60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

2009年04月07日 09時34分34秒 | Weblog
東京の桜が満開になった。
「さあ、今年は何処に行ってみよう」毎年そんな風に思う。やはり桜は春の大イベントである。
物心ついて60年ぐらいだから、毎年桜を見てもその機会はわずか60回しかなかったことになる。
しかしそんな感覚はなく、もう自分の中では何百回も桜を見てきたような気がするのである。
それは毎年々桜を心待ちにし、あちらでもこちらでも咲いている桜に気持を奪われてきたからだろう。
自分の中での最初の桜の記憶は、何の変わり映えもしないが、小学校の入学式の時の桜である。
その時は父だけが付き添って来た。父が私と学校に来たのはその時だけ、それ以降は小学校にも
中学校にも一度も来た記憶はない。今思うと母に下の弟が生まれる寸前だったからかもしれない。
小学校への長い坂の両側と、運動場のぐるりに満開の桜の花がひらひら舞っていた記憶がある。
入学式、父親、そして桜、この3つがセットになっているから鮮明に記憶されているのであろう。

それから以後の桜は年代は定かではないが、記憶の中から芋づる式に思い出すことができる。
子供の頃は家族全員で市内の日和山公園へ、重箱につめたお弁当を持って行ったこと、
春休みには時々母が市内の火の山公園へ兄弟を3人を引き連れて桜を見に行ったこと、
春休みに行く母の実家の庭に大きな桜の樹があり、従兄弟達と登って花を取って遊んだこと、
中学校の桜の樹の位置、高校の桜の樹の位置、大学の友人たちと桜を囲んで酒を飲んだこと、
結婚し家族が出来てからは所沢の航空公園、西武園、東川などにお弁当を持って行ったこと、
その場所の桜の配置と座った場所など、そのシュチュエーションは今でも思いだすことができる。

最近は子供が大きくなったことや女房との不仲もあってか、一人で桜を見に行くことが多くなった。
そして桜が咲く頃には出来るだけたくさん見てみようと思い。東京近郊の桜の名所を見て回った。
上野公園、清澄公園、小石川植物園、神田川、目黒川、仙台堀川、野川、善福寺川、
井の頭公園、千鳥が淵、外濠公園、靖国神社、飛鳥山公園、中野通り、哲学堂、小田原城、
豊島園、六義園、国立さくら通り、権現堂(幸手市)、城山公園(香取市)、清水公園(柏)等々、
どこも桜の名所だけに、桜の本数も多く、そぞろ歩く人、宴会を催す人、屋台が出て賑やかである。
何百本という桜が一斉に咲く様はそれなりに華やかで、見栄えがし、いかにもお花見気分になれる。
しかし、最近は人ごみが煩わしくなってきた。人に圧倒されて桜に意識が向いていないように思う。
本数は少なくて良い、それより人の少ない静かな所で桜の風情を味わいたい、そう思うようになった。

そんなことから今年は日高市の「巾着田」へ行くことにした。ここは秋の曼珠沙華で有名である。
この時期は沿線は秩父の羊蹄山の芝桜にスポットが当たり、巾着田の桜は人気薄のようである。
西武池袋線の飯能で秩父線に乗り換え、2つ目の高麗駅で降りる。降りた人は数人であった。
巾着田までは駅から20分程度であるが、今日は大きく迂回し田舎道を歩きながら行くことにした。
車1台が通れるほどの細い田舎道、高麗川の土手の所々に桜の樹が川にせり出して咲いている。
樹の周囲は雑草に覆われ桜には近づけない。放り出されてもなお生き続ける桜は野性的でもある。
土手に根をはり何十年もこの場所で花を咲かせてきたのだろう。そうと思うと愛おしさを感じる。
ソメイヨシノは品種改良によって作りだされた1本の樹を挿し木で増やし続けたクローンだという。
上野公園の桜も、今この川沿いに咲く桜も100年前の1本の桜と同じ遺伝子を持つことになる。
そう思うと、連綿と続く命の不思議さとロマンとを感じて、このソメイヨシノの不思議さを思う。

1時間程度田舎道を歩いて、やっと「巾着田」に着いた。
巾着田は市内を流れる高麗川の蛇行で巾着の形の地形になっていることから名付けられたと言う。
その円形の川の土手に桜が咲き、内側の畑には菜の花が植えてあり、黄色の花をつけている。
桜のピンクと菜の花の黄色、なかなかの配色である。以前見た幸手市の権現堂の桜を思い出す。
やはり桜並木の両脇に菜の花が咲いて埼玉一の桜の名所との評判で、大勢の人が見に来ていた。
それに比べると少しスケールは小さいが、しかし人が少なくてのんびりとした雰囲気が貴重である。
桜と菜の花を見て土手を歩く。歩くうちに森山直太朗の「さくら」のメロディーが口をついて出て来た。

http://www.youtube.com/watch?v=qzQ4K83qjqc

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