
もう30年も前の話、ファミレスのデニーズに入ったとき、「ようこそデニーズへ」と言う挨拶を聞いた。
それは今までの対応と違っていて、違和感を感じたものの、ある種のさわやかさもあったように思う。
その頃からだろうかマニュアルということが言われるようになったのは、一番マニュアル化が徹底して
いると言われたのがマクノナルド、人員配置からアルバイトの出勤管理、作業手順から接客の
受け答えまで、すべてがマニュアル化されていて、さすが外資系と言われていた。
それ以来、日本の企業もそれに習ってマニュアル作りが行われるようになったように思う。
コンビニエンス、スーパーのレジ、百貨店の販売員、喫茶店やレストランのウエイターやウエイトレス、
アルバイトやパートさんなどを大量に使うサービス業において特にそんな流れが顕著になっていった。
時代の流れとともに個人のお店が淘汰され、企業によるチェーン化されたお店が巾を効かせて行く。
そして、ほとんどのお店が画一的で均質な接客になって行ったように思うのである。
先日夜、ローソンに入ったら、「いらっしゃいませ今晩は!」と声がかかる。最近この言葉をよく聞く。
ある1人の店員が、入店するお客さん一人ひとりに「いらっしゃいませ今晩は!」と大声で声をかける。
その声が狭い店内に響き耳に付いて仕方がない。「バカの一つ覚え!」急に不愉快になってくる。
こんな耳障りな言葉を発するのであれば、無言の方がはるかに良い、そう思うのである。
毎日毎日、買物をしたり、飲食のために店に入ったりすると、否応なしに接客ということに出会う。
郊外型の寿司屋に行って、注文すると注文する都度「ガッテンです!」と言われる。
店の名が「がってん寿司」だから言わせるのであろうが、これを言うことに何の意味があるのかと思う。
駅前の飲み屋で注文するとアルバイトの女性が「よろこんで!」と大声で言って注文を受ける。
これを言う従業員も、これを聞くお客も何となく気づまりな感じがする。もう2度と行く気はしない。
あるラーメン屋で注文をすると「一生懸命頑張って作らせていただきます」と大声で言われた。
もうこうなるとメイドカフェで「お帰りなさいませご主人様」と言われているのと大差ないように思う。
「お客様は神様」に見立て、売る側がした手に出ることで、お客さんに優越感を持ってもらおう、
そういう演出なのかもしれない。そしてこれが優れた接客マニュアルだと勘違いしているのであろう。
私はもうこんな心にもない表面だけの対応はうんざりである。反対に腹立たしくなってくるのである。
こういう風に感じるのは私だけなのだろうか、それとも私に柔軟性がないからなのであろか。
接客とは人と人との接点である。だから優しく、やわらかく、自然に接したいものだと思っている。
特に気負うことなく自分なりの自然なスタンスで良いと思う。人には器用な人も不器用な人もいる。
不器用は不器用なり、仕事に対しての一生懸命さが見えればお客さんは納得するものである。
奇をてらったり、手抜きをしたり、言葉だけになったり、そんなことはお客さんには直に判ってしまう。
一生懸命であれば、言葉が違おうが、釣銭が違おうが、待たされようが鷹揚でいられるように思う。
「誠意を持って接する」、接客だけではなく、これが人間関係の王道ではないであろうか。
私は最近はネクタイを買う時、池袋駅構内にある小さな衣料品店と決めている。
そして、その店で働く白髪の初老の店員さんがいるときだけ、その店に立ち寄ることにしている。
彼はセーターをたたみ直したり、ハンガーの商品を掛け直したりしながら何時も動いている。
私が店内でネクタイを見て回っていても決して声をかけたりしない。しかしいつ声をかけられても
良いような距離保ちながら、そしらぬ顔で黙々と作業をしているように見える。
「すいません」と声をかけると作業を止めて近づいてくる。 「今着ている背広にはどんなネクタイが
合いますかね?」自分が選ぶものは変わり映えしないと思うから、最近はほとんど人任せである。
彼は少し離れたところから私を見つめた後、陳列されている棚の端から端まで商品を見て回る。
そして1本のネクタイを選ぶ。「紺色ですから、基本的にはどんな色を選んでも良いのですが、
今から夏に向いますから、こんな色がさわやかで良いと思いますよ」
そう言いながらネクタイを結んで手渡し、ガラスケースの上にある鏡をこちらに向けてくれる。
私が首に当てて見ている間、彼は又陳列棚に向かい、今度は2本のネクタイを持って来る。
「あと、こんな色も良いと思いますね」結局私の前に3本のネクタイが示される。
どれも自分であれば選べない柄である。その3本の中から私は1本を選び買うことにする。
この店の何がいいのだろう?なぜここでネクタイを買いたいと思うのだろう。
私は自分にないセンスを彼に求める。求められた彼は喜々として私のために商品を選んでくれる。
この背広に合う色を、顧客に合うデザインを自分の経験とセンスを総動員して一生懸命である。
こんな雰囲気を感じると、頼んだ私もうれしい。頼まれた方も自分の存在感が確認できるはずだ。
結局、接客とはこんな顧客満足度が基本になるのだろうと思う。
そのためにはマニュアルはいらない、マニュアル的な対応は返って人との間に壁を作るように思う。
接客に必要なのはその人の誠意と努力とセンスや対応力ではないだろうか。
100年に1度の不況の中で生き残り、これから再び伸びていくのはマニュアル化された店ではなく、
個性的でナチュラルな品揃えやメニューを持ち、暖かく自然な接客ができるお店であると思いたい。
それは今までの対応と違っていて、違和感を感じたものの、ある種のさわやかさもあったように思う。
その頃からだろうかマニュアルということが言われるようになったのは、一番マニュアル化が徹底して
いると言われたのがマクノナルド、人員配置からアルバイトの出勤管理、作業手順から接客の
受け答えまで、すべてがマニュアル化されていて、さすが外資系と言われていた。
それ以来、日本の企業もそれに習ってマニュアル作りが行われるようになったように思う。
コンビニエンス、スーパーのレジ、百貨店の販売員、喫茶店やレストランのウエイターやウエイトレス、
アルバイトやパートさんなどを大量に使うサービス業において特にそんな流れが顕著になっていった。
時代の流れとともに個人のお店が淘汰され、企業によるチェーン化されたお店が巾を効かせて行く。
そして、ほとんどのお店が画一的で均質な接客になって行ったように思うのである。
先日夜、ローソンに入ったら、「いらっしゃいませ今晩は!」と声がかかる。最近この言葉をよく聞く。
ある1人の店員が、入店するお客さん一人ひとりに「いらっしゃいませ今晩は!」と大声で声をかける。
その声が狭い店内に響き耳に付いて仕方がない。「バカの一つ覚え!」急に不愉快になってくる。
こんな耳障りな言葉を発するのであれば、無言の方がはるかに良い、そう思うのである。
毎日毎日、買物をしたり、飲食のために店に入ったりすると、否応なしに接客ということに出会う。
郊外型の寿司屋に行って、注文すると注文する都度「ガッテンです!」と言われる。
店の名が「がってん寿司」だから言わせるのであろうが、これを言うことに何の意味があるのかと思う。
駅前の飲み屋で注文するとアルバイトの女性が「よろこんで!」と大声で言って注文を受ける。
これを言う従業員も、これを聞くお客も何となく気づまりな感じがする。もう2度と行く気はしない。
あるラーメン屋で注文をすると「一生懸命頑張って作らせていただきます」と大声で言われた。
もうこうなるとメイドカフェで「お帰りなさいませご主人様」と言われているのと大差ないように思う。
「お客様は神様」に見立て、売る側がした手に出ることで、お客さんに優越感を持ってもらおう、
そういう演出なのかもしれない。そしてこれが優れた接客マニュアルだと勘違いしているのであろう。
私はもうこんな心にもない表面だけの対応はうんざりである。反対に腹立たしくなってくるのである。
こういう風に感じるのは私だけなのだろうか、それとも私に柔軟性がないからなのであろか。
接客とは人と人との接点である。だから優しく、やわらかく、自然に接したいものだと思っている。
特に気負うことなく自分なりの自然なスタンスで良いと思う。人には器用な人も不器用な人もいる。
不器用は不器用なり、仕事に対しての一生懸命さが見えればお客さんは納得するものである。
奇をてらったり、手抜きをしたり、言葉だけになったり、そんなことはお客さんには直に判ってしまう。
一生懸命であれば、言葉が違おうが、釣銭が違おうが、待たされようが鷹揚でいられるように思う。
「誠意を持って接する」、接客だけではなく、これが人間関係の王道ではないであろうか。
私は最近はネクタイを買う時、池袋駅構内にある小さな衣料品店と決めている。
そして、その店で働く白髪の初老の店員さんがいるときだけ、その店に立ち寄ることにしている。
彼はセーターをたたみ直したり、ハンガーの商品を掛け直したりしながら何時も動いている。
私が店内でネクタイを見て回っていても決して声をかけたりしない。しかしいつ声をかけられても
良いような距離保ちながら、そしらぬ顔で黙々と作業をしているように見える。
「すいません」と声をかけると作業を止めて近づいてくる。 「今着ている背広にはどんなネクタイが
合いますかね?」自分が選ぶものは変わり映えしないと思うから、最近はほとんど人任せである。
彼は少し離れたところから私を見つめた後、陳列されている棚の端から端まで商品を見て回る。
そして1本のネクタイを選ぶ。「紺色ですから、基本的にはどんな色を選んでも良いのですが、
今から夏に向いますから、こんな色がさわやかで良いと思いますよ」
そう言いながらネクタイを結んで手渡し、ガラスケースの上にある鏡をこちらに向けてくれる。
私が首に当てて見ている間、彼は又陳列棚に向かい、今度は2本のネクタイを持って来る。
「あと、こんな色も良いと思いますね」結局私の前に3本のネクタイが示される。
どれも自分であれば選べない柄である。その3本の中から私は1本を選び買うことにする。
この店の何がいいのだろう?なぜここでネクタイを買いたいと思うのだろう。
私は自分にないセンスを彼に求める。求められた彼は喜々として私のために商品を選んでくれる。
この背広に合う色を、顧客に合うデザインを自分の経験とセンスを総動員して一生懸命である。
こんな雰囲気を感じると、頼んだ私もうれしい。頼まれた方も自分の存在感が確認できるはずだ。
結局、接客とはこんな顧客満足度が基本になるのだろうと思う。
そのためにはマニュアルはいらない、マニュアル的な対応は返って人との間に壁を作るように思う。
接客に必要なのはその人の誠意と努力とセンスや対応力ではないだろうか。
100年に1度の不況の中で生き残り、これから再び伸びていくのはマニュアル化された店ではなく、
個性的でナチュラルな品揃えやメニューを持ち、暖かく自然な接客ができるお店であると思いたい。
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