フッキーの HAPPY!! ノルディックウォーキング&イングリッシュ ライフ

東京港区フッキーの、楽しく・ハッピーな「ノルディックウォーキング」と「イングリッシュ」ライフをご紹介

生涯現役脳とノルディックウォーキング!

2011年07月31日 | 日記
日本は、国土の約7割が樹々に覆われた森林大国、
同時に「植林大国」でもあります。

今、私たちが目にする森の多くは(森林面積の約4割)は、実は戦後植えられたものです。

戦中に山々は乱伐され禿げ山だらけになりましたが、そのままでは大規模な洪水が起こります。
また、復興にスギやヒノキなどの木材が大量に必要と思われたことなどから、こうした大規模な
「造林」が行われました。

ところが、いざ植えた樹々が育ってみると......。現存、木材需要は激減してしまっています。
輸入材との競争もあり、1955(昭和30)年に9割超だった日本の木材自給率は、
今や3割にも達していません。

フッキー自然大学で学びました。今でも自然大学での学びは、
自然界を講義と郊外学習の二本立てで学び、海馬の細胞を増やし続けました(笑)

50歳、60歳からの再学習が脳をますます発達させます。
好奇心こそが脳を何倍にもバージョンアップさせる起爆剤です。

再学習で、なぜそれほど人生が変わるのか?
変わります。

「勉強が遊び」ということは、子供のころの”おもちゃ箱”をひっくり返してみるような行為です。
しかしそうやって新しい学びをすると、こんどはそれが、自分が専門的に研究している加齢学と
ノルディックウォーキングの分野と密生に関わってくるのです。
フッキー
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荷風の三田をノルディックウォーキングで往く

2011年07月30日 | 日記
森をつくり、、森とつながる
2011年は「国際森林年」
今、世界中で、そして日本中で森とどう接していくかが見直されています。

「大学のある街と永井荷風」と言えば、三田。
フッキーのお家から近いので、ノルディックウォーキングしてきたよ。

永井荷風は森鴎外から推薦で、30歳にして慶應義塾大学部文学部文学科の教授に就任、
”三田文学」を創刊するなど36歳まで勤め、この間、大学周辺の風景を作品に残しました。

荷風が歩いた昔日の三田界隈をノルディックウォーキング。
慶應義塾の仕事帰り、荷風教授、猫塚発

猫騒動とは、有馬中務大夫頼貴(なかつかきたいふよりたか)の側女が女中たちから嫉妬されて
自殺したことから、飼い猫が復習、やがて怪猫として次々と騒動を起こし、ついに有馬家のお抱え
力士に討ち取られたーという言い伝えで塚がいつ、何のためにつくられたのか今となっては定かでない

旧三田小山町で最も昭和っぽい建物を見つけたよ!
知る人ぞ知る小山湯、田舎の湯治場のような風情で、大正10年(1921)ごろ開業、
3年前の1月に廃業した。

小山町の建物はまだあるものの、路地沿いに並んだ近所の低い家並みは少々あるものの、
残念ながら代わりに高層マンションがそびえている。

猫塚は赤羽小に残されている。まさに、かつて有馬ガ原が広がっていた場所。
驚くべきものを、もう一つ教えてもらったよ。「老樹」が現存しているというのだ。

校庭にそびえる椋の巨木です。樹齢、実に250年以上。つまり、
有馬邸があった頃にはすでにここで根を生やしており、猫騒動が現実に起きたことなのかどうか、
この巨木だけが知っているというわけ。

アァ!増上寺盆踊りに行ってきました。
子供頃、 田舎でゆかたを着てもらって、お寺の境内で踊るのが大好きでした。
フッキー
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盆踊りとノルディックウォーキング!

2011年07月29日 | 日記
森をつくり、森とつながる
2011年は「国際森林年」
今、世界中で、そして日本中で森とどう接していくかが見直されています。

広島と大阪から帰ってきました。
みなさんに報告をしなっかために、たくさんの友達を落胆さしてしまいゴメンナサイ(泣)

ほんとうは昨日から長野の民宿に泊まって、燕岳連峰を登る予定だった。
親友リーダーが急遽不整脈! フッキー朝のノルディックウォーキングに登山靴を履いて特訓中だったのだけど。次回の夏山を楽しみにしていま~す!

今日から3日間、増上寺の盆踊りです。
早朝ノルディックウォーキングの時境内を見ると、すごく高いやぐらが組まれて準備万端です。

東京での大きな盆踊りは初めてです!

