混雑した山手線の車内で、荷物を隣に置き
ビールを飲みながら弁当を食べているおじさん
昔TV番組の「笑っていいとも」の中で、タモリが「おじさんはおじさんが嫌いである」と言っていたのが頭に残っている。「女の敵は女」と同じように、「男の敵は男」で動物的な本能からすれば、男同士はライバルであり戦う相手である。しかし相手によっては共同戦線を組み、同士になる存在でもある。散歩中の犬が吠えあうように、その動物的な本能からか、時として男は見ず知らずの男に対して敵対的な嫌悪感を持つことがあるものである。血気盛んな頃は肩が触れ合うだけで喧嘩になることもある。しかし40代50代になれば会社の中で調教され、家族も出来、そんな気力も陰を潜めて穏やかになってくる。しかし会社から外れフリーになってくると、またぞろ忘れかけた本能が復活してくるのか、世の中に対して不満が募ってくるようである。
例えば昨日の朝、山手線の車内のドアの前で座り込んでいる茶髪の若者を見た。「これで、まともな大人なのか!」、ムカッとし自分の中に暴力的な感情が立ち上がる。鶯谷駅に降り、出社にはまだ早いので途中のセブンに立ち寄り100円珈琲を買う。イートインコーナーで新聞を読みながら飲んでいると、3人のおじさんが手に手に珈琲を持って後ろのテーブルに座った。しかしその3人の話し声がうるさいのである。歳を取って耳が遠くなったのか、5~6m先にも聞こえるような大声である。それが気になり、まだ残っている珈琲を捨てて外に出た。セブンを出て会社に向かう途中、狭い歩道の上を自転車で走ってくるおじさんとぶつかりそうになる。「車の少ないこの道を、なぜわざわざ歩道を走るのか!」、自分の中でイライラが募って、にらみつけてしまう。
昔ならそれほど気にならなかったことが、最近は一つ一つが引っかかってくるのである。上に挙げた嫌悪感は、周りを気にしない自分勝手な振る舞いをする相手に対する怒りである。それともう一つの嫌悪感は、男性としての本能でライバル意識からくるものがある。たぶんそれは自分とは異なる価値観を持つ同性に向けられるのかもしれない。ちょい悪親父、おれ様男、虚栄心の強い男、、きざ、がさつ、無神経、慇懃無礼、お祭り男、そんなタイプの男性に対して、特に拒否反応が強く出てくるようである。
先日の昼休み、会社近くのカウンター式の喫茶店で本を読んでいた。そこに少し気取った50代の男性が入ってきて、私の隣の席に座る。その時点で私の中に少し違和感を感じたように思う。その客は珈琲を注文した後、カウンター内の女性店主と話し始める。聞くとはなしに話を聞くと、忘年会で仲間と一緒にカラオケを借り切って仮装で歌謡ショーをやることになった。自分は美川憲一のさそり座の女を歌うつもりである。その日のために色々と買い揃え、舞台衣装を作った。それがこの衣装だと言って、スマホに入れてある写真を女主人に見せている。しばらくその客の相手をしていた女主人が、突然私に話を振ってきた。
女主人、「お客さんはカラオケなど行かれますか?」
私、「いや私は音痴だからカラオケなど行ったことはありません。スナックで歌えとマイクを渡されてもほとんど拒否する方ですよ」
女主人、「そうですか、こちらのお客さん、今度美川憲一のような衣装を着て、さそり座の女を歌われるそうですよ」
嫌いなタイプの相手との会話に引き込まれ、その時点で私の嫌悪感はマックスに達していた。なぜなら私の拒否反応項目の何個かが重なっていたからである。
私、「そうですか、人には変身願望があるようですね。若い女の子のコスプレも似たようなものなのですかね」、「私はああいうのを見ると気持ちが悪くって、・・・・」
言わないでも良いのにと思いつつ、思わず口にでてしまった。
さすがに隣の客もムッとしたのか、「私など音を外せといわれても出来ないですね。音痴というのも一つの才能かも知れませんねぇ~」、と女主人に向かって話す。
それから私が席を外すまで沈黙が続いた。
大人気ないと自分でも思う。しかし引っかかってしまうと、やり過ごせない自分がいるのである。歳をとると、頑固、意固地、気難しい、短気、怒りっぽい、などと言われるようになる。自分を抑える能力が弱くなり、環境に順応することが難しくなるのである。だから「歳をとると丸くなる」と言うのは嘘で、もともとあった人格特徴がより際立ってくる「人格の先鋭化」が起こってくるようである。私の状況も自然の流れなのであろうが、できれば自分を制御できる力は保っておきたいものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます