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浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

飛行機が身近に見られる幸せ

2022年09月06日 19時54分13秒 | 飛行機

 

羽田空港への進入ルートの変更に伴い、毎日ではないが、風向きによっては、新しく設定された都心上空を通過する飛行機を我が家からかなりの至近距離で見ることができる。騒音問題や部品落下問題もあり物議を醸しているが、飛行機が好きな者にとっては、身近に飛行機が見られるという楽しみもある。国際線の増便により、羽田空港がパンクするという問題から、便数を増やすために新しいルートが設定されたが、コロナ禍で国際線は減っているにもかかわらず、新ルートは頻繁に使用されている。

今は、見る限りほとんどが国内線の飛行機のようである。我が家の近くでは、飛行機のロゴマークや塗装はくっきり見えるので、どのエアラインがすぐわかるが、外国のエアラインはほとんど見ない。いまだと、次から次へと2分おき位に上空を通過するので、見ていても飽きない。確かに騒音もあるが、窓を締めればほとんど気にならない程度である。親しんだ飛行機を見ていると一気に現役時代の思い出がよみがえってくる。自分の家から飛行機を身近に見られることは、個人的には嬉しい思いである。

 

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初便搭乗の思い出

2022年09月01日 22時51分00秒 | 飛行機

 

今年8月に4年振りに海外旅行及び飛行機に搭乗する機会を得た。2年前にジップエアの初便搭乗を実現できなかったが、今回初めて搭乗することができたし、バンコク=チェンマイ間でエアアジアというLCCに久しぶりに搭乗することができ、にわかに過去の初便搭乗の軌跡がよみがえってきた。

1998年9月19日にスカイマーク航空が日本の国内線に新規に参入したのを皮切りに、続々と新規の航空会社が日本の空を飛び始めたが、その航空会社11社全ての初便に搭乗できたことが懐かしく思い出される。初便というのは、マスメディア向けに座席が一部確保されるため、予約が取りにくいこともあり、いくつかの初便では座席の確保に大変苦労したものである。スカイマークの時は、公衆電話から予約の電話をかけたが、常に話中状態で、1時間以上待ってやっと予約が取れたと記憶する。新規参入はマスメディアで話題になることから、予約開始時には予約の電話が集中したり、ネット予約の端末がフリーズしたりすることが日常茶飯事であった。その後は、やむを得ず、知り合いに裏口で頼んだり、旅行会社の人に予約端末の操作を頼んだりしたこともあった。

新規参入による初便では、テープカットのようなセレモニーが行われることが普通で、搭乗者には、記念品が配られることも多かった。初便搭乗証明書が発行されることもあった。初便マニアと言う人が全国にはたくさんいるようで、顔なじみの人を見かけることも多々あった。マスメディアのインタビューに応じたこともあった。

新規参入の航空会社11社とは、①スカイマーク ②エアドゥ ③スカイネットアジア ④スターフライヤー ⑤フジドリーム ⑥ピーチ航空 ⑦ジェットスター ⑧エアアジア ⑨バニラエア ⑩春秋航空 ⑪エアアジア(新生)である。航空業界は大変厳しい経営環境にあるので、その後色々な形で再編が余儀なくされている。ジップエアは国際線だが、コロナ禍のあおりをもろに受け、厳しいスタートとなっているようである。早くコロナ禍を克服し、航空業界にも春が来ることを強く願うものである。

 

画像は、フジドリームのファーストフライト搭乗証明書

初便搭乗の軌跡(11社): https://youtu.be/jKn0cSBT7wE

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ZIPAIR(ジップエア)の初乗り

2022年08月20日 20時36分52秒 | 飛行機

 

2020年5月にJALの新LCCであるZIPAIRのファーストフライトに搭乗すべくタイへの旅行を計画していたが、新型コロナの感染拡大で初便は就航できない事態となり、6月からバンコク行の貨物便としてのみ就航された。まさに幻の初便搭乗となり、がっかりしていたが、今回のタイ旅行にあたって、執念深く、復路便としてジップエアに初めて搭乗することができた。

JALの100%子会社であることから、JALのマイレージをZIPAIRポイントに交換できることがわかり、一部ポイントを使って航空券を購入した。LCCなので、JAL便より格安で、バンコク→成田は、受託手荷物追加料金(1個23㎏まで)を含め、二人で約9万円であったが、その内3万円分はポイントで払ったので、実質的には6万円で済んだ。

当初、ZIPAIRの尾翼には大きな「Z」の文字が描かれていたが、ウクライナに侵攻したロシア軍を連想させるということで、急遽文字が消されたことが話題になっていた。実機をこの目で見て柄模様に変身していることを確認したが、えらく迷惑な話である。ZIPAIR便は、ほぼ満席状態であったが、我々の席の隣の窓際の席が空いていたので、陰性証明書が取れずに急遽キャンセルされたのかとも思った。サービスを簡素化して運賃を下げても、JALのサービススタンダードは維持されている印象があり、こういうLCCもありかなという気がした。運賃も安く安心感もあるので、路線を拡大していってほしいものである。

