寺坂棚田
17年前の12月、新潟にいた母が大腸がんで入院した。手術はしたものの、すでに肝臓に転移しいて翌年の9月に亡くなった。その間毎月のように見舞いに行き、それなりの覚悟はしていたつもりであった。しかし、いざ亡くなってしまうとやはり大きな喪失感がある。よく言われる「心にポッカリと穴が空いたような」やりきれない感覚である。その穴を埋めるために散歩を始めた。
最初は定期券が使える西武沿線の各駅に降り、散歩の本を片手に知らない街を一人で歩く。コースにある神社仏閣、道端や家々の庭に咲く花、時には大きな公園や名所旧跡、そんなものに意識が向いてくると、いつの間にか心の穴は塞がっていったように思う。それ以来、散歩の本を買っては東京都内、埼玉県、神奈川県、千葉県、遠く茨城県や群馬県さらに静岡県まで(全て日帰り)足を延ばした。歩きはじめて16年になる。
今回秩父巡礼を思い立ったのは、もう散歩の本に頼って、歩いてみたいと思うところが無くなってきたからである。秩父は10数回行っているから巡礼コースとダブルところは多い。しかし毎回毎回、「今回はどこを歩こうか?」と考えなくても良い。それと巡礼でご朱印を貰うのはスタンプラリーのように、歩く動機付けになるだろう。そんなことから9月から歩き始めたのである。
巡礼は秩父郊外の1番札所から始まり、次第に市街地に入り、また郊外に出て行く。番号が進むにつれて札所間の距離が長くなり、山道も多く巡礼の旅をしているという雰囲気を持ってくる。人家も人や車も少なくなり、農村風景の只中を一人で歩くようになると、広々とした空間の中の「自分」というものを感じるようになる。以前四国八十ハケ所巡礼の旅で、自分に向き合い自分を総括するようなドラマを見たことがある。たぶん旅で普段の生活から離れ、自分を取り巻いていた諸々の問題や繋がりから距離を置くことで、自分自身を客観的に見直すようになるのかもしれない。
しかし私の秩父巡礼の場合は、自分に向き合うのではなく、刻々変わる「今」(景色)と向き合っていたように思う。秋の暖かい日差しの中、昔ながらの民家が並ぶ道を、伸びやかな田園地帯を、時には山道の巡礼道を歩き続ける。人々の暮らしや庭に咲く花、道端に立つお地蔵さんにと注意が向く。そんな自分の生活圏にない空気感を新鮮なものに感じたのであろう。手にカメラを持って絵になる風景を探し、時々立ち止まってシャッターを押す。歩いている間中、意識は外を向いて自分のことを考える暇は無い。それは子供の頃、好きな事に没頭していた時に似ている。
歩くことで直ぐに疲れていたら、ここまで意識は外に向かないであろう。長年歩いてきたから、今は3万歩程度まではあまり疲れを感じない。だから雰囲気が良い道を歩いていると、いつまでも歩いていたいと思うことも多い。さらに写真の中からお気に入りの風景を絵にしようと思うから、風景に対してより意識が向き、いつも構図を考えるようになる。歩くこと、写真を撮ること、それを絵にすること、そのサイクルがそれぞれの趣味を補強し補完してくれている。そしてなによりの効用は歩くことで健康が保たれていることであろうか。歩くことを楽しめるということ、これは母が残してくれた遺産なのだと思うことがある。
以下、巡礼コースの中で絵にした10点です。

札所5番⇒札所6番 武甲山

札所5番⇒札所6番 寺坂棚田

札所8番法長寺付近

12番札所 野坂寺

29番長泉寺を終え武州中川駅

31番⇒32番 大日峠

32番⇒33番 菊水寺への道

32番⇒33番 菊水寺への道

33番⇒34番 赤平川

33番⇒34番 秩父市下吉田

今度は坂東三十三ケ所を歩いてみようとルートガイドを買った。1番札所は鎌倉の杉本寺から、13番に浅草寺があり、遠く日光の中禅寺からラスト33番は千葉房総半島の突端館山の那古寺まで・・・、年が明けてからの新たな目標ができた。
※年末年始でもあり又当方喪中でもありますため、しばらくブログを休ませていただきます。このブログを贔屓していただいた皆様に御礼申し上げます。再開のあかつきにはまたよろしくお願いいたします。では良いお年を・・・・、