誰かのために、何かする。それは、本当に喜ばしいこと。“もらうよりもあげるほうが、あなたは幸せになれるよ”と、聖書にもあります。
だって本当は“あげる”のではないのです。“させていただく”。そんな心でできたとき、私はあげているようでいて、実は“いただいて”いるのですから。
けれども子供のため、家族のため、そして愛する友人たちのために、何とかして自分の最善を捧げたい。熱き思いに突き動かされて、ついついオーバーワークに陥ってしまう。そんな愚かな自分がいます。
少しやりすぎたかな、心と体に休息と栄養が必要かな…と思ったときに、足を向けたくなる場所があります。
私たちの小さな町の、丘の上のワイナリー。広すぎない園庭には、メイプル系の落葉樹が多く植えられ、春はまばゆい新緑、夏は滴る緑、秋には美しい
紅葉、冬は青空に描く幾何学模様…と、四季折々の顔で私たちを迎えてくれます。
ワイン製造の工程見学施設や、小さなワインミュージアムもある。
新酒祭や樽開きなど、季節のイベントも充実している素敵な場所です。
そのワイナリーの中で、私がいつも必ず覗くのが、カフェを併設したワインの試飲とショップのコーナーです。アッシジの聖フランチェスコの教会を彷彿とさせる佇まい。入って左側が試飲コーナーとショップになっており、右側が小ぢんまりとした居心地の良いカフェです。
私はたいていいつも運転手なので、今まで行っても試飲をすることができないと思い込んでいました。昨今の飲酒運転の事故を受けて、ワイナリーでもそこのところには厳戒態勢をしいて、“ドライバーの方の飲酒は絶対におやめください(試飲も含みます)。”という注意書きがいたるところにされていますし、その、良い意味での威圧感たるや相当のものだからです。
けれども先日ふと、“ん?でも飲み込まなければ良いのでは…”と気がつき、叔父への贈り物を選びに行った時にワイナリーのソムリエに尋ねてみたところ、確かに口に含むだけで飲まなければ、飲酒にはならないとのこと。
どうしてそんな簡単なことに気付かなかったのだろう…!?と小躍りしました(笑)。さっそくスピットアウト用の“バケツ”を用意してもらい、カウンター越しに注いでもらうソムリエのおすすめをテイスティング。…チクショウ!そうだよ。この手があったじゃないか…!
贈り物用のワインを選び、人心地ついてカフェスペースへ移動。何事にも意味を持たせないではいられない貧乏性の私は、“何もしないで時間を過ごす”というのが大の苦手。自分がしていることには、いつでも何らかの意義や意味を見出していたいのです。
でも実はその習性が、自分に休息を与えないことになってしまっていると、つい最近気がつきました。だから疲れたな、やりすぎたな、と思うときは、一見ムダに見えるようでも“何もしない”時間を意識して持つようにしています。
いつでも、ヘタをすれば寝ている時ですら、フルで稼働している自分の頭を休ませるには、どうやらこういう風に場所を変えたりして、半ば強制的な手法をとらねばならぬようです。
ソムリエ考案のオリジナルピッツァをつまみつつ、ただ座って大画面に泳ぐイルカを眺めながら頭をカラッポにする時間。考えることをやめて五感を開放し、感じることのみに身をゆだねる。私にとっては、案外、大切なひとときです。
“お水、差し上げますね”。カウンターを離れる時にそう言っていたソムリエがなかなか現れないので不思議に思っていたら、素敵なクリスタルの水差しに冷たいお水を入れ、高足のたっぷりしたグラスに注いでくれました。
キンと冷えたそのお水のおいしいこと…思わず、ボサ・ノヴァのあの有名な曲を口ずさんでしまうほど。
珍しく大型バスで乗りつける観光客も少なく、その日はなにやら静かで、ひとりゆったりと空間を満喫する。そんな私の様子を、時々ソムリエが覗きに来てくれる。放って置かれるのでもなく、一人の時間を邪魔をされるのでもない、そんなお客の気持ちに配慮した、ちょうど良い距離感を心得ているところはさすがです。
ソムリエといえどサービス業に従事する、いわばお客のしもべ。そういうところで自分が腑に落ちているかどうか。肩書きではなくそんな人柄と人徳が、その人をまた素敵に見せ、提供するものの質をさらに上げるのでしょう。そんな“捧げ方・仕え方”を、私もぜひ、見習いたいものです。
心地良い空間と、おいしい食べ(飲み)もの、そして素敵な人との質の良い会話。そんなものたちが確実に私を癒し、休ませ、また新たな元気をくれたよう。
さぁ、今日からまた一週間が始まります。より美しく優しく“仕える”ために、さらに新たなる力を与えられて強くなったGabbie's Cafeに、ようこそ!