 

 

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ZIPAIRの悲劇

2022年06月16日 19時14分18秒 | 飛行機

 

JAL傘下のLCC(格安航空会社)であるZIPAIRは、尾翼デザインの「Z」がウクライナ侵攻中のロシア軍を想起させることから、機体のデザインを変更すると発表した。保有する全4機の尾翼に描かれた「Z」を消し、黒、白、緑の3色を組み合わせた模様にするが、当面は新しいデザインのフィルムを「Z」の上に貼り、来春までに機体の塗装を終えるとしている。「Z」は「勝利のために」「ロシアのために」を意味するとされ、ロシア国内では戦争の支持を表すので、とんだとばっちりを受けた形となった。

ZIPAIRはJALの100%出資の子会社で、2020年5月14日より成田―バンコク線に初就航予定であったが、新型コロナの感染拡大で延期され、やむなく6月から貨物専用便として就航した。当初、この初便に搭乗し、タイ旅行を計画していたが、コロナで全ての計画がパーとなってしまった。初便搭乗マニアとしては、大変楽しみにしていたが、がっかりした思い出がある。ZIPAIRは、まさに出鼻をくじかれた結果となり、悲劇のスタート切ったのある。現在、バンコク、ソウル、ホノルル、シンガポール、ロサンゼルスに就航しているようだが、コロナの感染拡大で海外旅行が制限され続けてきたので、経営がうまくいっているはずもなく、悲劇の主人公といえる。

コロナという悲劇に見舞われたZIPAIRがここにきて、またロシアによるウクライナ侵攻のとばっちりを受けたようなので、呪われたような悲劇が再発した。確かに、ロシアの戦車が皆「Z」マークを付けて悪さをしているのを見るとZIPAIRの機体の「Z」マークはそれを連想させざるを得ないので、残念だがやむを得ない変更と言える。

ここにきてコロナ感染も減少傾向を示し、海外旅行も解禁されつつあるので、これから何とか挽回してほしいものである。ZIPAIRの初便搭乗に失敗したので、この8月に計画しているタイ旅行の帰路便として、ZIPAIRに初めて搭乗する予定で、予約もすでに入れている。8月には、もう「Z」マークは尾翼から消えているものと思われるが、さらなる悲劇が起こらないように切に願っている。

 

Yahooニュース(千葉日報)記事: https://news.yahoo.co.jp/articles/225b61829388ef69a5f3dfed45e5ed14cf14c36b

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36年前の8月12日悲劇は起こった!

2021年08月14日 00時03分30秒 | 飛行機

36年前の1985年8月12日、あの航空機事故の悲劇は起こった。520人もの犠牲者を出し、史上最悪の飛行機事故となった。あの悪夢の日、自分はフランクフルトに勤務していた。ちょうどお昼時で、近くの日本食レストランで食事をしていたが、支店長に緊急の電話が入り、急遽職場に戻された。日本は大混乱の真っ只中で、状況を把握するのにかなりの時間を要した。すぐに非常待機体制に入ったが、ドイツ人の犠牲者が4人いるという情報が入り、日常業務は放り出し、4人の関係者のお世話をすることに集中した。フランクフルト管内では、事故にあったドイツ人の出迎えを予定していた日本人の方の対応に追われていた。ドイツにいたため、大混乱に巻き込まれることはなかったが、日本では想像を絶する光景が繰り広げられたものと思われる。

事故の原因については、事故調査委員会による公式の報告では、ボーイング社による圧力隔壁の修理ミスと金属疲労とされているが、多くの不審点、疑問点が出されていたものの、1999年にすべての重要記録や資料が廃棄されてしまっている。本当の原因につぃては、いろいろな説が飛び交っており、関連書籍も出版されている。最近では、2017年に出版された元CA、青山透子著の「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」で、大変興味深い内容が書かれている。事故当日、相模湾で軍事訓練をしていた海上自衛隊の船からの誤射説が有力で、それを隠すために組織的な証拠隠蔽工作が行われた可能性もあるということであるが、にわかには信じがたい。当時の中曽根内閣は、真実を知りながら、国家の最高機密として墓場までもっていくことにしたとの憶測もある。真偽はわからないが、安倍・菅政権がいろいろ隠蔽工作してきた事実をみるとさもありなんという気もする。真実が何であれ、520人もの犠牲者が出た飛行機事故が発生してしまったのであるから、歴史的教訓とすべきである。毎年、8月12日を迎えるたびに、胸が痛む思いである。

