10月6日(日)さつま町船木地区の豊年踊りに出かけました。
旧宮之城町の船木地区で3年に一度開催されています。
10月6日 NHK朝のニュース

社会情勢は変化が早く、令和元年10月の世情はどうだったのか振り返るときに大切な情報です。皆で支える公共放送NHKをぶっ壊してはいけません。
町を見下ろす丘に建つ平和の塔 以下の画像は10月6日撮影

文化センターの駐車場に車を止めると目の前に平和の塔がありました。日清戦争以降の戦没者慰霊碑で、下の石板には明治天皇御製「世とともに語り伝えよ国のため命を捨てし人のいさおを」が刻まれています。
旧宮之城町は若いころ仕事でお世話になったところです。寄付者名には懐かしい人々の名前があり、顔が思い浮かび感慨深いものがありました。
村祭り感のある手作りの進行表など 船木地区農業構造改善センター

主催者及び来賓あいさつなどの後、13時頃から15時前まで踊りが続きました。最初は棒踊り、他の3団体は太鼓踊りでした。
棒踊り 船木旭保存会

今回は少し遠い位置から動画を中心に記録・撮影しましたが、打ち合わせる棒の音がきれいに響き合い耳にも気持ち良い踊りでした。旗持がテントのある本部とは逆の位置に立っています。紫尾山または近くの神社などへ奉納する形で踊っていたのかも知れません。
髷(まげ)踊り 船木西保存会

ネットで検索すると島田髷踊りの情報が沢山出てきますが、さつま町の髷踊りについてはごくわずかです。私は初めて見る踊りで、形式は太鼓踊りですが踊り手は顔に赤い覆面を付けて、大きな傘の骨のような赤い花飾りを背負っています。
太鼓は一般的な太鼓踊りよりも薄く、バチは木の棒。拍子木よりも大きく大変な腕力と思いましたが桐製品でした。手首に紐を掛けて持つため見た目よりも動かしやすく、持たせてもらうと手になじむ軽やかさでした。
疱瘡退疫を願う踊りのようで、足を高く上げ走り回りながら太鼓を打つ激しい踊りでした。他の太鼓踊りの若者がもっと足を上げて高く飛び跳ねろと励ましていました。
三本矢旗踊り 船木下保存会

鹿児島県内各地に今も多くの太鼓踊りが継承されていますが、大半は神前境内での奉納踊りです。これほどの広い場所で踊るのは珍しく、動きも大きいため若者でないと体力が続かないでしょう。
動画記録の利点は動きもさることながら、鉦と太鼓の音が入るので振り返ってみるには最高です。それぞれの動画は平均2分程度ずつ記録。ビデオ専用機に比較して一眼レフの動画機能はどちらかと言えばおまけのようなもの。
ズームをいじるうちにピントリングも動かしてしまい、微妙なピンボケ動画もありました。また、カメラを乗せた三脚を担いでの移動は他の観客やカメラマンの迷惑にもなり行動が制約されます。
一本矢旗踊り 船木東保存会

観客は強い日差しを避けるように桜並木の下に集まっていました。本部テント横には多くのカメラマンが固まり、まるで指定席のようになっていました。画面に白いテントが入るのを嫌っているようでした。
踊り手は若手が中心ですが、この日はここ以外でも地区内で踊るとのこと。年ごとに秋の行事があり、踊りは3年に一度の開催でも大変なようですが、それを感じさせない若者たちの熱気があふれていました。
久富木地区に立ち寄る

文化センターの山手側から宮之城線跡の道路を入来方向に進み、薩摩山崎駅跡近くに立ち寄りました。1987年(昭和62年)に廃止され30年以上が過ぎていますが、今も腕木式の信号機がしっかりと残っています。
道の角には田の神様

彼岸花は終わってコスモスが咲き始め、稲刈りも始まっていました。
またも台風発生 農家は忙しい

話を伺うと台風19号が発生したため、乾燥機械に入る分だけさらに別な場所の稲刈に移動するそうです。2条刈のコンバインは500万円ほどとのこと。トラクター,田植機、運搬車両なども考えると莫大な金額です。大規模経営でないと、機械代金回収だけでも大変な苦労でしょう。
知人は1000万円ほどの大きなコンバインを持っていて6丁歩も稲作をしているとのこと。平坦地で耕地面積が広く規模拡大には有利なのでしょう。農家の高齢化が進み、国際競争もある中で頑張っている姿が一層頼もしく見えました。
旧宮之城町の船木地区で3年に一度開催されています。
10月6日 NHK朝のニュース

