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60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

2010年03月05日 09時26分09秒 | Weblog
昔、独身時代に住んでいた8畳一間のアパートに、会社の女子社員が遊びに来ていた。
雑然とした部屋で話をしている。そのうち今住んでいる家で2階の自分の部屋に、場面が
すり替わってしまう。階下から「コト、コト」という音が聞こえ、女房が家にいることが分かる。
「まずい」、どうにかして彼女を家の外に連れ出さなければ、だが出口は階下にしかない。
「女房がパートに出て行くのを待つしかないか、・・・」、そんなことを夢の中で考えていた。
これは先日見た夢で、久々に記憶に残ったものである。何時も夢は見ているのだろが、
しかし、起きてしまえばどんな夢を見たのか覚えていない。覚えているのはよほど精神的に
動揺があるようなストーリーのものだけのようだ。もう長い間、楽しい夢など見た覚えがない。

「夢」、フロイト(精神科医)的に言うと、抑圧されている欲望が夢となって現れてくると言い、
ユング的に言うと、夢は意識やパーソナリティの一面的な偏りを補償する働きがあると言う。
例えば、冷静で知的な人が、感情豊かな非合理的な夢を見たり、愛情に恵まれない人が
愛情に満ちた夢を見たりすることで、心のバランスをとっているのではないかと言う。
その他に過去の苦痛な体験や、心的外傷を夢のなかで再体験することで、現実の苦痛を
和らげたり、不満を解消するなど、不快な感情を浄化する働きがあるようである。
私の「夢」は最近はほとんど記憶に残るようなものはないから、今は抑圧された欲望も無く、
精神的なバランスもある程度保たれているのだろう。
しかし振り返って見て、今でも覚えているインパクトの強い夢も数多くある。その夢は自分の
不安や悩みや焦りが錯そうしていた青年期であったり、情緒不安定な思春期であったりと、
心の動揺が大きかった時期と比例するように思われる。 そんな記憶に残っている夢を、
思い出すままに書き出してみる。

2000年9月新潟の寝たきりの母を見舞い、「これが最後かもしれない」と思って帰ってきた。
幾く日かして、明け方に夢を見た。広い原っぱを歩いている。原っぱのそこここから勢いよく
蒸気が噴き出している。何本も何本も吹き出している湯煙の間を縫うように歩いて行く。
次第に蒸気は激しくなり、あたり一面真っ白になって視界が利かなくなってくる。立ち昇る
蒸気は熱く体全体を熱気が包み逃げ場がない。「熱い、熱い」、その熱さに耐えきれずに、
眼が覚めた。体中びっしょりと汗をかいていた。「いやな夢だった」そう思いながら会社に行く。
その日のお昼前、新潟に母を見舞に行っていた兄から「母危篤」の電話があった。

先週書いた入社2年目からの国立店の時はよく夢を見ていた。乗ろうとした寸前に電車の
ドアが閉まる夢。自分が鳥になっているのだろう、何かに追いかけられ、それから逃げるために
飛び上がろうとする。しかし、羽ばたけど羽ばたけど低空飛行のままで高く昇ることができない。
一番鮮明に残っている夢がある。屋根の上に立っていると、足元の瓦が滑り始め、瓦とともに
転落して地面にたたきつけられてしまう。地面に仰向けで大の字に倒れたまま、体は金縛りに
あったように身動一つとれない。そのうち大勢の人が集まってきて私を真上から覗き込んでいる。
しかし、覗いているだけで誰も助けようとはしてくれない。取り囲む人は店の社員と学校時代
の友人達とが入り混じっていた。「なぜ一緒にいるのだろう」、身動きできないまま疑問に思う。
「もうダメなんじゃない、助からないよ」、取り囲んでいる人々の間からそんな声が聞こえてくる。
「助けてくれ、俺は生きているぞ」そう叫ぼうとしても、手も足も動かず声を出すこともできない。 

我が娘の次女の方が、まだ幼稚園に行っていたころ、自分の見た夢を話してくれたことがある。
怪獣がどんどんどんどんと追っかけてくる。私が前でお姉ちゃんが後ろにいて走って逃げていた。
だんだん怪獣が近づいてきて追いつかれそうになる。その時後ろのお姉ちゃんが転んでしまった。
怪獣はお姉ちゃんを捕まえて止まってしまう。怪獣との距離が開き、それで私は助かったんだ。
この話を聞いて、妹はお姉ちゃんを邪魔だと思っているとか、いなくなれば良いと思っているとか、
その裏を考えない方がいいらしい。誰でもが見る夢であり、成長過程の中で見る当たり前の
「夢」でもあるようである。

