ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

「異境の中の故郷」上映会と鼎談のご案内(3)

2015年04月11日 | 游文舎企画
 温又柔さんは1980年台湾に生まれ、1983年両親と共に東京に移住し、日本の教育を受けてきた人です。法政大学大学院でリービ英雄さんのゼミに所属し、2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作賞を受賞して作家デビューしました。
 私が最初に読んだのは「新潮」2014年2月号の特集「東京ヘテロトピア」――東京の中の“アジア”を旅する参加型演劇作品――の中の4つの短編でした。短いセンテンスを連ねた文章は、抑制が効き、それでいて内にある熱く強いものがひたひたと迫ってくるようでした。中でも「アジア、日本、トーキョー」は、Fikcia国という架空の国に生まれた主人公が、母が生まれた東京に来て、中国人留学生だった祖父が暮らした〈新星学寮〉を訪ね、その歴史を辿ると共に、漢字にも大きな関心を寄せ、そこから日本、中国、アジアへと思いを巡らせます。Stelaと名乗り、漆黒の瞳を持つ母が神秘的で、ゆらゆらと国境線を溶かしてしまうような不思議な味わいのある作品でした。
 「好去好来歌」は「来福の家」とともに『来福の家』として2011年に集英社から刊行されています。いずれも作者を思わせる、中国語、台湾語、日本語が飛び交う家庭に育った若い女性が主人公で、私は一対の作品のように読みました。
「好去好来歌」は、中国留学を目指す日本人の若者と交際し始めた主人公が、子供の頃から感じていた小さな違和や被差別を回想し、苛立ちを母や恋人にぶつけながら言語やアイデンティティーの問題に向き合っていきます。
「来福の家」では、きちんと中国語を学ぼうと専門学校に入学した主人公が、日本人と結婚した姉の家族や、台湾から来日した親戚との交流を通して差異を意識しつつ、わだかまりを溶解させていきます。
 等身大の女性像を描きながら、背景には祖父母の代には日本語を強制され、両親の代には中国語(北京語)を強制された台湾の歴史がしっかりと書き込まれています。しかも日常の会話を多用しながら、表記は日本の漢字、簡体字、台湾で使われている繁体字、ひらがな、カタカナ、アルファベットと、目が眩むようです。さらに漢字を中国語に読み替えたときの新鮮な響き。読み手の視覚と聴覚をフルに駆動させながら、日本語=日本人の自明性を揺さぶり、言語の豊かさを堪能させてくれるのです。(霜田文子)