It’s a small world!というとディズニーの有名なアトラクションと可愛い歌のメロディーが浮かんでくるが、この言葉は、「偶然が重なったとき」とか「偶然の一致」とか「世間は狭い」とか「奇遇」とか「不思議な縁」とかの意味合いで使われる。英語では、coincidenceと言葉も同じ意味合いだと思われるが、つい昨日、身の回りにも発生して驚いた。来週、伊東温泉にある区の保養施設に泊まって2泊3日のゴルフ旅行を計画していて、そのことを妻がたまたま体操教室でいっしょの友人に話したところ、彼女の双子の妹夫妻が同じ保養所に全く同じ日に2泊3日の予定で宿泊予定であることがわかった。その妹夫妻というのは、同じマンションの同じ階に住む親しくしている友人である。同じ日に同じ2泊で同じ保養所に宿泊とはまさに偶然の一致で驚いた。その保養施設への宿泊は初めてなので、なおさらである。事前に知らなければ、現地でバッタリ会ってビックリするところであった。
このような「偶然の一致」とか「世間は狭い」とかを今までに何回も経験している。いくつか取り上げて見ると、
・妻が長男出産時、同じ病室にいた2人とその後もおつきあいしている。 しかも、3人の子供の名前は偶然にも「ゆうき」「ゆう」「ゆき」。当然誕生日もいっしょ。
・1983年6月に中国に遠征し、中国民航(当時)との友好卓球大会で知り合った女性(当時の国際航空局長兼社長の秘書)がその年11月のインターライン卓球大会に通訳で東京に来たり、その後、たまたま東京勤務になり、長い間親しくおつきあいをさせてもらった。彼女はすでに他界してしまったが、不思議な縁であった。
・1993年に今住んでいるマンションを購入したが、前のオーナー夫妻と今でもおつきあいがある。契約当時、彼らはすでにカナダのビクトリアに移住しており、契約のためにわざわざ来日。カナダのどこかに住んでいることは知っていたが、連絡先等は不明であった。その後、ビクトリア旅行中にひょっとしてと思い、電話帳で調べたら偶然にも彼らの名前を見つけ、おつきあいがスタート。その後、定年後の語学留学先が彼らと関係なく結果的にビクトリアとなり、留学中もいろいろお世話になった。
・1983年にルフトハンザの卓球チームの来日に伴い、親善試合を行なった。彼らのベースはフランクフルトで、その2年後、偶然にも自分がフランクフルトに転勤になった。チームリーダーは住まいも近く、誘われて同じクラブチームで4年間いっしょに卓球をすることになった。お互いにリタイアしているが、いまでも行ったり来たりのおつきあいをしている。
・フランクフルト在勤中、同じマンションに住んでいたユーゴスラビア(当時)人と親しくつきあっていたが、帰国後、彼らの母国が内戦に巻き込まれ、消息不明となった。その後、行方が気になり、たまたま、フルネームでGoogle検索をしたところ、ザグレブからインドへの経済使節団の名簿にその名前があることがわかり、駄目もとでその組織にメールを送ったところ、しばらくして本人から、It's me. というメールが届き、交流が再開。その後、2007年に18年振りにザグレブで彼らと再開、旧交を温めた。上の男の子(当時8歳位)はウィーンで働いていたが、偶然にもザグレブの後、ウィーン滞在の予定であったので、再会を果たした。
・1993年にサンフランシスコに出張中、宿泊ホテルのロビーでフランクフルト時代に仕事上お付き合いが深かった近畿日本ツーリストの当時の所長とバッタリ出会った。役員の付き添いで来ているとのことで、同じホテルで同じ日の同じ時間に居合わせるとはまさに偶然であった。
・2012年にクアラルンプールからモルディブに向かう飛行機の乗るため、空港のセキュリティ検査場に並んでいたところ、偶然にも現役時代に仕事を通じて知っていたマレーシア人のドクターが前に並んでいた。彼は、国際オリンピック委員会のドーピング関係の役員をやっていて、会議でジュネーブに向うところであった。彼は、マレーシア人の唯一の知り合いで、それも同じ日の同じ時間に同じ空港の同じ検査場に居合わせたとは、まさに偶然であった。
・2018年にモンゴルのウランバートルに旅行した時、たまたま入った日本食レストランで、見覚えのある人がいたので、声をかけたところ、もと日本のモンゴル大使だった人で、東京でチベット人の紹介で一緒に食事をしたことがあった人であった。彼は知っている唯一のモンゴル人で、しかも同じ日の同じ時間に同じレストランで再会するとはまさに偶然であった。
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