浪漫飛行への誘(いざな)い

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「なぜ生きる」の映画会に行ってきました 

2019年09月27日 09時51分37秒 | 人生

 

3年前にアニメ映画化され、29週連続上映されたという「なぜ生きる 蓮如上人と吉崎炎上」のアンコール映画会を見に蒲田に行ってきました。100万部を突破した高森顕徹さんのベストセラー「なぜ生きる」の映画版である。800年前に親鸞聖人による浄土真宗が500年前の蓮如上人の時代に爆発的に広まったが、その時代背景において蓮如上人が布教の拠点として築き上げた福井県にある吉崎御坊が1474年に放火され、炎上するという事件を通して、「なぜ生きる」の意味と考えていくものである。
蓮如上人とは、1415年に浄土真宗本願寺第8世として生まれ、親鸞聖人の教えを正確に最も多くの人々に伝えた方で、葬儀でもよく読まれる「白骨の御文章」が有名である。仏教書として有名な「歎異抄」が、誤解を招く「カミソリ聖教」であるとして、封印したことでも有名である。蓮如の声は、里見浩太朗が演じている。


ストーリー展開は、不遇を嘆き、寺や坊主を嫌っていた青年・了顕は、もうすぐ生まれてくる子供に希望を託していた。ある日、身ごもっている奧さんが落雷事故にあい亡くなるという不幸な出来事が、そんな了顕から全てを奪い去ってしまう。自暴自棄の日々、暗闇にもがき苦しんでいた了顕が出会うのは、蓮如上人の法話であった。そこには、親鸞聖人が明らかにした“なぜ生きる”の答えが示されていた。次第に引き込まれ、心の迷いが晴れた了顕は、蓮如上人の弟子となる。参詣者が増える一方の本願寺は、他宗派からの恨みを買い、蓮如上人と了顕たちは京都を追われ、新たな布教の地を求め、北陸の吉崎(福井)に吉崎御坊という布教の中心拠点を構える。御坊が繁栄すると、他宗派からの妬み、嫉みが激しくなり、つじに、1474年に放火され、御坊は火の車になる。蓮如上人は難を逃れたが、大切にしていた親鸞聖人の教行信証の1巻を置き忘れた。了顕が取りに行ったが、火の手がすごく、引き返すことができず、意を決して、小刀を取り出し、切腹し、腹の中に巻物を入れて身を挺して守ったと言われている。そこには真っ黒に焦げた了顕の姿があったが、経典は焼かれることなく守られたのである。


この映画では、「人は、なぜ生きる?」「私たちは何のために生まれてきたのか?」「何のために生きているのか?」を解き明かすことがテーマだという。「なぜ生きる」の中に出てくる海の例えが感動的である。蓮如上人曰く、親鸞聖人の教えは唯一つ、「なぜ生きる」である。「教行信証」の最初に「難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は、難度の海を度する大船(たいせん)」とある。「難度の海」とは、苦しみの絶えない人生の」の例えで、生まれた時に、この大海原に放り出された我々は、一生懸命泳がなければならないが、何の方角も分からず、むやみに泳いでいたら、力尽きて土左衛門なるのは明らかである。泳ぎ疲れた我々は、近くに浮いた丸太ん棒や板切れに掴まるが、思わぬ方から波をかぶり、また放り出され、塩水を飲んで苦しむ。丸太ん棒や板切れとは、お金、財産、家族、名誉、地位、健康等である。うまく掴めても、それは相対の幸福に過ぎず、いつ崩れるかわからない。我々は、絶対の幸福を求め、難度の海を度する大船に乗らなければならない。どうもこれが答えのようであるが、どうしたら大船に乗れるかは、この映画を見ただけではよくわからない。なぜ生きるか、そう簡単に悟りを開くのはむずかしいのはわかっているが。。。


映画「なぜ生きる」の予告編: 


 https://youtu.be/UAJ8-dZoL1g


参考までに、 親鸞聖人の教え「なぜ生きる」:


 https://youtu.be/ffPw6IQwb2Q


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