Gabbie's Cafe

 天使のカフェへようこそ

God bless you!

2005年12月31日 | Season's Special

あと数時間で、今年が終わろうとしています。
心からの感謝をこめて、皆さんのすばらしい新年の始まりを祈ります。

毎朝、メールでみ言葉をとりなしてくださるS牧師経由でこんな詩が届きました。受け売りで甚だ恐縮…でも、ご紹介します。
皆さん、どうぞよいお年を! GOD BLESS YOU!!


   主のよき力に守られて

主のよき力に確かに 静かに取り囲まれ
不思議にも守られ 慰められて
私はここでの日々をみなさんと共に生き
みなさんと共に新年を迎えようとしています。

過ぎ去ろうとしている時は、私達の心をなおも悩まし
悪夢のような日々の重荷は 私達をなおも圧迫し続けています。
ああ 主よ。どうかこのおびえおののく魂に
あなたが備えている救いをお与えください。

あなたが、もし、私達に苦い杯を、苦汁にあふれる杯を
なみなみとついで差し出すなら
私達はそれを恐れず感謝して、
いつくしみと愛に満ちたあなたの手から受け取りましょう。

しかし、もし、あなたが私達にもう一度喜びを
この世と、まぶしいばかりに輝く太陽に対する喜びを与えてくださるなら
私達は過ぎ去った日々のことをすべて思い起こしましょう。
私達のこの世の生のすべては、あなたのものです。

あなたがこの闇の中にもたらした ろうそくを
どうか今こそ暖かく、静かに燃やしてください。
そして、許されるなら、引き裂かれた私達をもう一度結び合わせてください
あなたの光が夜の闇の中でこそ輝くことを、私達は知っています。

深い静けさが私達を包んでいる今この時に、
私達に聞かせてください。
私達のまわりに広がる目に見えない世界のあふれるばかりの音の響きを
あなたのすべての子供達が高らかにうたう賛美の歌声を

主のよき力に 不思議にも守られて、
私達は来るべきものを安らかに待ち受けます。
神は、朝に、夕に、私達と共にいてくださいます。
そして、私達が迎える新しい日々にも、神は必ず、私達と共にいてくださる
でしょう。

ボンヘッファー著 村椿嘉信:訳
「主のよき力に守られて」 新教出版社



赤い実・その2

2005年12月30日 | Season's Special

“昔ばなしの家”という屋号をもつ、中山さん宅に行く道すがら、山の中の側道にちょっとはいると野生のローズヒップが群生している。

お正月の赤い実といえばナンテンなのかもしれないけれど、客間の床の間に飾るために母が選んだのは、とげのいっぱいついたこの野バラ。
今年は特別寒いからか、蝋梅も水仙も咲く気配がなくて…と、一緒にあわせて生けたかった様子。でもこれだけでも充分、絵になっていますよ。

“母”と呼ばれる者として、もっともっと懐が深く、包容力のある人間になりたいと思う。
子供が大人になったとき、自分の母親を、いつも“目が怒ってる”人だった、と思い出してほしくないと思う。赤ちゃんだった時のように、珍しく両手をW字型にあげて眠っている4歳半のTの寝顔を、今夜はすこしゆっくり眺めてみる。

神様は私たちの日々の必要を知って、不思議な方法で必ず満たして養ってくださる。そんな大きな懐に養われていて、どうして自分の心はいつもこんなにささくれ立つのか。

母方の祖父、母、そして私、と受け継いでいるものがある。冬になるとできる指先の深い亀裂。
利き手の親指にできた亀裂がなかなか治らないと言いながら、母は大きな茂みから手をとげにさされつつも、ローズヒップの大枝をいくつも折り取った。今年はヒヨドリも来なくて、ナンテンの実が近所にたわわに実っているというのに。

“明日、何が起こるか私たちにはわからない。だからこそ今日できること、今日目の前にある小さなことを誠実にしていくしか、わたしたちにはない”
…そう言う母が60年余りの人生の中でしてきたことは、もはや小さなことではなくなっている…そんな風に、私には思えてしかたがない。

