龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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互盛央『言語起源論の系譜』は凄い!

2019年05月08日 00時17分33秒 | メディア日記
互盛央『言語起源論の系譜』の一回目を読了した。
一度読んだだけでは足りない本と出会うことがままある。その多くは哲学者や研究者の主著となるもので、研ぎ澄まされた観念の連鎖について行けず意味不明のまま置き去りにされてしまうという体験だ。
だが、気になる。放ってはおけない。だから何度もチャレンジするがそのたびに挫折する……。

この『言語起源論の系譜』は、そういう本とは少し違う。たった一つのことを言おうとしている、という感じがひしひしと伝わってくる。
それは 「ホッブズ問題」と呼ばれ、あるいはルソーの 「一般意志」が抱える超越論的な身振りとして指摘され、あるいは言語起源の不可能性として語られていく。
つまり平たく言えば言語起源論なんて無理ゲーだよね、ということでもある。
だがもちろんこの本の魅力は、その無理ゲーを近代において人はどれほど繰り返し演じてきたか、という 「系譜」を徹底的になぞっていく点にある。

たどり着くのはソシュールであり、チョムスキーでありベンヤミンなのだが、それを読みたいだけなら最終章だけをつまみ食いすればいい……って、訳にはいかない。
この圧倒的な 「系譜」をたどること、つまり 「言語起源論」に渦巻く 「言説の欲望」に向き合うことなしに、例えばベンヤミンは、例えばチョムスキーは読めない、ということを一読して教わった気がする。
つまり、もう一度そこから過去に向かって視線を投じ直さねばならない、ということだ。
ノート取らなきゃならないなあ、とひさしぶりに思った一冊。
「近代」とか 「人間」とか 「言語」とかについて、これほど正面から向き合った本を久しぶりに読んだ気がする。
これから二度目を読まねばならないのだが、『新記号論』(ゲンロン叢書)も控えている(>_<)。
取りあえずまた感想を後で書きます、というところで。