ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

モンマルトルの麓で(2)

2018年11月24日 | 展覧会より
 話は9年前に遡る。私ども游文舎では県内で最も早く、全国的にも地方のギャラリーとしては先駆的だったと思っているが、アール・ブリュットの展覧会を2009年に開いている。その時はボーダレス・アートミュージアムNO-MAアートディレクターのはたよしこさんの協力を得て作品を集め、当時から人気の高かった澤田慎一さんの作品や、2008年にスイスのローザンヌで開かれたJapon, Collection de l'art brut展図録の表紙を飾った舛次崇さんの作品を中心に、三つの会場を使ってかなり大規模な展示を行った。
 はたさんにもお出でいただいて講演をお願いしたことも記憶に新しい。その直後にフランス側からの要請によりアル・サン・ピエールでArt Brut Japonais展は開かれた。その展覧会の実現もはたさんの力によるところが大であったと認識している。
 アル・サン・ピエールでの展覧会を日本から観に行くツアーが企画されたのもその時で、游文舎としてもアール・ブリュットに関わった以上「これはどうしても観に行くしかない」と、地元から参加者を募ってツアーに同行しようと思ったが、結局人数が集まらなくて断念したのであった。
 そんな経緯が一瞬のうちに頭の中に浮上してきて、私がその夢を、パリで日本のアール・ブリュット展を観るという夢を、個人的にではあれ8年越しに実現させることになったということを実感したのだった。
 会場にはいると青木尊さん描くところの八代亜紀の顔の絵を使った懸垂幕やポスター、チラシなどがあり、そこで私はそれがArt Brut Japonais展の第2回展であることをはじめて認識したのである。

1階のラウンジ

 アル・サン・ピエールはもともと市場だった建物を改造してギャラリーとしたもので、そのために美術館なみのかなり広大なスペースが確保されている。2階の全スペースを日本からの作品が埋め尽くし、1階の一部にフランス人によるアール・ブリュットの参考出品が飾られている。しかしそれらの作品は幼児画あるいは児童画の域を出るものではなく面白みに欠ける。
 展示場にはいると8年前にも人気を集めたという澤田慎一さんのあのトゲトゲ生物の焼き物作品の新作が目に入ってくる。「相変わらずだな。少しも衰えていないな」というのが第一印象。トゲトゲ生物を作る作家はたくさんいるし、今回も似たような作品を出品している作家もいるのだが、誰一人として澤田さんの作品の完成度の高さや、グロテスクの中の優しさ、キュートな感じのレベルを達成することができていない。

澤田慎一さんの作品

 これはもう神が澤田さんに与えた才能としか言いようがないもので、その作品はまさに別格、奇跡のような造形美が実現されている。周りを見渡すと澤田さんの他に第1回展とだぶっている作家はいないようだ。
 つまり他は第1回展の後に発掘された作家がほとんどであるということだ。アール・ブリュットの世界で8年後とはいえ、これほどの新機軸を打ち出すことは至難の業であろう。地道な調査と発掘作業が必要とされるからだ。二番煎じだけではこれだけの質は決して達成できるものではない。
 第1回展を観ていないのにどうしてそんなことが分かるのかというと、アル・サン・ピエールでの開催の後に、ほぼ同じ規模と内容で日本国内における凱旋展が開かれていて、私はそれを埼玉県立美術館で観ていたからだ。
 あれから8年、日本におけるアール・ブリュットが成熟してきたという認識には誤りがあろう。作家達が孤絶の表現の中で実現させていくものに、個を越えた成熟の道筋などあり得ないからである。むしろ彼らの作品を見出す方、発掘者の感性の方に成熟をみるべきではないだろうか。
 ところで最初に私の目を射たのはOMIGAKUENの作品であった。ちなみに図録がフランス語と英語だけなので漢字が分からない。しかしこの場合は個人名ではないので〝近江学園〟と分かる。つまり共同作品なのである。
 一見共同作品とは思えない幼児画のような構図だが、背後に構成への意志が読み取れる。無数の小さな丸い粘土の中に色の違う粘土が〝線〟を形づくって、人物の輪郭線となっている。よく見ると一つひとつの粘土は、人の顔になっていて目もあれば、鼻も口もある。この〝線〟を作ったのは誰なのか。それはおそらく指導者であろうという予想はつく。しかし、そこには見事な発想と構成力がある。降参しないわけにはいかないのである。

近江学園の出品作



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