私が母の年まで生きたとき、息子たちはどんな思いで、自分の母をみるのだろう。





そまびと

2005年12月29日 | Cafe Sweets

本日のカフェ・スィーツは…きなこをまとった、なんとも雅やかなこのくるみもち。
ほんのりと、上品な甘さです。小さな籠に入って“そまびと”という名前がついていました。
この忙しい年の瀬に、遠く離れた友人akiちゃんにビデオのダビングをお願いしたことから、このみやびなお菓子は、伊豆から九州への旅をすることになりました。
誠実な友人は、忙しい中、わがままな依頼を受けてくれただけでなく、何度も手間をかけて梱包したり、心のこもったカードを添えてくれたり…そしてその果てに映像とともに、このお菓子を送ってくれたのでした。
子育ての傍ら、いろいろな活動に積極的に参加するakiちゃん。教会でもいくつも奉仕を受け持つ身だから、きっとこの時期は目もまわる忙しさだったのだろうけれど…添えられたカードや選んで送ってくれたお菓子から、忙しさに振り回されていない彼女の心の豊かさに触れる思いがしました。

午前のお茶どきを過ぎたころ、仕事で我が家に立ち寄る素敵な来客あり。
ここにもまた、年末の忙しさに“心を亡くして”いない、主の姉妹の存在が。娘ほども年の離れた彼女に母が言います。
“お茶を飲んでいらっしゃい、私と同時に洗礼を受けた、娘の心の友からおいしいお菓子がとどきましたから…”

“そまびと”のほかにも、まだ開けていない包みが…。次のカフェ・スィーツに開けるときには、また一緒にご堪能くださいな。




Gabriel's Message

2005年12月24日 | BGM

The angel Gabriel from heaven came          
His wings as drifted snow
His eyes as flame
"All hail" said he "thou lowly maiden Mary,
Most highly favoured maid," Gloria!

"For known a blessed mother thou shalt be,
All generations laud and honor thee,
Thy Son shall be Emanuel,
By seers foretold
Most highly favoured maid," Gloria!

Then gentle Mary meekly bowed her head
"To me be as it pleaseth God," she said,
"My soul shall laud and magnify his holy name."
Most highly favoured maid Gloria!

Of her Emanuel, the Christ was born
In Bethlehem all on a Christmas morn
And everyone throughout the world forever saved
Most highly favoured maid Gloria!


Basque Traditional - Words by Sabine Baring Gould


み使いガブリエルが天より舞い降りた
その羽は雪のよう、その瞳は炎のよう
“はしためマリア”彼は言う
“恵まれた乙女よ、おめでとう”

“あなたは恵まれた母となり
世々の人々はあなたを声高くたたえよう
預言者たちの言葉どおり
あなたの子はインマヌエルと呼ばれる
恵まれた乙女よ、おめでとう”

マリアはこうべを垂れ言った
“お言葉どおり、この身になりますように”
“わたしの魂は主をあがめ、
その聖なるみ名をたたえます”
“恵まれた乙女よ、おめでとう”

インマヌエル・キリストは生まれた
クリスマスの朝、ベツレヘムの町で
み名を信ずる者は永遠に救われる
“恵まれた乙女よ”
栄光、神にあれ!

§バスク地方の古いキャロル§英訳:Sabine Baring-Gould(1834-1924)
              和訳:店主


オーナメント

2005年12月23日 | Kid's Plate

“ママはサンタさんに何をお願いするの?”
Tに聞かれてちょっと考え、
“ママはタダで何かもらうほど、サンタさんとは仲よしじゃないんだよ。だけどイエス様には、タダで永遠の命をもらったよ”と答えてみた。

やつにはちょっと、難しかったみたい。
“…でもせっかくなんだからさ、お願いしてみたら?”

真実を説くべきか、子供の夢としてもう少し温存してあげるべきか…それが問題です。




シュトーレン

2005年12月22日 | Cafe Sweets

親愛なる友人れ。の紹介で、今年のクリスマス、我が家にはドイツの伝統菓子“シュトーレン”が届きました。高山のブーランジェリーから宅急便で届いた包みをわくわくしながら開くと、そこには品のいいモスグリーンの箱に金のリボン。金字で“Joyeux Noel”(フランス語でメリークリスマス)と書かれています。中からは、真っ白な粉糖に身を包んだ正真正銘の“シュトーレン”が…。