社会情勢は変化が早く、令和元年10月の世情はどうだったのか振り返るときに大切な情報です。皆で支える公共放送NHKをぶっ壊してはいけません。
町を見下ろす丘に建つ平和の塔 以下の画像は10月6日撮影

文化センターの駐車場に車を止めると目の前に平和の塔がありました。日清戦争以降の戦没者慰霊碑で、下の石板には明治天皇御製「世とともに語り伝えよ国のため命を捨てし人のいさおを」が刻まれています。
旧宮之城町は若いころ仕事でお世話になったところです。寄付者名には懐かしい人々の名前があり、顔が思い浮かび感慨深いものがありました。
村祭り感のある手作りの進行表など 船木地区農業構造改善センター

主催者及び来賓あいさつなどの後、13時頃から15時前まで踊りが続きました。最初は棒踊り、他の3団体は太鼓踊りでした。
棒踊り 船木旭保存会

今回は少し遠い位置から動画を中心に記録・撮影しましたが、打ち合わせる棒の音がきれいに響き合い耳にも気持ち良い踊りでした。旗持がテントのある本部とは逆の位置に立っています。紫尾山または近くの神社などへ奉納する形で踊っていたのかも知れません。
髷(まげ)踊り 船木西保存会

ネットで検索すると島田髷踊りの情報が沢山出てきますが、さつま町の髷踊りについてはごくわずかです。私は初めて見る踊りで、形式は太鼓踊りですが踊り手は顔に赤い覆面を付けて、大きな傘の骨のような赤い花飾りを背負っています。
太鼓は一般的な太鼓踊りよりも薄く、バチは木の棒。拍子木よりも大きく大変な腕力と思いましたが桐製品でした。手首に紐を掛けて持つため見た目よりも動かしやすく、持たせてもらうと手になじむ軽やかさでした。
疱瘡退疫を願う踊りのようで、足を高く上げ走り回りながら太鼓を打つ激しい踊りでした。他の太鼓踊りの若者がもっと足を上げて高く飛び跳ねろと励ましていました。
三本矢旗踊り 船木下保存会

鹿児島県内各地に今も多くの太鼓踊りが継承されていますが、大半は神前境内での奉納踊りです。これほどの広い場所で踊るのは珍しく、動きも大きいため若者でないと体力が続かないでしょう。
動画記録の利点は動きもさることながら、鉦と太鼓の音が入るので振り返ってみるには最高です。それぞれの動画は平均2分程度ずつ記録。ビデオ専用機に比較して一眼レフの動画機能はどちらかと言えばおまけのようなもの。
ズームをいじるうちにピントリングも動かしてしまい、微妙なピンボケ動画もありました。また、カメラを乗せた三脚を担いでの移動は他の観客やカメラマンの迷惑にもなり行動が制約されます。
一本矢旗踊り 船木東保存会

観客は強い日差しを避けるように桜並木の下に集まっていました。本部テント横には多くのカメラマンが固まり、まるで指定席のようになっていました。画面に白いテントが入るのを嫌っているようでした。
踊り手は若手が中心ですが、この日はここ以外でも地区内で踊るとのこと。年ごとに秋の行事があり、踊りは3年に一度の開催でも大変なようですが、それを感じさせない若者たちの熱気があふれていました。
久富木地区に立ち寄る

文化センターの山手側から宮之城線跡の道路を入来方向に進み、薩摩山崎駅跡近くに立ち寄りました。1987年(昭和62年)に廃止され30年以上が過ぎていますが、今も腕木式の信号機がしっかりと残っています。
道の角には田の神様

彼岸花は終わってコスモスが咲き始め、稲刈りも始まっていました。
またも台風発生 農家は忙しい

話を伺うと台風19号が発生したため、乾燥機械に入る分だけさらに別な場所の稲刈に移動するそうです。2条刈のコンバインは500万円ほどとのこと。トラクター,田植機、運搬車両なども考えると莫大な金額です。大規模経営でないと、機械代金回収だけでも大変な苦労でしょう。
知人は1000万円ほどの大きなコンバインを持っていて6丁歩も稲作をしているとのこと。平坦地で耕地面積が広く規模拡大には有利なのでしょう。農家の高齢化が進み、国際競争もある中で頑張っている姿が一層頼もしく見えました。