60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

寿命

2015年10月09日 08時38分17秒 | 日記

  先々週、以前勤めていた会社の親睦会があった。集まったのは63歳から74歳までの10人である。年3回程度の集まりであるが、今回は1人が病気で欠席した。彼は脊椎カリエスの病を抱えていて病状が思わしくないと言う。出席した中にも脊髄性白血病の者がいる。昨年それが判明したが、高年齢になってからの化学療法や肝細胞移植は無理ということで、今は無治療だそうである。幸いにも進行が遅く今は様子を見ながら普通の生活を送っているという。

 その前の週は地方に在住の大学時代の同級生が上京してきた。それに合わせて在京者が急遽8人集まった。近況報告の中で、今年になってから同級生2人が亡くなったという。そしてこういう席にはいつも出席していた常連の中に、2年前に肺がんで肺の1/4を切除した友人がいる。最近再発し、今は抗がん剤を使い入退院を繰り返しているということで、今回は欠席になった。

 先週土浦に住む兄から「久しぶりに会おう」とメールがある。飲み屋の席に着いてお互いの近況を話した後、兄は女房(兄嫁)にガンが見つかったのだと話をし始めた。今年になって腰が痛いとマッサージを繰り返していたが、改善しないので病院に検査に行った。その検査で肺腺がんが見つかったそうである。すでに骨まで転移していてステージⅣの状態だと言う。肺には3ヶ所ガン見つかり、すでに転移しているから手術は無理ということで、抗がん剤治療になった。

 最初に投与した抗がん剤が身体に合わなかったのか、数値に異常が出て途中で中断した。ある程度の回復期間を置いて、来週から入院して再度の抗がん剤投与が始まるそうである。子供たちにもオープンにし、今は自宅で自分の衣料などを片付けているそうである。私の1才年上の義姉で、身内の兄弟や従兄弟の中では初めての深刻な状況になった。今義姉は何を思い何を考えているのか、そう考えると胸が締め付けられるようである。いよいよ親の代から我々の年代に、その時期が近づいたことを実感する。さあ、自分なりに心構えと覚悟をしておかなくては、そう思い直す一連の状況である。

 先月の「敬老の日」のニュースに、65歳以上の高齢者は3384万人で、総人口に占める割合は26・7%となり過去最高を更新した。また80歳以上は1002万人で、初めて1000万人を超えた。というニュースが報じられていた。このニュースの言わんとすることは、日本の年齢別分布で高齢者の比率が年々増えていく、ということなのだろう。しかしすでに70歳を超える私は少し違うとらえ方になった。65歳で3300万人が80歳では1000万人と言うことは、その15年で2200万人が死んでいるということである。その年度の出生人口が違うから単純に比べるわけにはいかないが、その間に約70%の人が亡くなっていくという事実である。

 働き終えて65歳から平均寿命の80数歳まで、人はこの間に先を急ぐように鬼籍に入っていく。あたかも自動車が耐久年数を迎えたようにである。自動車の場合はどこか不具合が生じたケ所が原因になって、全体の機能が失われる場合が多い。又雑に乗っていればやはり壊れるのも早いように思う。私自身を車に例えるならば、今は特に不具合な場所はなく、比較的バランスはとれているように思っている。あとは、走れるうちはゆっくりドライブを楽しめれば良い。走っているうちに致命的な故障が発生したら、もうその時は修理はせずに廃車にしたいとも思っている。







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