60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

顔を見て人を選ぶ

2012年07月13日 09時36分03秒 | Weblog
 7月11日小沢新党が「国民の生活が第一」という党名で発足した。厚顔無恥な小沢一郎らしく、臆面も無くこんな名前を付けるものだと感心する。反増税、脱原発が旗印とか、これも取ってつけたような主張で、選挙目当が見え見えで白々しく思うのである。早速報道では、「自分の選挙が第一」の党名の方がふさわしいと皮肉られ、「一兵卒集団」とか「雑兵集団」と言われるほど人材不足の新党の船出である。したがって、世論調査では期待しないが80%と言うことらしい。当然の結果だろう。今日(13日)の日経新聞のコラムにこんなことが書いてあった。違和感の正体を探るとハムレットの中のせりふが思い浮かぶ、「ことばは天を目指すが心は地にとどまる、心のともなわぬことばがどうして天にとどこうか」。国民を大切にしているようでいて、結局はだしに使っている。だから言葉が目指すところに届かない、と。

 上の写真は3年前の衆議院選挙の時の民主党のTVコマーシャルである。鳩山・菅・小沢のトロイカ体制で、沈没寸前の日本を救う、というものであった。そして民主党が勝利して政権交代はなされたのだが、結果は今の政治の混迷である。では誰が悪いのか?と言うことになれば、私は、このコマーシャルを見て民主党に投票した国民にこそ責任があるように思うのである。この3人の資質を見抜けず、ただ彼らの言うことを真に受けて1票を投じたのは、誰あろう国民自身なのである。それを今になって後悔しても後の祭りである。民主党のマニフェストはこの3人が主導して作ったものである。3人がマニフェスト通りに世の中が変えられると本気で思っていたのなら政治家として無知無能であり、出来ないことが解かっていたのならば、これはもう詐欺である。国民はこの3人に乗せられたことになる。鳩山由紀夫は宇宙人と呼ばれ、史上最低の首相の評価である。小沢一郎は「金は力、数は力」と言ってはばからない金と権力の亡者であり、今は政治資金の問題で刑事被告人である。菅直人はイラ菅と呼ばれ短気で怒りっぽく、自分の感情を抑えることが出来ない独善的な小者であった。

 「うまい話は疑ってかかる」、これは人生を渡って行く時の鉄則であろう。どんな人の話でも必ず裏がある。それは言い訳だったり、自慢だったり、だましだったり、自分の意図どおりに、あるいは自分が有利になるように、話の内容に織り込まれているはずである。だから人の話は割り引いて聞かなければいけない。いわんや政治家の話など、ほとんど嘘だと思ったほうが正しいのである。政治家とは出来もしないことを平気で口にし、甘言をろうして自分に票を集めようとする人種である。だから、それに騙された国民が甘かったのである。企業の就職でエントリーシートをまともに信じる会社が無いように、マニフェストなど信じるに足らないものである。入社してしまえばそれまで、当選してしまえばこちらのものという人たちが、人に受けの良い話をするのは当然のことなのである。

 では我々は何を基準に人を選ぶのか?と言うことである。企業の面接官が面接の時、応募者の一挙手一投足を観察して判定すように、我々は政治家の普段の言動を追っておかなければいけないのだろう。しかし一般的には自分の選挙区の候補がどんな活動をしいるのかあまり知らないはずである。せいぜい選挙期間中にマイクを持ってガナリ立てているのを見るか、選挙ポスターで目にするぐらいがせいぜいである。先ほど書いたように、新聞などに載っている彼らの選挙公約など信じるほうが馬鹿である。ではどうするか?、まずはどの政党に属するのか?、彼らの親分(派閥)はだれなのか?、経歴はどうなっているか?、そして最後の決め手になるのは顔である。美人とかイケメンとか言うことではなく、いかに誠実な仕事をしそうな人物かを顔で判断するのである。「40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」という言葉がある。人間40年も生きていると、「顔」にその人の「生き様」や「考え方」が大なり小なり出るものである。だから候補者の顔をじっと見つめるのである。出来ればポスターより、生の顔の方がいい。後は自分のインスピレーションしかないであろう。

 私がまだ小学校の頃、おばあちゃんに「三白眼の人には気をつけろ、最後は裏切られるから、」と言われたことが未だに頭の中に残っている。(今になって考えれば人格とは何の関係も無いし、三白眼の人には失礼な話だと思う) そして当時はそのこと以外にも、おばあちゃんは、ことあるごとに人の表情からその人の内面や性格を類推する話を聞かされたように思い出す。明治生まれのおばあちゃんは人の言葉に頼るのではなく、人のしぐさや表情から判断し、人を知ろうとしていたのであろう。そんなことが小さい頃の私の中に刷り込まれたのか、私の趣味はいまだに「人間観察」である。だから、「人に騙されたら、それは自分の観察力が足らないと思え」、「騙されるのは騙されるほうにも問題がある」、と言うのが私の持論である。相手の目を見てじっと話を聞く、その時の話の内容などはどうでも良い。重要なのはその話ぶりや表情の中に、その人の心情を読み取ることことなのである。それを怠らなければ、自分の周りにどんな人がいようが、恐れることはない。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」である。

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