『信じれば、神の栄光を見ると言ったではないか』
『信じる』が先。
『栄光を見る』のがあと。
先払いの、後発送。
ほんとに届くの?
不良品じゃない?
変なものつかまされるんじゃ?
詐欺じゃない?
そんな不安とリスクをおして、『信じる』。
すると、届く。『神の栄光を見る』ことが私たちの手に。
『栄光を見たから信じる』じゃ、だめなんだ。
そこが、ミソ。
やっと届いても、時には不良品に見えるときも、詐欺にあったんじゃないかと思うときも。
これがそう?注文したものと届いたものが違うんだけど?と思うことも…。
でも、まだ信じる。
求めたものよりベターなもの、私にとってのベストが届いたんだってことに気づくまで、まだまだ続く心の中の戦い。
何年かかるの?
思っていたよりずっと待たなきゃならないの?
なんで?こんなに待たなきゃダメなの?
すぐしてくれられるはずなのに、どうしてまだ待たされるの?
たまに疲れちゃって、お月様のめぐりにもガクーーーッとなって。
我慢できてたこと、やり過ごせていたことが重たすぎになってきて。
自分の弱さも、苦しんでいるとなり人のことも。先の読めない真っ暗さも。
あっちを立てればこっちが立たない、ずっと二つの岸の狭間に立っているような、この折り合うことのないジレンマも。
全部重たい足枷に感じて。
マジメすぎ?アタマ硬すぎ?
だから前にも後ろにも、進めないの?
だから踏み出す一歩が、こんなに遠いの?
でも、『信じれば、神の栄光を見る』
その一言に、一縷の望みをつなぐ。
根拠?
あのお方が私の神だから。ただそれだけ。nothing else.
そういう強さが、今一番ほしい。
目の前にある、目の前で起こるどんなことにも揺るがされない、負けない強さ。
負けないだけでなく、笑い飛ばすほどの信仰を、神さま、私にください。