佐渡 宿根木
先週の土日、一番下の娘と佐渡に行ってきた。私にとってはこの旅行に3つの目的があった。一つは両親のお墓参り、お墓は弟夫婦が住む新潟市にあり、この5、6年はお参りを怠っていたから気になっていた。もう一つは娘の高速道路の運転練習、娘は自動車免許を取得して5年になるが高速道路を走ったことがない。そのため、「高速に慣れておきたいから一度同乗して欲しい」と言われていた。そしてもう一つが娘とのコミュケーション不足の解消である。
娘は3人兄弟の末っ子で私が44歳の時生まれた子である。私は娘が生まれて直ぐに前の会社を辞め、その後フリーで働いたり、再就職したりと不安定な時期でもあった。年齢による体力の衰えもあったのか、小さな娘の動きに着いていくのが大変だった記憶がある。そんなことから娘との関わりに、手抜きをしてししまったような後ろめたさが残っている。やがて娘も中学生から高校生になると父親との会話も少なくなる。大学を卒業して就職してからは家にはめったに戻ってこなくなった。そんなこともあって一度ゆっくり娘と話しておきたいと思うようになる。そのために娘と2人だけの旅行は絶好の機会である。
入間インターから圏央道に入り、鶴ヶ島ジャンクションで関越道と合流する。後はひたすら新潟まで走るだけである。娘にとっては高速道路は初体験である。合流、車線変更、追い越し、高速のスピードでの運転は緊張の連続のようである。赤城サービスエリアで休憩を取って再び走る。10kmにも及ぶ日本最長の関越トンネルを通る時が娘にとって最大の緊張だったようだ。長いトンネルを抜けて新潟県に入る頃から道はしだいに空いてくる。娘にも少し余裕ができてきたのか、ポツポツと会話ができるようになった。心不全の手術の話、仕事を変わってからの職場環境と人間関係の話、給料の話、アパートでの生活等々、娘はためらこともなく話してくれる。私が思っていたほど距離感はないようで、娘の父親との距離は近いようである。
新潟の両親のお墓に参り、弟の家にある仏壇に線香を上げてから東海汽船の乗り場に向かった。車を港の駐車場に置き、フェリーで夕闇迫る佐渡海峡を渡る。2時間半の船旅で両津港に着いたときはすでに真っ暗であった。加茂湖の近くにある宿に着いて早速夕食を取る。その後ホテルのアトラクションの踊りを見て、温泉に入り、娘と布団を並べて休むことになる。2人で同室で寝るのは20年ぶりかもしれない。翌朝レンターカーを借りてドライブをする。佐渡は想像以上に広く、移動に時間がかかる。帰りの船の時間(PM2:00)まであちこち見て回るわけにいかず、島の最南端にある宿根木地区に的を絞った。宿根木は中世の頃から千石船の基地として繁盛したところで、今も当時の集落の形態が残っている。家と家との間の道は人がやっとすれ違えるほどの狭さで密集している。娘にとっても珍しい風景なのか、持っているアイフォンでバシャバシャと写真を撮っていた。わずかな時間の観光であったが、佐渡は昭和以前の時代が封じ込められている島、という印象である。
帰りはジェットフォイルで新潟港へ、そこから再び車を走らせ関越高速道で帰る。4時に新潟を出発して高速を走るうちに黄昏から夜になっていく。とっぷりと日が暮れて家が近くなってきた頃、私にとってなかなか切り出せなかった「娘の彼」(まだ親は会ったことがない)の事を聞いてみることにする。私は娘はこのことについて自分の気持ちを素直には話してくれないだろうと思っていた。しかし、ためらう様子もなく自分の気持ちを話し始めた。娘は今の彼と、「果たしてこれで良いのか?」という迷いがあるようである。それに対して父親はとしてはどう話してよいのか分からない。これからは娘の人生である。だから自分が判断し決めていかなければならない。そこに親の意見や心配事や考え方を押し付けるべきではないのだろう。しかしそうは言っても何らかアドバイスはしておかなければ・・・、そんな思いが頭の中を錯綜しながらも娘の話を聞くだけにした。やがて家の近くの駅に到着する。「これで良かったのか?」、少し話したらない思いが残る。娘は手を振りながらにこやかな笑顔で別れていった。「まあ、これで良しとしておこう」
家を出てから駅で別れるまで全て娘が運転した。その距離は約800km。両親の墓参り、娘の高速道路の練習、そして娘との絆の確認、当初考えていた目的は果たしように思う。大人になった娘と2人だけの旅行、それはお互いを理解する上では有効な時間だったように思う。そしてこのことは私にとっても娘にとっても良い想い出として残ることだろう。

新潟港を出港(PM4:00)

フェリー 新潟⇒両津港(2時間30分)

カモメが船についてくる

船から餌を投げるからかどこまでも着いてくる


佐渡海峡

宿でのアトラクション


夕食はカニ、牡蠣、サザエと海産物がメイン

宿の窓から見える加茂湖

海に近く海水が混じった湖(汽水湖)