フランスのブッシュドノエル、イタリアのパネトーネ、イギリスのクリスマスプディング、そしてもちろん日本のイチゴのショートケーキ…どれも大好きなクリスマスのケーキたち。
Gabbie’sでは、製菓学校で学んだレシピをベースにしたモカ風味のブッシュドノエルを、毎年いくつも作っていました。注文をいただいたりお店に卸したりと、この時期は寝る暇もないほどで大変でしたが、本当に楽しかった。

初めてシュトーレンに出会ったのは、オランダのアムステルダムでした。ヨーロッパのターミナル的な場所であるこの美しい町は、まさに人種のるつぼと言いましょうか、さまざまな国の人とその人たちの多様な文化で溢れていました。中央駅を中心としてちょうど分度器のように張り巡らされた運河沿いに、アンネフランクの家や、レンブラントの家があったりします。
一文無しのバックパッカーとしてこの町に流れ着き、十年来疎遠だったキリストと再会して人生の方向転換に至る経緯は、またいつかゆっくりお話しするとして…(笑)、そう、シュトーレンです。
この時期のオランダは本当に寒く、吐く息も凍るほど。そんな外出から帰ってくると、友人のいれてくれたマシュマロ入りの熱いココアであたたまったものでした。そしてそのお茶の時間に、薄ーくスライスして出されていたのが、シュトーレン。もう十年も前の、少しかすれてしまった記憶です。
キリストの飼い葉おけをかたどったといわれる、ドイツ生まれの伝統菓子。洋酒漬けのドライフルーツやナッツがたっぷり入っていて、噛み締めると生地の豊かな風味が口に広がる。フランス菓子のような華やかさはないけれど、そこには確実にクリスマスを祝う心が焼きこまれていると感じることができます。

去年のクリスマス、愛するsunny daysで可愛らしい小さなシュトーレンに出会いました。買い物の包みに、心優しい店主がそっと入れてくれた手作りのシュトーレン。
小さいながらも、マジパンペーストの入った本格派でした(このペーストの部分が、飼い葉おけに寝ているイエス様なんだとか…)。
今年も、あの可愛らしいシュトーレンは、sunnyの店先でクリスマスをお祝いしているでしょうか…。

外は一面の銀世界。今年すでに三度目の積雪です。Tが起き出して、雪にはしゃぎ始める前のほんのひととき、クリスマスの恵みを思いつつ、高山からのシュトーレンを切ろうかな…。

http://www.trainbleu.com/




待つこと覚えたら・・・

2005年12月21日 | Gospel

自分の力ではどうにも前に進めなくなる時、何をやってもうまくいかなくて、状況も悪くて、期待していた助けもことごとく打ち切られ、自分の思ったとおりになんかぜんぜんことが運ばなくなるときがありますね。そんな時、どうしますか?

若かったころは、(というかつい最近までですが…)もうとにかく苛立って怒って、神様が意地悪をしているに違いないとか、こんなときに何もしてくれないなんて、神様が私を愛しているだなんて嘘だとかいうふうに思う傾向にありました。

ずっと以前にラジオからよく流れていたのですが、“待つこと覚えたら、お前も大人だ”という一言で締めくくられる交通安全のCMがありました。父親らしき人の声で、自分の息子が年末に帰省するにあたって、渋滞に巻き込まれてもイライラしたりしないように、と穏やかに促している風のCMだったかと思うのですが、その一言が妙に記憶に残り続けていて、何か物事がうまくいかなくてイライラするたびになぜか思い出していました。

私たちが誘惑にあった時、その誘惑に打ち勝つ一番の(というか唯一の)方法は、その誘惑と戦わないことだと、何かで読んだことがあります。たとえば、お酒やたばこを辞めたいと思っているときに、“禁酒・禁煙”とか書いて壁に貼ったりすることは邪道で、その“吸いたい飲みたい”という自分の気持ちをどれだけそらせて違うことに意識を集中させられるか、なのだと。まともに戦ったら、その時は打ち勝つことができたとしても、必ずリバウンドがやってきて、もっと大きな誘惑を受けることになるのだとか。

