拓したんだ、とTが選んで先導してくれた。
まだキミが赤ん坊の頃、あそこの写真館で家族写真を撮ったことがあるよ…そんな話をしながら、途中駅前に寄って缶ビールとジュースを買い、クーラーつけっぱなしで出掛けた部屋に到着。
ベッドに投げ出したiphoneの画面に、短いメッセージ。

突然
電話できる?




Fixing our eyes upon You

2016年07月11日 | Season's Special
参議院選挙が終わった。
結果は、みなさんご存知の通り。

「シルバーデモクラシー」などという言葉も耳にする昨今。
今回も高齢者の投票率が高いことや、日本人の性質からして、それぞれの地元ではやはり世襲候補が強い、という現実を鑑みるに、この結果を見て、安直に「これがニッポンの民意だ」と言うのは、いささか無理があるように思う。
当日の開票速報、私はテレ東の池上さんのやつを見たが、番組内の、ネットで(つまり若い世代が主に回答したと思しき)「憲法改正はした方が良いかどうか」を問う投票では、実に98%が「する必要はない」に入れているのを見ると、さらにそう思う。
今夜のNHKの特番を見ていても、ツイッターのコメントには、この結果に不満を残すものが目立つ。

投票率54.7%(戦後4番目の低さだそうだ)
今回初めて加わった18、19歳の投票率は45.45%

結果云々より…民主主義国家において、なにが残念ってこの数字が一番残念だ!

もちろん、私たちは、正当な方法で行われて出た結果を、主にあって粛々と受け止め、信頼して従う。「主に寄らない権威はない」からだ。

私たち人間は、たかだか数十年で朽ちて土に還ることが定められている生き物だ。それでなくても、神はお望みになれば、私たちを明日にでもお取りになることができる。
その宿命を思うとき、私たちはこの国を、この地を「自分の」と呼んで良いのか、迷う。
「自分の」という視点で考えるより、私たちがこの地を去った後にここに住む人たちの利益を、と考えて自分の一票の権利を使うほうが、より真っ当な気がする。

正直、今、私は、自分が死んだ後の次世代を生きていく息子たち世代、そして彼が愛してやまないであろう彼らの子たち世代が、どのような時代に生きていくのかを、憂慮せずにはいられずにいる。
おびただしい大軍に押し迫られ、とても自分の手に負えそうにない状況に圧倒され、恐れおののくヨシャパテ王のように。
だから今のわたしには、彼と同じように、こう祈ることしかできない。

「私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。 」Ⅱ歴代誌20:12

…が。
「それさえできれば十分だ」というのもまた、わたしにとっては、揺るがない真実だ。

天と地の主権者なる神の私たちのためのご計画が、決して災いではなく平安で、将来と希望を与えるもの(エレミヤ29:11)であり、私たち主を愛する者のために、主がすべてを相働かせて益としたまう(ローマ8:28)ということを、知っているがゆえに。

(もし、特にこの記事にコメントをいただいた場合、ここでのやりとりをするのは、今回はあえて控えようと思います。感謝します。)

Love never fails

2016年07月10日 | Gospel
一昨日、ダラスと東京で、同じアメリカの、肌の色の違う人たちの上に、全く対極のことが起きたのを目の当たりにした。
相手を憎み命を奪い報復を繰り返す人たちと、ワンボイスで神を讃える人たち。

この同じ条件の人たちの間で、一体何が違ったんだろう。

キリストは「互いに愛し合いなさい」と人々に言った。「あなたの隣人を、あなた自身のように愛せよ」と。
「責めるところがあっても赦し合いなさい」「互いに相手を自分より優れたものだと思いなさい」聖書は、そんな言葉でいっぱいだ。

違う者同士が共存する地上において、時にそれは、とても難しいこと。
歯を食いしばって、プライドを飲み込んで、怒りに震え、悔し涙が出ることもある。
「あなたの敵を愛せよ」を実践するのに、白旗を上げて「私にはできません神様、だから力をください」と、祈るしかない自分を見つける。

罪深く欠けだらけの人間がこれをするわけで、いつでも成功するわけじゃない。祈ることを怠り、結局これを実践できずに、傷つけたり失ったりした貴いものに、悔やんでも悔やみきれないこともある。

でも。
愛すること、赦すことに失敗しても、何度でも挑もう。
できなかったことを神の前に差し出してその大きな全能のみ手に預け、神の赦しを受け取って、めげずにまた立ち上がって、謝り、赦し、愛することに挑もう。何度でも、何度でも、何度でも、諦めず、祈り励ましあい、赦し合い、愛し合おう。

