60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

父と息子

2011年08月12日 08時55分14秒 | Weblog
                        映画 「こくりこ坂から」

NHKのテレビで、『ふたり』〔コクリコ坂から・父と子の300日戦争〈宮崎駿×宮崎吾郎〉〕と言う
番組を見た。この夏公開されているスタジオジブリの新作アニメーション映画『コクリコ坂から』の
制作現場に密着し、映画制作を通して、父と息子の葛藤を描いたドキュメンタリー番組である。

今回の作品は、父親である宮崎駿が企画と脚本を担当し、息子の吾朗が監督を務めた二人の
合作と言える作品である。しかし、この父と息子の間には長い間、人知れぬ深い葛藤があった。
それは6年前にさかのぼる。鈴木プロディーサーの推薦で、吾朗はアニメーション映画監督として
『ゲド戦記』を作ることになった。しかし宮崎駿は「あいつに監督ができるわけがないじゃないか」と
指摘したうえで、「絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、何も分かっていない奴なんだ」と、
吾朗を厳しく批判した。さらに宮崎駿は吾朗を監督に推薦したプロデュサーの鈴木敏夫に対して、
「鈴木さんはどうかしている」と激昂したと言う。そこで鈴木氏が『ゲド戦記』に登場する竜とアレン
を描いた吾朗の絵を見せると、駿は黙り込んでしまった。しかし父親は息子を認めはしなかった。
そして『ゲド戦記』の制作に、宮崎駿は一切関わろうとはしなかったそうである。

2006年上映された『ゲド戦記』、それは興行的にはヒットしたけれど内容的には父の作品に遠く
及ばないと酷評された。ナウシカを彷彿させる荒れ果てた世界、ハイジを思い出させる日常描写、
過去に父が作った作品の繋ぎ合せのようで、自身の世界観が表現されていなかったからだろう。

番組は過去の」『ゲド戦記』の試写会のようすを映す。試写を見ていた宮崎駿は、見るに堪えない
という表情で試写室を中座してしまう。カメラは退出した宮崎駿を追いかけ、映画の感想を求めた。
「僕は自分の子供を見ているようでしたよ。やらなくても良かった仕事だと思うけど息子にとっては
絶対必要だったんでしょうね」、と語っていた。その後2年間、父は息子と口も聞かなかったという。

「監督をするのはこの一作だけだ」と言っていた吾朗だが、自分の中で納得できなかったのだろう。
映画への思いが燃焼できず、くすぶり続けていたのかもしれない。その後、新たな企画の提案を
出し続けたが、すべて却下されてしまう。その後3年間、吾朗は頓挫し続ける。「もう一度監督を
やらないと、自分が前にも後にも進めない。もう止められないんですよ」、そんな心境を語っていた。
そんな時、やはりプロデューサーの鈴木敏夫から『コクリコ坂から』の監督の話が舞い込んできた。
吾朗はその要請を受けた。その時、父の宮崎駿はあえて反対はしなかったようである。

吾朗は自分の子供時代を振り返って言う。周りが私を見るとき枕詞として、「あの宮崎駿の息子」
というのが着いて廻っていた。ここにいる私でなく、常に父と比べられる。「 あなたは私ではなく、
俺の親父を見ているのか」と言いたくなってくる。だから父の存在そのものがプレッシャーだった。
そして自分が大きくなるに従って、父から離れたいと思うようになった。父から離れた世界に行か
なければならないと思うようになった。できるだけ遠くへ。

「宮崎吾朗」、1967年生まれの44歳である。信州大学農学部を卒業後、建設コンサルタントや
環境デザイナーとして、公園緑地や都市緑化などの計画設計に従事していた。1998年三鷹の
ジブリ美術館が計画され、鈴木プロデュ-サーの要請を受け総合デザインを手がけることになる。
五朗は宮崎駿や実際に設計を担当する関係者を取りまとめ、宮崎駿のイメージに近いものをどう
やって実現するかに腐心してきたという。しかし駿の提案に対して、吾朗が法律上の問題を指摘
すると、駿は「なんでそんな法律があるんだ」と食ってかかるなど、親子の間で議論が絶えなかった。
そんな確執がありながらも3年がかりで開館にこぎつけた。その後2001年から2005年まで初代
館長を務めている。

吾朗をスタジオジブリに誘ったのはプロデューサーの鈴木敏夫である。ジブリの次期後継者として
目論見が有ったのか、それともアニメ制作の力を彼に見つけたのか、ジブリ美術館のプロデュース、
『ゲド戦記』の監督、そして今回の『コクリコ坂から』の監督と、プロデュ-サーの鈴木敏夫は常に
吾朗を応援し続けているように見える。