早朝のもみじ谷は小雨のためか、”しっとり”と緑がキレイだったよ。
18鍛鎖をやった後、帰ろうとしたらある夫人が近づいていらして、
「そのポール、近頃よく見かけるけど......何の効き目があるの?」って突如の質問。

「下半身ばかりでなく、上半身も運動になりますよ。」と答えたら、「そんなはずは無い!」と抵抗。
「ポールを持つことで、上半身を鍛えることができるのですよ。」「エェ~」不信のご様子。

運動はある程度の期間が必要ですし、すぐ成果をみせるわけにはゆかず......
それにハッキリ応えられないフッキーがもどかしかった。

「ノルディックウォーキングの特徴は体幹部(コア)の回旋です。
体幹、コアとは体の深部にある筋肉を強化するのです。」って言ったて解ってもらえないし.......

首、肩ほぐし、二の腕、胸部、腹部、背部の強化ですって言っても.......
”自分の体は自分で治す!”って言いながら、ノルディックウォーキングで帰ったよ。
フッキー

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フラメンコの情熱とノルディックウォーキング!

2011年07月28日 | 日記
森をつくり、森とつながる
2011は「国際森林年」
今、世界中で、そして日本中で森とどう接していくかが見直されています。

情熱と迫力を踊るフラメンコ!
立教大学の清里合宿でフラメンコを披露するため、猛特訓!

なにせ我がゼミ長!30年のフラメンコ経歴!
ドヒャ!ビックリした!彼女の情熱とセクシーさ!

女性はアバニコ(扇子)を持って、男性はパリージョ(カスタネット)を持っての練習!
美しく、堂々としたフラメンコの立ち姿をマスター!

上半身と下半身の拮抗する力が強い立ち姿をつくる! アァ !難いぞ!
上に向かう力と下に向かう力の拮抗が、踊りにフラメンコ独特の重さと深さを与える

女性らしい優雅さや重厚さを表現するマノ(手)とブラソ(腕)。
肩、ヒジ、手首を連動、美しいマノとブラソの動かし方を練習するためアバニコを渡たされた!
フッキー今晩から特訓だ!


フラメンコで得られる嬉しい効果:
1)姿勢が良くなる
背筋が伸びた正しい姿勢は、フラメンコ舞踊の基本中の基本

1)ストレス解消になる
フラメンコは、そのときのストレートな感情や感覚を表現するもの。
自分の意思や感情を開放することができる。

1)肩こりが治る
胸の中心から大きくブラソを動かすので、肩や背中の血行が良くなって、筋肉もほぐれる

1)良い仲間ができる
自分らしさを大切にするフラメンコでは、仲間との会話も自然に本音トークに。

以上が本日フッキーの学んだ事です。ノルディックウォーキングと動きと効用に似ている思いました。
フッキー
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ノルディックウォーキングで「蝶々さん」英語版を購入に!

2011年07月27日 | 日記
野山の草花がのびのび育つ森を訪れるのは、野鳥や数々の虫たち。
彼らの存在そのものが、生態系サイクルを取り戻し、
やがて森は本来の姿へと形を変えていく........。

赤城自然園では、8月は薄紫色を帯びた、かわいらしくも上品な花を咲かせる
「レンゲショウマ」が見頃の季節です。

9月になると園内に群生するフジバカマの蜜に誘われて、
渡り蝶のアサギマダラが飛来するそうです。

フッキーはあさぎ色の美しいアサギマダラがの蝶が舞う姿を、
2年前四国の石鎚山を登っている途中見たよ! 自然界ってすごいよね!


「Madame Butterfly and Madame Tsuru Glover 」
「蝶々さん」はやっっぱりグラバー夫人!

“Madame Butterfly” which is set in Japan is an opera well-known all over the world.
The original short story upon which this opera is based was published 1897 by an American author,

蝶々夫人のモデルは、グラバー夫人のツルだった。
「蝶々夫人」は1897(明治30)年にアメリカ人のジョン ルーサー ロングが長崎に住んだ
姉サラ コレルから聞いた話を元に書いた小説で、異国情緒流行の波に乗り大人気となった。

国の重要文化財に指定されるグラバー邸は英国商人グラバーは幕末に長崎に来て倒幕派を支援し
伊藤博文など薩長の志士たちの海外への密航に協力、採算を度外視して武器の調達に協力した。
(今ゼミナールの仲間が西郷隆盛に研究に入っているよ)

グラバーは日本を会いして、慶応年間にツルと結婚、彼女を生涯の妻とした。
グラバー夫人ツルは、袖に蝶の紋がある着物を着ていたので、原作者ロング氏は小説に書いたらしい。

In fact, Tsuru as not geisha. Tsuru lived for love throughout her life.
実際のお蝶さんは死んでおらず、芸者でも無く、TomisaburoとHanaを育て、
グラバーのもと幸せだったツルの存在は軽視されてている。

ツルは1862年に山村 国太郎と結婚し、娘センを産んでいるが、
2年後1864年には離婚している。何故なのかなぁ~?
フッキー
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