だって、そうすることを一人一人が選ぶかどうかだから。
「ダラス」になるか「東京」になるかは、私たちの、その選択にかかっているのだから。

そして、選んだ先には、きっと違いがうまれる。
神は必ず、助けをくれる。
私たちはきっとそうして、地上の奇跡を見る。



Photo from TVOP

Holy Waste 〜 聖なるムダ遣い

2016年07月02日 | Gospel




聖書には「もっとも大いなるものは愛」と書いてある。
「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と、イエスは言ってる。

イエスのやりかたは、自分は安全なボートの上にいて
そこから溺れた人に浮き輪を投げるようなやり方じゃなかった。
なりふり構わず飛び込んで水に潜り
私たちを下から押し上げて助けるようなやりかた。

「神」という、宇宙最強の立場を捨てて弱い人間というカタチになることで
私らと同じ「罪人の一人に数えられる」ことで
私らの代わりに自分が裁かれることにより
私たちの犯した罪をチャラにし、当然払うべき罪の報酬をいう定めを
無効にしてくださった。

そのために、自分は命を落とすことになるのを承知の上で。

それは、私たちを愛していたから。
ちっぽけで愚かな私たちが、地上で罪により苦しんだあげく
助ける者もなく地獄に落ちて滅びていくのを
あまりにも不憫で見ていられなかったから。

そんなこと、しなくてもよかった。
でも、そうせずにはいられなかった。
無関心でいられなかった。
…愛してたから。


これが、神が人類への愛を表すのに選んだ方法。
世界で一番ナンセンスなストーリー。

そう、愛ってやつはいつもそうやって
ムダで、バカげてて、ナンセンス。


…でもそれが、愛なんだ。



実はイエスの愛は、ただムダに命を捨てるだけの
お涙頂戴ストーリーでは、終わらない。

「死んでも必ずよみがえる」という
その先の勝利を見据えた「死」だったんだ。
三日目のイースターの朝、イエスは墓からよみがえった。

この、シナリオを真に受けて、受け取る私たちには
その同じ輝かしき希望がある。

「死んでも生き返る」という
「人間の常識では考えられない神の現実」を受け入れて信じた時
私たちはこの世の常識という足かせを脱ぎ捨て
可能性無限大の全能の神の力を帯びて
輝かしい、勝利して余りある新たな命へと
生まれ変わるのだから。

1st of July 2016

2016年07月01日 | Cafe Gallery


Gabbie's Cafeに ようこそ!

なんと、去年の10月に、このGabbie's Cafeは10周年を迎えていたのですよ!!
このブログに、今までどれだけ幸せをもらい、そして助けられていたんだろう。
なのに、記念すべき10周年を忘れてしまうなんて…なんて恩知らずなワタシ。


私がこのブログを始めた10年前は、1つの記事を投稿するのに、結構いろいろ手間だったんです。
当時はスマホなんていうものもなくて、写真はデジカメで撮ったのをPCでサイズ処理して、とか。でも、今はずいぶんと便利になって…ねぇ。


秒速で進んでいく私たちの日常。いつも前へ前へと急き立てられて生きている私たちが、ふと立ち止まり、振り返る。
そんなことは、例えば病気で寝込んだり、キャリアに失敗したり、人生が思った通りに行かなかったり…「予期せぬ喜ばしくないこと」が起きたりしてみないと、なかなかできないことのような気がする。
私たちはとかく「後ろのものは忘れ、前へ前へと」励まされる。

前向き思考は、もちろんとても大切。
でも、物事にはいつも表と裏がある。
そしてしばしば「真実は物事の裏にある」のです…。


考える暇もないくらい忙しくしていた私から、突然神様が「やり甲斐」を取り去ったのは、今年の3月の初め頃。
「なぜ」「どうして」、そして不本意の嵐。
それはあまりにも「みこころにかなって」いるように見えたから。

でも。
確信に満ちて握っていたその「やり甲斐」を手放した時、ふと立ち止まり、空っぽになった部屋の片隅に転がった「フタをしたままのパンドラの箱」を思い出した。


四年前、あまりにもツラくて苦しくて、夢中でフタを閉めたまま
もう過去にしてしまおうと見ないようにしていたその箱を
今更開けるのは勇気が要ったけど。
「主よ、もう四年も経って臭くなっています」と
つぶやきながら開けることには
少なからず痛みも伴ったけど。

でも、きっと、開ける時だったんだね。
そこには私にどうしても知ってほしいと、神様が用意していたものが、入ってたんだよ。

それはどうにも抗えないほどの勢いで、箱から飛び出してきた。
「待ってたんだよ」と言わんばかりに。
それは私の日常をかき乱し、昼も夜もなく吹き荒れて
「過去」や「不可能」という名の閉じていたドアを全部開け放ち
私の思いや考え方すべて、180度変えて行った。
「ホントの愛」ってなんなのか
今まで何にも分かっちゃいなかったということが
分かった。