“怒りたい”という誘惑も、同じかもしれないなぁと思います。自分の思ったとおりにことが運ばない時に不快に感じることは決しておかしなことではないけれど、そんな時自分の意識を如何にコントロールしてその状況を通過していくか…それが大事なんだなぁ、と思うわけです。
私のような完全主義者は特にそうですが、とかく自分が何かに執着しているときは、その対象を凝視しすぎてこれが解決しないと一歩も前に進めないような気になるものです。でも解決しない。イライラがつのる…。そんなことでいままでどれだけのエネルギーを浪費してきたことでしょう。もしかしたら健康だって、害してきたかもしれません。

すべてのことには“神様の時”があって、それより事を早く成し遂げたいと思ったときに、自分の中で問題がおきるのかもしれません。“今は、時じゃないんだなぁ”と目の前の問題に対しておおらかに反応できたら、ずいぶん良いのかもしれません。まじめにイライラするより、ふまじめになって子供とお笑いのTVでも見てみる。自分勝手な“こうじゃなきゃ”から抜け出して、いい加減になってみる。自分に何とかできないことは、何とかして下される方の大きな手の中に丸投げしてみる…そしてなにか、今できそうなことを探すことに意識を向けてみる…。
するとそうしているうちに、“その時”がやってくる気がします。“神様の時”がやってきたら、もうその時は余計な力は必要ない。すべてが、無理なく障害なく進んで行ってくれる。自分自身もリフレッシュされて、新たなる力を得て仕事がはかどったりして。
でも…。でももしやって来なかったとしても、もうその時には、その問題はたいして重要ではなくなっていたりしているのかもしれません。

主イエスの誕生を待ち望むアドベントという時期に、天のお父さんからこんな声を聞いた気がしました。
“待つこと覚えたら、お前も大人だ”と…。


“しかし、主を待ち望むものは新たなる力を得、鷲のように翼をかってのぼることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。 ”イザヤ書40:31



かみさまに知られている

2005年12月10日 | Gospel

                今日一日、朝おきてから夜寝るまでのこと
                   みぃんな神様に知られている
            嬉しいこと 悲しいこと 説明できないあんなこと こんなこと
                   みぃんな神様に知られている
             よいのか わるいのか よかったのか わるかったのか
               よくわからないけれど、みんな神様のみ手の中

               これから生まれる命と みもとにかえって行く命
                    犯した罪と その結果
               つたない導き手 泣き寝入りした子供の顔
                  愛のないことば 自分の限界
               手に負えなくなって、投げ出してしまった重荷


               あの人よりましだから 今までよりましだから
                    救われているんじゃない

                わたしが神様を知っているからではなく
                 神様がわたしを知っておられるから

                    希望が届く 救いが届く
                    わたしにも あなたにも
               神様に知られているという平等な、幸いが届く





雪の日

2005年12月06日 | Kid's Plate

昨日、今年初めての雪がふりました。
朝起きると、窓の外は真っ白。朝ごはんを食べながら空から舞い落ちる白い羽のような雪を眺め、食べ終わるころに止んだのでちょっと外へ出てみました。

“ゆきだるまを作ろう!”
そういうTに促されて、小さなゆきだるまを作ってみる。
もう何年つくってなかっただろう、こんなの。
降りたての雪はきめが細かくやわらかくて、握っているとすぐに固まってしまう。
うまくできないなぁ、あーあ、顔が四角くなっちゃった…

初雪は、照り始めた午後の日差しにすぐに跡形もなく溶けてなくなってしまったけれど、ちょっと一手間、写真に撮っておいてよかった。
Tは珍しい雪に喜んで、遊びながら“イエス様にありがとう言わなきゃ”
“あ、もう一回ありがとう言っとかなきゃ”
と繰り返していたっけ。

ほんとにね。イエス様、ありがとう。




詩をもうひとつ・・・

2005年12月06日 | Gospel

                        天気予報が雪を告げる日
                      それでもオレンジ色の蕾を用意して
                        咲いている一枝のバラ

                       生きるってこういうことなのか


                            星野富弘





赤い実

2005年12月03日 | Gospel

           今日は朝からずっと、赤い実とこの詩のことを考えていました…。


                          桃子よ

                          もも子よ
                   おまえがぐずってしかたないとき
                   わたしはおまえに げんこつをくれる

                         だが 桃子
                   お父さんの命が要るときがあったら
                      いつでもおまえにあげる

                          八木重吉