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名古屋での中華航空機事故から27年

2021年04月28日 15時36分16秒 | 飛行機

1994年に名古屋空港で中華航空機が墜落し、乗員・乗客264人が死亡した事故から26日で27年を迎えたという記事が目にとまった。当時、東京で勤務していたが、1989~1991年に名古屋に勤務していた経験があったため、急遽、事故処理対応の応援にかけつけることになった。当時、中華航空のチェックイン等の地上業務を関連会社が受託していたため、お客様対応の応援体制が必要となり、現地の事情に詳しい者が動員されたものである。

現地に行くとまさに大混乱状態であったが、近くの体育館に設けられた遺体安置所に遺族を案内する仕事の手伝いをすることになった。体育館には黒焦げになった遺体が並べられ、そこに身元確認のため、遺族の方々を案内するという業務だったので、大変つらい仕事ではあった。その光景は今でも目に焼き付いているが、やはり東京から応援に来ていた知り合いの中華航空のスタッフに比べたら、まだ気が楽であった。それにしても事故の悲惨さを目の当たりにした貴重な体験であった。

あれから、もう27年という新聞記事を読んで、時の流れを痛感する。まさに、Time flies.である。コロナの関連で、慰霊の式典が2年連続で中止となったと報じられているが、心が痛む思いである。最近、羽田に着陸する飛行機が我が家の上空を飛び交う日が増えているが、事故だけは絶対あってはならないと祈るばかりである。

朝日新聞デジタルの記事:

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日本航空一期生

2021年04月09日 07時42分37秒 | 飛行機

先日、テレビで「エアガール一期生」というスペシャル番組を興味深くみたが、早速、原作の中丸美繪さんの「日本航空一期生」(中公文庫)を図書館で借りて読んでみた。放映前に予約を入れたので、待ち番号1番で比較的早く読むことができた。文庫本であるが、テレビでは触れられていない日本航空創成期の人々のことがいろいろ書いてあり、興味深く、数日で読み切った。

作者の中丸さんは、キャビンアテンダントとして採用され、最初の半年ほどは羽田で地上業務研修を受けたようである。昔は、CAとして採用されたら、直接CAとしての教育を受けていたが、1970年代後半の頃だと思うが、地上業務のことも研修すべきということで地上業務研修が開始されたと記憶する。彼女は、数か月間の地上研修後、CAとして乗務したようである。

エアガール一期生の募集要項には、容姿端麗があったが、今はもちろんそんな条件はない。歴代のCAは何期と呼ばれているが、その特徴について触れていて、興味を惹かれた。神話の1ケタ、化石の2ケタ、美貌の100期、知性の200期、体力の300期まではよかったが、400期以降は、諸説入り乱れ、向こう横丁の400期、どうでもいい500期とも揶揄されたようである。それほど質が落ちてきているということであろう。自分の記憶では、500期は美人を集めたとも聞いていたが、本当だったであろうか?

「日本航空一期生」の原本では、エアガール一期生の他に、日本の航空界の創成期で奮闘した運航、整備、営業、空港の人達のことも多く語られており、特に、日航の礎を築いた元社長の松尾静磨氏のことが詳しく触れられていたのが印象的であった。創成期の人達については、実名で語られており、顔と名前の一致する人や聞きなれた懐かしい名前の人達がいろいろ出てきて引き込まれるように数日で読みあげた。それにしてもテレビドラマでは、主な登場人物の内、売国奴の悪人として描かれている白洲次郎氏のみ実名だったのはどうしてであろうか?

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JAL冊子の時刻表廃止

2021年03月23日 08時33分35秒 | 飛行機

日本航空は、冊子の時刻表を国内線は2021年6月版より、国際線は、3月28日~8月31日版より廃止すると発表したが、寂しい思いである。紙消費量抑制による環境への配慮、パソコンやスマートフォン普及に伴う需要減少の観点から冊子の制作を終了するとしているが、全日空もすでに2月版より廃止に踏み切っており、時代の流れをひしと感じる。

JALの国内線の時刻表は1951年、国際線は1954年が最初の発行というから、国内線は開始から70年で幕を閉じることになる。現実的には、パソコンやスマホが普及し、時刻表もオンライン検索で十分であるともいえるが、航空ファンとしては寂しい気がする。

すべての時刻表はどこかで保存されているかも知れないが、個人的には、1970年7月から1972年12月までの時刻表は保存している。当時の時刻表の表紙は、現役のキャビン・アテンダントが選ばれて掲載されていた。いつからいつまで現役のキャビン・アテンダントが表紙を飾っていたのか確かではないが、50年も前のことなので、今は皆、70代になっていると思うと時の流れを感じる。21日のテレビ朝日のスペシャルドラマで「エアガール一期生」の誕生物語が放映されていたが、時代の流れを感じる今日この頃である。当時の懐かしい制服を見て青春時代を思い出してみたい。

