<はてなブログへの引越>
ブログ引越作業が終わったようで、gooブログを利用し始めた2013年からの記事と画像の殆どが、はてなブログに引き継がれました。
はてなブログ「花浄土鹿児島」はこちらからご覧ください。なお、当分の間は新しいブログに慣れるために、gooブログとはてなブログに同じ記事を投稿します。
季節の花巡りが主体となっていますが、今後とも花浄土鹿児島ブログをよろしくお願いいたします。
7月23日(水)南さつま市加世田の、竹田神社夏祭りに出かけました。
10時36分 社殿では神事が続いていた 以下の画像は7月23日に撮影

毎年7月23日開催と気付き、前日の農業センターに続く撮影です。朝方は日置に立ち寄り、ナスに水遣りなどしました。
10時40分 神前の舞を終えて記念撮影

周囲に人が多く内部は薄暗くて、舞の様子は写せませんでした。舞を終えて木陰での記念撮影の際、お願いして撮影させてもらいました。
境内に飾られた灯篭

竹田(たけだ)神社の祭神は島津氏中興の祖、島津忠良公です。号は日新斎(じっしんさい)。日新公(じっしんこう)としても知られています。
明応元年(1493年)~ 永禄11年(1568年)を生きた薩摩の戦国大名。島津氏の分家・伊作島津家の出身(伊作は現在の日置市吹上町)です。
元々は祭神の菩提寺である日新寺がこの地に建っていましたが、明治2年(1869年)12月に廃仏毀釈により廃寺となり、代わりに竹田神社が創祀されました。
大きな枝を伸ばす楠

国道側に覆いかぶさっていた大枝は、安全対策のため伐採されていました。
10時55分 神社向かいの用水路に設置された水車からくり

水車の動きでゆっくりと人形が回る、「日新公と戦国島津の英雄たち」です。
11時2分 出店の設置が始まる

出店を見ると幼い頃を思い出します。小遣いをもらって駄菓子を買い、くじ引きでは期待の一等賞はなかなか当たらず。
真夏でもあり、売り上げが伸びるのは午後から夕方なのでしょう。
11時33分 士(さむらい)踊りが始まった

士踊りは二部に分かれていて、最初11時半前に稚児踊りが境内に姿を現しすぐに退場、その後は二才(にせ・青年)踊りです。踊りの振り付けや歌詞は厳しく、ゆっくりした動きの中で、紛れ込んだ間者(スパイ)がいないか確かめる踊りと言われています。
神社の森と青空が美しい

ゆっくりとした踊りで撮影はどうしても全体の動きを写す形になりました。望遠レンズを使って踊り手の表情を細かく狙っても面白そうですが、真夏の強烈な太陽が殆ど真上にあり顔の表情などは写しにくそうです。
スローシャッターで写したが

三脚を使って部分的にはスローシャッターでも写しましたが、広角風景では効果的ではなく、次回は望遠レンズで試したいものです。
11時54分 こちらは稚児踊り

20分ほどの二才踊りの後、11時50分頃から10分ほどの稚児踊り。子どもたちが手に持った太鼓を打ちながら、主に丸い輪を描きながら踊ります。こちらは動きが少し早く、丸く輪を描く場面を多く写しました。
今日も写真仲間に声を掛け合い、近況など語り合えてうれしいことでした。地元のMBCテレビ以外にも、祭り番組制作スタッフを多く見かけました。
故郷の真夏の祭り

多くの子供たちが参加しており、木陰から家族が見守っていました。大切な故郷の思い出としていつまでも心に残ることでしょう。
一時的に雲が広がる程度で真夏の日射しは強烈でした。祭り関係者の皆様、お疲れ様でした。今年もありがとうございました。
12時11分 島津日新公のいろは歌