そんな中で始まった『コクリコ坂から』の映画作り、カメラは10ヶ月にわたって制作現場に密着し、
宮崎駿と宮崎吾朗を追い続ける。絵コンテを父に見せないようにし、干渉を排除しようとする息子、
用事もないのに現場に顔を出し、内容や状況をそれとなくチェックする父、幾度も衝突する父と子、
カメラは2人の葛藤を丹念に追って行く。映画の主人公「海ちゃん」のキャラクター設定をめぐって
始まった壮絶なバトル、途中公開延期の危機さえ訪れた。そして3月映画制作の山場で起こった
東日本大震災。 映画の公開は崖っぷちの状況に追い込まれていく。70歳にしてなお映画への
情熱をたぎらせる父、偉大な父と比較される宿命を負いながらも挑戦を続ける息子。ぶつかり合い
反発しながらも「映画を創る」という同じ目標に向かって情熱を燃やす父と子、ドキュメンタリーは
そんな親子の赤裸々な感情を映し出していた。

宮崎駿は吾朗の仕事ぶりを見て、息子批判をする。

「あんな魂のない、フヌケな絵を描いてもしょうがないんだよ」
「あいつは、まだ自分の世界が固まっていないんだ」
「あいつには、分んないんだと思う。本当は演出をやめた方が良いんです。吾朗には向いていない」
「やりたいというのと、やれるのは違うんだ。監督ってそんな半端な仕事じゃあないんだって、
本当に自分を追い込んで、本当に鼻血がでるまで追い込むこと、それができるかどうかなんだよ。
それで初めて何かが出てくる。それでも出てこない奴もいっぱいいる。出てこない奴の方が多んだ」

一方映画制作の責任者としての宮崎吾朗は自分の苦悩を正直に語っている。

「どう描いたら、命の宿った魅力的な主人公になるのだろうと、四六時中考え続けている」
「これでいいんだという確信が持てないんですよ」
「今回のこの新作に、私は監督生命を掛けているんです」
「絵コンテは父には見せない。父が見れば何か言いたくなるでしょう。それによって自分がぐらつく」
「こうやるんだぞって、手取り足とり教えられ、与えられたものでやれと言われれば、やっぱりそれの
方ができそうな気がするけど、やっぱりそれでは、だめなんですよ」
「やっている自分が楽しくないんです」(そんな映画を観客が楽しめるのか?との反省)

そんな膠着状態の中で、父宮崎駿が1枚の絵を描き吾朗に示す。その絵は1963年当時の横浜の
郊外を主人公の「海」が学校に急ぐ姿が描かれていた。セーラー服で右手にカバンを持ち、前のめり
になりながら、大股でスタスタスタスタと歩く姿。そこからは「海」の直向きな姿が見て取れる。
1枚の絵の中に、当時の空気感、主人公の性格や心情までもが折り込まれているようにも思われる。
それが切っ掛けになったのか、吾朗の中のキャラクター設定が明快になり作業は一気に動き始めた。

      
                         宮崎駿が描いた絵

映画発表後の吾朗の談話がネットにあった。
今回の作品、父と共同制作だけにやはりやりにくかった。親子だけにお互いに冷静になれなかった
ところがあります。脚本段階で既に自分のイメージが完成している父から様々な注文がありました。
例えば当時の風景を描くにあたって「大事なのは松の木だ」、「当時は赤松がいっぱいあったんだ」
「時代の空気とか美しさをどう伝えるかを考えろ」とうるさく言われた。「こんちくしょう」と思いながらも
貴重な意見だから取り入れたりする。映画の世界を作るという意味では、父の右に出る人はいない。
だから途中から素直に父の言うことを聞こうと思うようになりました。
頭の中のイメージを紡いでいく父、一方の私はスタッフや鈴木プロデューサーの意見を聞きながら、
制作を進めていく「チーム型」の仕事になっていったように思います。父は作家かもしれないけれど、
僕は自分のことを作家とは思えない。父は作品を作っている時だけが生きている時、闘う男であり
続けることが、生きていくことになっていると思うんです。この人はこういう生き方しかできないから、
それでやるしかないだろうって思うんです。だって無理ですもん、今から変えられないから、
前作の『ゲド戦記』で「これ1本で良い」、と思っていた自分は今回の作品を仕上げて、今後も作品を
作って行きたい気になりました。やっとスタート地点に立ったという気分です。

父と息子「精神的に一度父親殺しをしなければならない」 ということが心理学の本に書かれている。
女性とちがって、父親と息子の関係には、どこかにそうした危ういものをはらんでいるところがある。
なんらかの方法で、精神的にでも、父親殺しをしないと、乗り越えられない・・・。そういうものだろう。
折り合いをつける、とか、乗り越えられるなにかを持つとか。そうでもないと、いつまでも自分の上に
父親が君臨し続ける。そんな関係が、子にとっても親にとっても続くわけである。それが同じ集団の
中に居合わせると、より顕著なものになるようである。同居の父と息子、中小企業の経営者と息子
伝統職人とその後継の息子、動物世界のリーダー争いではないが、その集団の中では2者は並び
立たない。どちらかの雌雄が決するまでは親子の葛藤は続いていくのであろう。宮崎駿は年老いた
といえども、ジブリにおいては圧倒的な力を持つ。今回の共同作品で親子で、ある程度の折り合いが
着いたのであろうか?宮崎吾朗の次の作品、どんな作品になるのか楽しみである。

                

                     

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