60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

仏像

2018年02月09日 08時44分54秒 | 日記
 お正月に妻の実家に行ったとき、床の間に仏像が置いてあった。昨年11月に義母がなくなったから、同居している末の娘が置いたのであろう。この仏像、元々は私が持っていたものである。それが紆余曲折あって今ここにある。話せば長くなるが順序だてて書いてみる。
 
 私が独身時代の27か28歳の頃、会社の研修旅行で台湾に行ったことがある。研修と観光が半分づつで移動は全てバス、行く先々で土産屋に立ち寄る。私はお土産を買うタイプではないので、店内をぶらぶらしながら皆が買い物する様子を眺めていた。そのとき棚の上にポツンとあったこの仏像が目に止った。大量生産されたお土産でもないし、雰囲気が中国風の仏像とも違うように感じる。興味が湧いて店員に棚から下ろしてもらい値段を聞いた。しかし普通のお土産品と違い、かなり高い値段を言われたように思う。値切ってみたが、相手も譲らず物別れになり買わずにその場を去った。その後も店内をウロウロしていたが、やはりあの仏像が気にかかる。再びその場に行って再交渉、結局当時のお金で1万円前後(今の価値で3万円程度か?)で買ったと記憶している。
 
 まだ20代の私に信仰心があったわけでも、仏教や仏像に興味があったわけでもない。では何故買う気になったのだろうか、後でその動機を考えた。思い当たるとすればTVで見た宮本武蔵のドラマに影響されたのだろう。宮本武蔵が京都一乗寺下り松で、吉岡一門との決闘で多くの門弟を切ってしまった。その後逃走しある農家の納屋に隠れ、一心不乱に仏像を彫るシーンがあった。そのシーンが印象深く残っていて、同じような仏像に惹かれたのかもしれない。買って帰ったものの一人身の小さなアパート、置く場所も無く整理ダンスの上に置いておいた。
 
 それから2、3年後、突然私のアパートに母が尋ねてきたことがある。当時母は三男(私の下の弟)を交通事故で亡くし、その後も悲しみが癒えることもなく鬱々とした日々を送っていたと思う。たぶんその気持ちを紛らわすために、東京の私のアパートまで来たのであろう。来てもどこに行くわけでもなく、私が会社に行っている間、部屋を片付けたり洗濯をしたり、夕食を作ってくれて2~3日して帰ったように思う。ただ帰るとき整理ダンスの上にあったこの仏像を胸に抱え、「これ私に頂戴よ!」と有無を言わさず持って帰っていった。
 
 その後の母の手紙にはこの仏像のことがしばしば登場するようになった。この仏様は弟の位牌がある仏壇に飾り、毎日欠かさず手を合わせているとか、法事で来たお坊さんが仏像を見て、「この仏像には魂が入っていない」と、何やらお経を唱えたあと「渇!」と言って魂を入れたとか、この仏像でどれほど私の気持ちが救われたことか、そんな内容の事が書かれていた。その後1~2年してから母は父と一緒に上京し、上野の仏具街で自分の気に入った小さな観音像を買い、2つ並べて仏壇に置いていた。
 
 さらに時は経ち私が結婚して5~6年した頃、まだ60代だった義父が亡くなった。葬儀が終わりしばらくして、たまたま九州の出張の帰りに、私は下関の自分の実家に帰ったことがある。その折り母が布に包んだこの仏像を私の前に置き、「この仏様を貴方の手から、お義母さんに渡して欲しい」と言う。母は自分の体験から夫を失った義母の悲しみを思い、それを癒してくれるものとしてこの仏像を渡す気になったのだろう。言われたとおり私は義母にこの仏像を渡した。義母の心の内は聞いていないが、しばらくは仏壇に飾られていたように思う。小さな仏壇で置き場が無かったのか、そのうち茶箪笥の上に置かれて時は過ぎていった。
 
 今回義母が亡くなった時に、この仏像は茶箪笥の上から床の間に移動していた。たぶん義妹はこの仏像の経緯は知らないであろう。しかし母を失った義妹の喪失感はやはり大きく、この仏像にすがる気持ちも有ったのではないだろうかと思う。お正月に義妹と話したとき、16年という長い間病床の義母の面倒を見ていても、いざ亡くなってしまうと、もう少し頻繁に見舞いに行ってやるのだったとか、あの時こうしとけばという後悔が残ると言う。そして遺骨の前でただただボンヤリしている自分に気づくことがあると言う。
 
 人は自分の心の支えを失ったとき、大きな喪失感に襲われる。また困難な状況になったとき、だれかにすがりたいという気持ちが大きくなるだろう。そのすがりたい気持や、癒しの気持ちを受け止めてくれるのが仏像なのであろう。ドラマの中で宮本武蔵が大勢の人を殺め、その自責の念から仏像を彫った。その思いに影響され私は仏像を買った。それ以降その仏像は人の手を渡り繋いでいく。台湾の名もない彫刻家の作品が日本で私の家族たちの心を癒してくれた。なんとも不思議なつながりのようなものを感じてしまう。
 
 
 

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