通勤電車のつり革につかまっていて、ふと見上げると坂東英二の宣伝ポスターが目に止まった。普段であれば見過ごしてしまうポスターだが、年末に脱税で騒がれTV番組の降板が相次いでいると報道されていたから、違和感を持ったのであろう。しかも「借りたお金は返しましょう」、そんなキャッチフレーズを見ると、なんとなく白々しく感じるものである。ほとんどのタレント活動がストップしたにも関わらず、このポスターが残っているということは、スポンサーがよほど坂東英二を応援しているのか、それともただ単に撤去するのが面倒だけなのだろうか、と思ってみる。
坂東英二、確か甲子園球児として名をはせ、その後中日ドラゴンズでのプロ野球の選手を経てタレント活動を始めた。最近はTBSの『世界ふしぎ発見!』というクイズ番組でレギュラー回答者として時々見ていた。他にもバライティー番組などで、「たまご好き」やざっくばらんな物言いで親しみのあるタレントとして露出も多かったように思う。しかし一旦反社会的な行為が表ざたになるとマスコミから袋叩きにされ、たちまち抹殺されてしまう。最近では島田伸介や親の生活保護受給で問題にされた河本準一、痴漢騒ぎのNHKのアナウンサーなどがある。
タレントは人気稼業である。如何に視聴者受けするキャラを作り上げて行くかが重要なのであろう。しかし作り上げられたキャラクターと実際の性格や性癖とが大きく違うタレントも多いと聞く。坂東英二にしても、一旦たたかれ始めると今まで隠れていた部分が次から次へと噴き出してくる。「異常なまで金銭への執着が強い」、「裏の顔は財テクに精を出し、タレントの間では「銭ゲバ」と呼ばれて敬遠されていた」、「株運用をめぐる恐喝疑惑がある」、「社会的に批判を浴びた宗教法人「法の華三法行」の広告塔」、「仕事で車代とか謝礼という名目でギャラをもらい、税金がかからないような仕事もしている」、「そんな税金を払いたがらない男を、国税庁はポスターに起用していた」、「東京では巨人ファン、名古屋では中日ファン、関西では阪神ファンのご都合主義」等々さんざんである。ここまで叩かれればこの業界での再起はなかなか難しいように思ってしまう。 「表の顔と裏の顔」「虚像と実像」「演技と本性」「外聞と内面」、人はこの社会を生きていくために往々にして二面性を使いこなしている。しかし本来なら隠しておかなければいけない部分が表に出てしまうと、まずいことになる。そしてそれが法律に触れるものであれば、レッドカードを突きつけられ一発退場になってしまう。
マスコミに暴かれるタレントの二面性だけでなく、我々が仕事をしている世の中でも、ほとんどの人は二面性を持っているように思っている。「勇気の無さを隠し、強い自分をアピールしたり」、「有能で仕事のできる社員を演じたり」、「不道徳なものを隠すために善良を装ってみたり」、自分の欠点を補い、自分を認めさせるために二面も三面も使い分けているように思う。そしてそれは本能と理性の両方を持つ人間という動物の宿命のようにも思うのである。タレントのように、ある一面を見せて商売になるのであれば、他面はなかなか見えずらい。しかし我々一般庶民の人間関係はそうは行かない。長い間の付き合いの中で、しだいにその人の性格や本音の部分はバレバレになって行くものである。それでも人は本性は隠そうとする。周りの人は「あんなに片意地を張らずに素の自分で通せば楽になるのに」、そう思っても人は外聞を気にしてしまう。
人とは弱いものである。しかも自分の生き方に自信を持てる人は少ない。だからその弱さを補うために強い自分を演じてみたり、金や権力や地位に執着したり、宗教を頼ったりとさまざまな手段を使うのであろう。私も外聞を気にして見栄を張ったり、やせ我慢もしてきたように思う。しかし今はそれに固守すればするほど自分の性格をゆがめてしまうように思うのである。歳を取って怖いものが無くなった今になって思うのだが、「自分の弱みをさらして生きる」、これは意外と楽な生き方のように思っている。そのためには多少の勇気は要るが、しかしそれが一番人間関係を楽にし、強固なものにするようにも思うのである。
坂東英二、確か甲子園球児として名をはせ、その後中日ドラゴンズでのプロ野球の選手を経てタレント活動を始めた。最近はTBSの『世界ふしぎ発見!』というクイズ番組でレギュラー回答者として時々見ていた。他にもバライティー番組などで、「たまご好き」やざっくばらんな物言いで親しみのあるタレントとして露出も多かったように思う。しかし一旦反社会的な行為が表ざたになるとマスコミから袋叩きにされ、たちまち抹殺されてしまう。最近では島田伸介や親の生活保護受給で問題にされた河本準一、痴漢騒ぎのNHKのアナウンサーなどがある。
タレントは人気稼業である。如何に視聴者受けするキャラを作り上げて行くかが重要なのであろう。しかし作り上げられたキャラクターと実際の性格や性癖とが大きく違うタレントも多いと聞く。坂東英二にしても、一旦たたかれ始めると今まで隠れていた部分が次から次へと噴き出してくる。「異常なまで金銭への執着が強い」、「裏の顔は財テクに精を出し、タレントの間では「銭ゲバ」と呼ばれて敬遠されていた」、「株運用をめぐる恐喝疑惑がある」、「社会的に批判を浴びた宗教法人「法の華三法行」の広告塔」、「仕事で車代とか謝礼という名目でギャラをもらい、税金がかからないような仕事もしている」、「そんな税金を払いたがらない男を、国税庁はポスターに起用していた」、「東京では巨人ファン、名古屋では中日ファン、関西では阪神ファンのご都合主義」等々さんざんである。ここまで叩かれればこの業界での再起はなかなか難しいように思ってしまう。 「表の顔と裏の顔」「虚像と実像」「演技と本性」「外聞と内面」、人はこの社会を生きていくために往々にして二面性を使いこなしている。しかし本来なら隠しておかなければいけない部分が表に出てしまうと、まずいことになる。そしてそれが法律に触れるものであれば、レッドカードを突きつけられ一発退場になってしまう。
マスコミに暴かれるタレントの二面性だけでなく、我々が仕事をしている世の中でも、ほとんどの人は二面性を持っているように思っている。「勇気の無さを隠し、強い自分をアピールしたり」、「有能で仕事のできる社員を演じたり」、「不道徳なものを隠すために善良を装ってみたり」、自分の欠点を補い、自分を認めさせるために二面も三面も使い分けているように思う。そしてそれは本能と理性の両方を持つ人間という動物の宿命のようにも思うのである。タレントのように、ある一面を見せて商売になるのであれば、他面はなかなか見えずらい。しかし我々一般庶民の人間関係はそうは行かない。長い間の付き合いの中で、しだいにその人の性格や本音の部分はバレバレになって行くものである。それでも人は本性は隠そうとする。周りの人は「あんなに片意地を張らずに素の自分で通せば楽になるのに」、そう思っても人は外聞を気にしてしまう。
人とは弱いものである。しかも自分の生き方に自信を持てる人は少ない。だからその弱さを補うために強い自分を演じてみたり、金や権力や地位に執着したり、宗教を頼ったりとさまざまな手段を使うのであろう。私も外聞を気にして見栄を張ったり、やせ我慢もしてきたように思う。しかし今はそれに固守すればするほど自分の性格をゆがめてしまうように思うのである。歳を取って怖いものが無くなった今になって思うのだが、「自分の弱みをさらして生きる」、これは意外と楽な生き方のように思っている。そのためには多少の勇気は要るが、しかしそれが一番人間関係を楽にし、強固なものにするようにも思うのである。