国内線時刻表1970~1972年: https://youtu.be/1ARX_wiE9-U

画像は、1951年の最初の時刻表 :




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「エアガール」一期生

2021年03月21日 09時48分12秒 | 飛行機

3月20日夜、テレビ朝日で、スペシャルドラマ「エアガール」が放映され、2時間食い入るように見てしまった。エアガールとは、今のキャビンアテンダントのことで、その後、スチュワーデスという名称も長い間使われていたが、今では、男女差別なく、キャビンアテンダントとかCAとかいう言葉が一般的に使われている。

女優の「広瀬すず」さんが主役を務め、戦後初のCAの挑戦を描いた物語で、昭和という激動の時代の空を舞台に繰り広げられている。原作は、中丸 美繪 さんの「日本航空一期生」とのことであるが、彼女自身、JALの東京空港支店(羽田)に入社し、その後CAに転身し、5年ほど乗務していたようで、親しみを覚えた。オペラ歌手の中丸三千繪 さんは実妹だそうである。

主人公の「佐野小鞠」さんは、パイロットを夢見ながらも、空を飛びたい一心で、エアガールという当時超人気の職業に挑み、一期生となった顛末を描いているが、小野悠子さんという人がモデルという。一方、戦後、日本の空を取り戻すために奔走した熱い航空関係者の奮闘ぶりを描いている。特に、当時逓信省航空保安部長で戦後の日本の民間航空の発足に奔走し、その後、社長となった松尾静麿氏(ドラマでは松木静男)が印象的であった。政商として悪名高かった白洲次郎(実名-吉田茂側近)が、米国航空会社資本の合弁会社設立を画策していたが、見事に打ち破って、日本人による航空会社の設立を勝ち取った経緯は見ていて胸がスカッとする思いであった。戦後暗躍していた白洲次郎と言う人物は、まさに売国奴で今の竹中平蔵氏と重なる。日本の水や空港を外資に売り飛ばそうとする人物を重用する菅政権は大変危ない政権といえる。

松尾氏は、佐賀県の出身で葉隠れ精神ではないが、安全運航を優先し、「臆病者と言われる勇気を持て」という名言を残したことは、有名な話で、今でもよく覚えている。悪天候の中、危険回避で着陸をやめたパイロットの勇気を讃えたものである。オリンピックを強行しようとする菅首相に捧げたい言葉である。ドラマ中の人物も、実在の人を彷彿とさせる配役で、柳沢誠二(柳田誠二郎--初代社長)、藤原一郎(藤山愛一郎-初代会長)と臨場感がある。もう一人の主役の三島優輝(松尾氏の部下で後にパイロットになる)は実在人物がいるのであろうか?

当時のCAの人気ぶりは、想像を絶するが、募集要項は、年齢20~30歳、身長158㎝以上、体重45~52.5㎏、容姿端麗、英会話可能、東京在住となっており、女性蔑視で今では許されない条件となっていた。CAは、女性にとっては、今でも人気ある職業で、採用面接試験も何回か経験している。ドイツ駐在中に、初のヨーロッパ人CAの採用面接も経験したが、1987年当時もCAは人気ある職業で、応募が殺到した。応募写真は、顔と全身だったが、浜辺での裸の写真を送ってきた人もいたのをよく覚えている。今は、コロナで採用もストップされていると思うが、今後はどうなるのであろうか?久しぶりに楽しめた2時間ドラマであった。

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ジップエアの前途は暗雲 

2021年01月18日 08時11分50秒 | 飛行機

1月17日夜に、BS-TBSの「サンデーニュースBizスクエア」で新しいLCCであるジップエアを特集で取り上げていた。日本で初めてLCCで海外路線拡大に挑むジップエアの西田社長に単独インタビューし、現状の問題点と今後の戦略等を紹介していた。

ジップエアは、JALの100%出資のLCCで昨年にバンコクとソウル路線に就航する予定であったが、コロナ禍の影響をもろに受け、旅客便としては就航できず、貨物便としての厳しいスタートとなった。昨年3月から就航予定であったバンコク線の初便に搭乗する予定でタイへの旅行を計画していたが、すべてご破算になってしまった。子供家族がタイのシラチャという街に住んでいるので、訪問予定であったが、いまだに実現していない。

番組によると、昨年12月19日から、ホノルル線も就航させたが、旅客はほとんどいないので、貨物輸送が中心となっているようである。また、アメリカ西海岸への就航も検討しているようであるが、このコロナ禍の影響で前途は多難であるといえる。海外展開というのも危うい感があり、それまで体力が持つかは極めて疑問である。航空需要はいつかは必ず復活すると思うが、それまでは、政府が全面的バックアップをしないと最大手のANAでさえ、危ないと危惧される。早く海外旅行が安心してできる時が来ることを願っている。

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