島津日新公が残された歌が石に刻まれ、林の中の道沿いに並んでいます。
最初の「い」の歌は多くの人が耳にしたことがあると思います。
いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずば かひなし
(大意)昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。
まさにその通りで、自らを振り返ると恥ずかしい気持ちになります。来年も夏祭りを楽しめるよう健康第一で、日々を大切に過ごしたいものです。
ブログ引越作業が終わったようで、gooブログを利用し始めた2013年からの記事と画像の殆どが、はてなブログに引き継がれました。
はてなブログ「花浄土鹿児島」はこちらからご覧ください。なお、当分の間は新しいブログに慣れるために、gooブログとはてなブログに同じ記事を投稿します。
季節の花巡りが主体となっていますが、今後とも花浄土鹿児島ブログをよろしくお願いいたします。
7月23日(水)南さつま市加世田の、竹田神社夏祭りに出かけました。
10時36分 社殿では神事が続いていた 以下の画像は7月23日に撮影

毎年7月23日開催と気付き、前日の農業センターに続く撮影です。朝方は日置に立ち寄り、ナスに水遣りなどしました。
10時40分 神前の舞を終えて記念撮影

周囲に人が多く内部は薄暗くて、舞の様子は写せませんでした。舞を終えて木陰での記念撮影の際、お願いして撮影させてもらいました。
境内に飾られた灯篭

竹田(たけだ)神社の祭神は島津氏中興の祖、島津忠良公です。号は日新斎(じっしんさい)。日新公(じっしんこう)としても知られています。
明応元年(1493年)~ 永禄11年(1568年)を生きた薩摩の戦国大名。島津氏の分家・伊作島津家の出身(伊作は現在の日置市吹上町)です。
元々は祭神の菩提寺である日新寺がこの地に建っていましたが、明治2年(1869年)12月に廃仏毀釈により廃寺となり、代わりに竹田神社が創祀されました。
大きな枝を伸ばす楠

国道側に覆いかぶさっていた大枝は、安全対策のため伐採されていました。
10時55分 神社向かいの用水路に設置された水車からくり

水車の動きでゆっくりと人形が回る、「日新公と戦国島津の英雄たち」です。
11時2分 出店の設置が始まる

出店を見ると幼い頃を思い出します。小遣いをもらって駄菓子を買い、くじ引きでは期待の一等賞はなかなか当たらず。
真夏でもあり、売り上げが伸びるのは午後から夕方なのでしょう。
11時33分 士(さむらい)踊りが始まった

士踊りは二部に分かれていて、最初11時半前に稚児踊りが境内に姿を現しすぐに退場、その後は二才(にせ・青年)踊りです。踊りの振り付けや歌詞は厳しく、ゆっくりした動きの中で、紛れ込んだ間者(スパイ)がいないか確かめる踊りと言われています。
神社の森と青空が美しい

ゆっくりとした踊りで撮影はどうしても全体の動きを写す形になりました。望遠レンズを使って踊り手の表情を細かく狙っても面白そうですが、真夏の強烈な太陽が殆ど真上にあり顔の表情などは写しにくそうです。
スローシャッターで写したが

三脚を使って部分的にはスローシャッターでも写しましたが、広角風景では効果的ではなく、次回は望遠レンズで試したいものです。
11時54分 こちらは稚児踊り

20分ほどの二才踊りの後、11時50分頃から10分ほどの稚児踊り。子どもたちが手に持った太鼓を打ちながら、主に丸い輪を描きながら踊ります。こちらは動きが少し早く、丸く輪を描く場面を多く写しました。
今日も写真仲間に声を掛け合い、近況など語り合えてうれしいことでした。地元のMBCテレビ以外にも、祭り番組制作スタッフを多く見かけました。
故郷の真夏の祭り

多くの子供たちが参加しており、木陰から家族が見守っていました。大切な故郷の思い出としていつまでも心に残ることでしょう。
一時的に雲が広がる程度で真夏の日射しは強烈でした。祭り関係者の皆様、お疲れ様でした。今年もありがとうございました。
12時11分 島津日新公のいろは歌

島津日新公が残された歌が石に刻まれ、林の中の道沿いに並んでいます。
最初の「い」の歌は多くの人が耳にしたことがあると思います。
いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずば かひなし
(大意)昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。
まさにその通りで、自らを振り返ると恥ずかしい気持ちになります。来年も夏祭りを楽しめるよう健康第一で、日々を大切に過ごしたいものです。
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