<今日読んだ箇所>
「神学のよろこび、アリスター・マクグラス著」:57~66頁
昨日、私は、キリスト教信仰とは全人格的なものだと書きましたが、今日読んだ箇所に、「全人格的」という言葉が出てきました。
引用してみますね。
↓
「信仰は、神に対する信仰者の側の全人格的応答であり、逆に今度はキリストのほうでも信仰者に人格的に臨むようになるものなのです。」
まあ、信仰というものは、全人格的なものなのです。
知識だけじゃなく、感情や、心も含めて、全てで、神に応答すると言いますか、そのようなものなのです。
そのような信仰を持つと、キリスト(神)の方からも、人格的に接してくださると思います。
「神学のよろこび、アリスター・マクグラス著」:57~66頁
昨日、私は、キリスト教信仰とは全人格的なものだと書きましたが、今日読んだ箇所に、「全人格的」という言葉が出てきました。
引用してみますね。
↓
「信仰は、神に対する信仰者の側の全人格的応答であり、逆に今度はキリストのほうでも信仰者に人格的に臨むようになるものなのです。」
まあ、信仰というものは、全人格的なものなのです。
知識だけじゃなく、感情や、心も含めて、全てで、神に応答すると言いますか、そのようなものなのです。
そのような信仰を持つと、キリスト(神)の方からも、人格的に接してくださると思います。
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