イスラム過激派(IS)による攻撃が世界各地で激しくなり、直近の3か月に1000回を超える攻撃で3000人近くが死亡したというニュースもある。欧米諸国への不満に端を発し、貧困や格差社会への不満が要因なのであろうが、根っこには歴史的な宗教対立があるのだろう。十字軍(キリスト教)による聖地エルサレムのイスラム教諸国からの奪還に始まり、ユダヤ教とイスラム教、イスラム教の中でのスンニ派とシーア派、その中で派生したISと世界全体と言う風に・・・、そんなことから宗教を少し知ってみようと思い、「世界の宗教」がわかる本を数冊買って読んでみた。以下読んでみて私が宗教に思うことを書いてみる。
本来宗教は人を苦悩から救うものだったはずである。しかしその宗教が存在するがために、争いがより根深いものになっているように思える。それは自分の信じる神が絶対的もので、他の神を信じる者は異教徒として排除の対象になるからである。そのもっとも先鋭的な宗教がイスラム教なのかもしれない。イスラム教では神への帰依として1日5度の礼拝が義務づけられている。毎週金曜日と、年2回ある祝祭日の礼拝は集団で礼拝を行う事が決まりで、さらにラマダン月には日の出から日没まで断食が命じられている。そして一生に一度はメッカの巡礼が求められる。ここまで厳しい戒律のある宗教に属していれば、帰属意識も団結力も強くなり、一旦もめごとが起これば集団としての行動につながり、大きな争いにも発展しやすいのかもしれない。
宗教には一神教と多神教がある。唯一の神という概念を持つのが一神教でキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ゾロアスター教などで、多神教はヒンドゥー教、仏教などがある。また宗教の信者数を人口比に換算すると、おおむね3人に一人がキリスト教、4人に一人がイスラム教、6人に一人がヒンドゥー教、14人に一人が仏教徒の割合になる。ということで世界人口の6割程度が一神教のキリスト教(+ユダヤ教)とイスラム教が占めている。したがって当然この2強による衝突は必然のことかもしれない。
日本古来の宗教は神道で「八百万の神」という言葉通り、草、木、山などさまざまな神が存在する。6世紀に伝来した仏教も阿弥陀如来、薬師如来などさまざまな信仰の対象が存在する。そんな多神教的な要因から受け入れやすかったのか、今まで共存してきた。そして現在では生活の中で、あまり意識されないかたちで溶け込んでいる。現代の日本人は無宗教と言われるが、戒律が緩やかなため宗教に対して無意識あるいは無自覚なお国柄なのであろう。そんな歴史が幸いしたのか、我々は世界的な宗教対立には巻き込まれずに済んでいる。
私のように宗教に無自覚な日本人は口には出さないが、神なぞ存在しないと思っている。神を作り上げたのは人であり、それは人の弱さからであろう。生きとし生けるものは死を避けることができず、誰しもが直面しなければならない恐怖である。人は死んだ後、意識はどうなるのだろうかと、誰もが一度は疑問を抱いたはずである。出来ることならもう一度人間に生まれたい。そのためにはこの世で何をすべきか・・・・、天国や地獄のある死後の世界や生まれ変わりという概念は、人間の素朴な感情から生み出されたものであろう。一人で考えているだけでは宗教は体をなさない。同じ考えを持ち、それに同調し実践する集団になって、宗教が成立したのである。
人は死ねば意識は無くなる。死後の世界なぞ無いし、自分が再び自分として生まれ変わることも無い。これが科学的に考えての真実であろう。宗教は死後の世界にもストーリーがある。だから人は受け入れやすかったのかもしれない。死によって今までのつながりは途絶え無になる世界、それはなかなか受け入れがたい。ではどう考えれば良いか、自分の中でどう折り合いをつけるのかが問題なのである。
今私はこう考える。死ねば意識は無くなり、火葬によって僅かなお骨以外は空中に煙となって飛散していく。しかし物理的に言えば今まで自分を構成していた分子や原子はこの地球上から無くなることはない。またどこかで取り込まれて形を変えて存在していくことになる。空中に霧散した分子は雨になったり土くれになったりして、また草や木に動物に取り込まれるかもしれない。要は地球上に分散されて、また何かに活用されるのである。そういうことからすれば全てに神を見る多神教に通じるのかもしれない。
宗教は死に対する備えだけではなく、生きていくうえでの行動規範になり、人の精神的なよりどころであり、文化芸術を担う役割も果たしている。従ってただ単に宗教を否定するのは問題がある。人は社会的な生き物であるから、なにか「頼るべき正しい考え方」という概念の体系が必要なのである。権力者の思惑で解釈を変え分派を繰り返してきた今の宗教は、すでに制度疲労を起こしている。これに取って代わり、神という架空のものを前提にしない新たな概念を持たない限り、この世の中から争いはなくならないのだろう。