…そして私はまた、このGabbie's Cafeに帰ってきた。
近年、嬉々として自信満々で
「もうこんなハラの足しにならないような、無駄に時間を取られるばかりのラブソングは
私の人生には要らないの」としまい込んで
ずっと聴かなかったアンジェラ・アキやセリーヌ・ディオンをBGMに選んでみたりして。
新しいものとしては…Israel Houghtonの"It's not over"なんかも
ソングリストに加えて。

それもみんな「スマホ」のせいかもな。
Apple musicなんていう、以前は想像もできなかった
便利なシステムのせいかもしれない。

…でも、いいじゃない。
与えられたものは、黙って素直に謳歌したら。

ハラの足しにならないこんな歌詞も、年甲斐もないこういうキモチも
きっと今の私には必要なものなんだろう。
まだ見ぬ明日のために神様があえて私から
取り去らずにいるものなんだろう。

もう「やり甲斐」もなくなったし、あの頃を知ってる「家族」以外
知ってる人は誰も来ないだろうカフェの片隅で
今更格好つけることもない。
金曜の仕事を終えた頭がちょっとほろ酔うのにまかせて
こんなヤル気のない記事を更新してみても、いいじゃない。


万年弱小な我がチームの負け試合を応援しながら
万にひとつの逆転勝利に望みを繋ぎながら
目に見えないあの大きな腕に、すべて委ねてみても、いいじゃない。

大袈裟に「愛してる」

2016年07月01日 | BGM
常温で生きれば
胸など激しく揺さぶられる事は無い
寒くもなきゃ熱もない
そう 健康的でいいのかも

でも私は違うんだ そうなんだ
あなたの声や 一つの表情で
炎になり また凍り付いたり
極端を行き交うの

冷静に振る舞うあなたはいつも
落ち着かない私を複雑と言う
単純に燃え上がる火の元が
自分だと気付かない

恋しくて 恋しくて 気が狂うよ
この愛に限度など無い
伝えたい 伝えたい
あなたへの想い
大袈裟で丁度いい

卵の殻のように私は脆く
あなたの言葉で一瞬に
一万の欠片に割れても
決しておかしくはない

誰かの空を飛び回るより
あなたの大地を彷徨っていたい
荒れている生命の無い土地に
私の花を咲かせよう

愛しくて 愛しくて 美しいよ
私だけ 私だけ見て
伝えたい 伝えたい あなたへの想い
大袈裟で丁度いい

永遠に 永遠に あなただけに
満たされて 満たされていたい
伝えたい 伝えたい 届きますように
大袈裟に 大袈裟に
“愛してる"

作詞:作曲 アンジェラ・アキ


サイン

2016年06月22日 | BGM
身の回りの不思議な出来事には
暗示的メッセージが隠れている

駅までの信号機すべてが青
11時11分に時計を見た

神様の小さな合図
何気ないけど偶然じゃない

感じてみて 確かなきっかけのサイン
今日から変わる事を誓って歩く道は
未来へと続く

目が合う度こぼれる微かな笑み
驚いた突然の同時メール

神様の小さなヒント
幸せはきっと幻じゃない

信じてみて 想いを詰め込んだサイン
気づいてくれる事を願って歩く道は
あなたへと続く

everything around us happens to be
a bigger part of something we cannot see

黙ってたって想いは 伝わらないから
離さないで確かなきっかけのサイン
今日から変わる事を誓って歩く道は
長くても あなたの心へ続く

Composed by Angela Aki

夜明け前の祈り

2016年06月15日 | BGM

私の両手はなんて無力だろう
離れて行く君を引き止められず
二人をつないだ幸せの糸も
こんなにもあっけなく切れてしまった

幾千もの明日と引き換えに
たった一つの昨日がもらえるなら
Only if

ためらわずに「好き」と言って
はばからずに抱きしめて
君で瞳を満たして
歩幅をあわせて歩いて
隠し事をなくして
もう二度と もう二度と もう二度と・・・離さない

私の言葉はなんて残酷だろう
心にもない事で君を傷つけた
喉まで上がった「ごめん」を言えずに
一人で流す涙の行き場はない

砕け散った希望を集めて
一つずつ積み上げれば勇気になる
I can say

何より君が欲しくて
誰よりも大切だって
やっと真実に気づいた
泣く時は一緒に泣いて
喜びも分け合って
もう一度 もう一度 もう一度・・・やり直そう

立て直せないものや 消えてしまう愛はない
夜明け前の祈りよ・・・届け

守り通す約束って
毎日誓うものだって
二度と忘れはしないから

ためらわずに「好き」と言って
はばからずに抱きしめて
君で瞳を満たして
歩幅をあわせて歩いて
隠し事をなくして
もう二度と もう二度と もう二度と・・・
もう一度 もう一度 もう一度・・・始めよう

作詞・作曲:アンジェラ・アキ