私も子供の頃はしょっちゅう怖い夢を見ていたように思う。娘のように怪獣に追いかけられる
夢はよく見ていた夢の一つである。夢のストーリーは毎回異なるものの、しかし何パターンかの
定番の夢もあったように思う。その中の一つでよく覚えている夢に「感電死」する夢があった。
電柱の電線や、家の電灯、時に部屋の隅にあるコンセントを知らない間に触ってしまっている。
体中に電気が流れ「バシーッ」と衝撃が走る。感電のすさまじいショックで私はその場にバタリと
倒れて死んでしまう。手も足も動かず、自分の意識と体とが切り離されたような状態が続く。
「ああっ、死んだんだ」と思う。しかし「死んだことを意識できる自分はまだ死んではいないのか」
と思い返す。一生懸命に手足を動かしてみる。痺れていた手足が動くようになり、生き返る。
そんな夢である。多分衝撃が走った時に一旦起きたのかもしれない。それからまた寝てしまい、
朝起きた時には何処までが夢で、何処から目覚めていたのかわからなくなっていたのだろう。

子供のころ一番怖かった夢がある。真っ暗な宇宙の中に太陽があり、周りに地球が見える。
当時の子供の科学雑誌で見ていた図なのであろう。その地球がどんどん小さくなって行く、
他の惑星も太陽も次第に小さくなって行く。どんどんどんどん視界はズームアウトして行き、
やがて渦巻いた星雲がいくつも見え始める。闇黒の宇宙の真っ只中を地球から遠ざかり、
外へ外へとひたすら飛び続けている。そんな宇宙をさまよいながら考える。
「自分が死んだら、この果てしない宇宙のどこかに、ふたたび存在することができるのだろうか」
「何億年と続く宇宙の時間、自分の死後、またいつかこの世に現れることができるのだろうか」
「死ぬということは、どういうことなのだろうか」
「自分が死んで体が無くなってしまえば、今考えているこの自分の意識はどこに行くのだろう」
「体がないのだから、当然意識もなくなるのだろう、そうしたら、なにも考えられなくなってしまう」
「そんな状況が永遠につづく、永遠とは終わりがなく無限に続く宇宙のようなものなのだろう」
「死ぬと言うことは、永遠に自分の意識を取り戻せないということなのだろうか」
どんどんどんどん思考が深みにはまっていく。考えても考えても何の回答も結論も出てこない。
「何とかして考えることを止めなければ、自分はこの恐怖で狂ってしまうかもしれない」
「これは夢の中だから考えることを止めるには起き上がるしかない」、「じゃあ、起き上がろう」
「あっ、体が動かない。腕も足も首も自分の意思で動いてくれない。さあ、どうしよう」
「力を入れるんだ」「動かさなければ永遠に思考の迷路から抜け出せなくなってしまう」
腕が「ギクッ」と音を立てて動いてくれる。体全体から呪縛が解けてくる。「ああっ、助かった 」

こんな思考にはまっている時は、起きていたのか、それとも夢だったのか、自分でも分からない。
こういうのを「夢うつつ」と言うのだろうか。布団に入って寝ようとして眠れない時、風邪をひいて
熱が出て寝込んでいる時、体調が思わしくない時に、こういう思考にとらわれることが多かった。
「どう考えたら、この恐怖から開放されるのだろう?」、夢の中でも現実でも、結局その答えは
見つからないまま、その「夢うつつ」は小学生から中学生へと長い間続いていたように思う。

夢を見ることで、人は一日に収集した膨大な情報を、記憶として保存する必要があるものと、
必要のないものとに仕分けしていると言われている。情報量が多いと整理に時間がかかるから
睡眠時間が長くなるようである。子供の頃は睡眠時間が長く、歳と共に睡眠時間が少なく
なって行くのは、入ってくる情報量が少なくなったからなのだろう。若い頃は8時間程度必要
だった睡眠時間が、数年前から5~6時間で済むようになった。やはり入力するの情報量が
大幅に落ちているのだろう。睡眠時間、それは自分の活動量のバロメーターかも知れない。