レンターカーを借りてドライブ

佐渡国小木民族博物館
1858年に宿根木で建造された千石船を当時の版図(設計図)を元に復元した

旧校舎を使った博物館

宿根木集落

宿根木は中世の頃より千石産業の基地として繁盛した
その当時の集落の形態が今も残っている


集落はひっそりとしているが人の暮らしがある




三角家

見上げても空は狭い

称光川

集落前の海辺


幸福地蔵


真野湾

真野湾

そば畑



帰りはジェットフォイルで両津港⇒新潟(65分)
先週の土日、一番下の娘と佐渡に行ってきた。私にとってはこの旅行に3つの目的があった。一つは両親のお墓参り、お墓は弟夫婦が住む新潟市にあり、この5、6年はお参りを怠っていたから気になっていた。もう一つは娘の高速道路の運転練習、娘は自動車免許を取得して5年になるが高速道路を走ったことがない。そのため、「高速に慣れておきたいから一度同乗して欲しい」と言われていた。そしてもう一つが娘とのコミュケーション不足の解消である。
娘は3人兄弟の末っ子で私が44歳の時生まれた子である。私は娘が生まれて直ぐに前の会社を辞め、その後フリーで働いたり、再就職したりと不安定な時期でもあった。年齢による体力の衰えもあったのか、小さな娘の動きに着いていくのが大変だった記憶がある。そんなことから娘との関わりに、手抜きをしてししまったような後ろめたさが残っている。やがて娘も中学生から高校生になると父親との会話も少なくなる。大学を卒業して就職してからは家にはめったに戻ってこなくなった。そんなこともあって一度ゆっくり娘と話しておきたいと思うようになる。そのために娘と2人だけの旅行は絶好の機会である。
入間インターから圏央道に入り、鶴ヶ島ジャンクションで関越道と合流する。後はひたすら新潟まで走るだけである。娘にとっては高速道路は初体験である。合流、車線変更、追い越し、高速のスピードでの運転は緊張の連続のようである。赤城サービスエリアで休憩を取って再び走る。10kmにも及ぶ日本最長の関越トンネルを通る時が娘にとって最大の緊張だったようだ。長いトンネルを抜けて新潟県に入る頃から道はしだいに空いてくる。娘にも少し余裕ができてきたのか、ポツポツと会話ができるようになった。心不全の手術の話、仕事を変わってからの職場環境と人間関係の話、給料の話、アパートでの生活等々、娘はためらこともなく話してくれる。私が思っていたほど距離感はないようで、娘の父親との距離は近いようである。
新潟の両親のお墓に参り、弟の家にある仏壇に線香を上げてから東海汽船の乗り場に向かった。車を港の駐車場に置き、フェリーで夕闇迫る佐渡海峡を渡る。2時間半の船旅で両津港に着いたときはすでに真っ暗であった。加茂湖の近くにある宿に着いて早速夕食を取る。その後ホテルのアトラクションの踊りを見て、温泉に入り、娘と布団を並べて休むことになる。2人で同室で寝るのは20年ぶりかもしれない。翌朝レンターカーを借りてドライブをする。佐渡は想像以上に広く、移動に時間がかかる。帰りの船の時間(PM2:00)まであちこち見て回るわけにいかず、島の最南端にある宿根木地区に的を絞った。宿根木は中世の頃から千石船の基地として繁盛したところで、今も当時の集落の形態が残っている。家と家との間の道は人がやっとすれ違えるほどの狭さで密集している。娘にとっても珍しい風景なのか、持っているアイフォンでバシャバシャと写真を撮っていた。わずかな時間の観光であったが、佐渡は昭和以前の時代が封じ込められている島、という印象である。
帰りはジェットフォイルで新潟港へ、そこから再び車を走らせ関越高速道で帰る。4時に新潟を出発して高速を走るうちに黄昏から夜になっていく。とっぷりと日が暮れて家が近くなってきた頃、私にとってなかなか切り出せなかった「娘の彼」(まだ親は会ったことがない)の事を聞いてみることにする。私は娘はこのことについて自分の気持ちを素直には話してくれないだろうと思っていた。しかし、ためらう様子もなく自分の気持ちを話し始めた。娘は今の彼と、「果たしてこれで良いのか?」という迷いがあるようである。それに対して父親はとしてはどう話してよいのか分からない。これからは娘の人生である。だから自分が判断し決めていかなければならない。そこに親の意見や心配事や考え方を押し付けるべきではないのだろう。しかしそうは言っても何らかアドバイスはしておかなければ・・・、そんな思いが頭の中を錯綜しながらも娘の話を聞くだけにした。やがて家の近くの駅に到着する。「これで良かったのか?」、少し話したらない思いが残る。娘は手を振りながらにこやかな笑顔で別れていった。「まあ、これで良しとしておこう」
家を出てから駅で別れるまで全て娘が運転した。その距離は約800km。両親の墓参り、娘の高速道路の練習、そして娘との絆の確認、当初考えていた目的は果たしように思う。大人になった娘と2人だけの旅行、それはお互いを理解する上では有効な時間だったように思う。そしてこのことは私にとっても娘にとっても良い想い出として残ることだろう。

新潟港を出港(PM4:00)

フェリー 新潟⇒両津港(2時間30分)

カモメが船についてくる

船から餌を投げるからかどこまでも着いてくる


佐渡海峡

宿でのアトラクション


夕食はカニ、牡蠣、サザエと海産物がメイン

宿の窓から見える加茂湖

海に近く海水が混じった湖(汽水湖)

レンターカーを借りてドライブ

佐渡国小木民族博物館
1858年に宿根木で建造された千石船を当時の版図(設計図)を元に復元した

旧校舎を使った博物館

宿根木集落

宿根木は中世の頃より千石産業の基地として繁盛した
その当時の集落の形態が今も残っている


集落はひっそりとしているが人の暮らしがある




三角家

見上げても空は狭い

称光川

集落前の海辺


幸福地蔵


真野湾

真野湾

そば畑



帰りはジェットフォイルで両津港⇒新潟(65分)