龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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「フーコー再考」大澤真幸・萱野稔人(その3)

2011年05月20日 23時20分11秒 | 大震災の中で
「フーコー再考」大澤真幸・萱野稔人(その3)

もう一つの龍の尾亭「メディア日記」で、4月30日に聴いてきた対談メモのまとめの3回目(最後)をこちらにアップしました。

よろしければこちらもご覧くださいませ。

メディア日記「フーコー再考」

この対談で、一貫して大澤真幸氏は晩年のフーコーはプレ・フーコーに戻ってしまった、と主張しています。
萱野稔人氏は、ドゥルーズを引用したり、初期考察『監獄の誕生』の後半を引いたりして、フーコー自身の「退却」というか「退行」という大澤説を、そのまま肯定はしていないようです。

今、フーコー思考集成の「パレーシア」の部分を読み始めたばかりなので(ドゥルーズのスピノザ論も中途半端なのに!)私はまだよく分かりませんが、二人の対談の中で浮かび上がってきたフーコーの思考の軌跡は、そのまま今回の大震災における
「人為」の裂け目から「自然」の闇=空白をのぞき込まされた恐ろしさの地点、今私たちが「フクシマ」の名を背負って立ち続けている場所に、繋がっている印象を持っています。

少しもフーコー的なる営み(つまり「知」と「権力」の偏在=遍在を指し示す仕事)は、全く古びていないどころかたった今、何よりも必要とされ続けているように思われてなりません。

私の中では、声高に政治とか科学とかに「要求」することによって、逆にその「状況定義力」の磁場のありようから瞳をそらしてしまうことになりかねない危険を察知する上で、フーコーフラグは立てておくべき基本的「避雷針」か「魔除け」の作用は持っているのではないでしょうか。
どうすればいいのか、なんてことには絶対答えてはくれませんけれど。

でも、フーコーが亡命弁護士の強制送還に反対して口にしたといわれる言葉(萱野氏による)、

 政治的には私は原則主義者だ。権力には何を使っても徹底的に抵抗する。
 これからはセキュリティが主権・政治を凌駕していく。セキュリティが法を越えていく。
 セキュリティを理由にして原則がふみにじられていく。

この「セキュリティ」を比喩的に捉えてしまうのはまたそれはそれで「危険」かもしれませんが、いろいろに考えさせられることばだと思います。「安全だ」と主張することも「危険だ」と主張することも「非常時」における「セキュリティ」をめぐった「状況定義力」=権力のせめぎ合いを示しているといえるでしょう。

政治的には原則主義者だ、というフーコーの言葉を、私は実践的に捉えていきたい、と考えています。
原則的だからフーコー的になれるって話じゃないからね、もちろん(笑)。原則的、もフーコー的、もそれだけじゃ意味はない。

むしろ、その「セキュリティ」をめぐる「状況定義力」=権力の磁力の作用状況について、その細部に偏在する偏りを感知しつづけつつ、それが編制されて大きなベクトルになる動きの「裏」に出ることで、微細な力であっても「他者の言説」の欲望を内面化してそれを自らのものと取り違えることだけはせめて回避できるのではないか、ということだ。
その一瞬の動きの連続でしか「ゴールは割れない」ってことでしょう。

責任が東電経営陣にあるのか、会社自体なのか、株主が出資の限りにおいて責任を背負うのか、貸し付けた銀行の責務は?国策として関与した政府の責任は?

そういう垂直的な統合軸をいくら求めても、「そこより他の場所」に権力は維持されていくという「印象」「感触」があたかも老人の「残尿感」のように残っていうだけのことだろう。

いや、そういう真実の追及はされるべきだと思う。それは大切だと繰り返し思う。

でも、本当に求められているのは、「帰ることのできない家に戻りたい」という失われた町・ふるさと・生活そのものを希求する「切ない思い」の「対象」だ。真理も権力も、その空白の中に瞳によって絵を描くその絵の中の「生活」を求めるような事柄に関しては、直接的に関与できるはずがないだろう。

実際には、原発事故の近くの町には、戻るまでに相当の時間が必要だろう。避難場所で別の仕事を見つけ、新たな生活を営み始めた後で「戻れる」ことになったとしても、そのときすでに、避難場所で生活を立て直した人たちと、「空白の中に存在しない生活」を求めた人との間には、溝が広がっていはしないか。
そういう「亀裂」をも潜在的には抱えて私達は生きていかねばならない。

たしかにフーコーが見事に分析したのは、17世紀から20世紀にかけて資本主義が生み出していった近代における「権力」の様態だった。

でも、どうなんだろう。震災以後も、フーコーの考察が時代に追い越された感は全くないなあ。むしろ、きちんとフーコーを踏まえなければ見えてこないことばかりじゃないだろうか。

ああ、週末暖かくなったから冬物をしまって夏物を出さなきゃならないけど、本も読みたいし。犬の予防注射もあるし、米も買わなくちゃならないし、精米もしてこなくちゃならないし、忙しい……。

勉強し、瞳を凝らそうとすればするほど、課題や疑問ばかりが深まっていく。
そういうもの、なんでしょうけれど。




ポンペイ展に行ってきた(仙台博物館)

2011年05月20日 22時50分06秒 | 大震災の中で
先日、仙台博物館で開催中の「ポンペイ展」に行ってきました。

今回の大震災で一時期展示が中断していたが、ゴールデンウィークから再開。6月上旬まで延長して開催されているとのこと。

ポンペイはご案内のようにイタリアにあるベスヴィオ火山の噴火によって、ごく短時間のうちに火山灰に町が埋もれ、その瞬間に中断された「人為」が長く地中に保存され、結果として貴重な人類の「記録」となった都市です。

ゲーテの
「世界にはこれまで様々な災厄が起きたが、後世の人々にこれ程歓迎されたものはない」
というような言葉が引用されていました。
現状、ちょっと笑えない「キャプション」ですね。
でも、営まれていた「平和な人為」としての人間の営みが一瞬にしてその様を変えてしまったという意味では、さまざまに共感できます。それを鑑賞し、あるいは日常的に使用していた人間が突然まったくいなくなり、残された遺物たちは、そのまま私が目の当たりにした瓦礫そのものに他なりません。

そこに暮らした人間がいなくなれば、それは歴史的遺物としてゲーテのいう「歓迎」を受けるのででしょうか。
しかし、私たちが直面しているのは人為的営為の象徴としての「モノ」が一瞬で瓦礫になってしまった、というショックばかりではありません。そこに人が住むことができるのか。自分のこれからの生活をその場所に重ねて生きることができるのか、という現実的な重い問いです。
その上、放射線量におびえる現状。


今日、双葉町から避難してきた学生さんの話を少しだけ聞くことができました。
中学校に避難していたけれど、夜が明けたら避難の話になっていた、とのこと。
着の身着のままに近い状態で「日常」を置き去りにして「避難」せざるを得ない体験、想像するのも大変です。

展示場には、壁画、床の装飾、庭園の噴水、彫刻、絵画、食器、装飾品、闘技場の戦士の甲冑などなどさまざまな出土品がたくさん並んでいました。
美の女神(アフロディーテ?ヴィーナス?いやいや呼び方が違ってたなあ)とかアキレスとか、都市を象徴する神の絵や彫刻がたくさんあったのも印象的。中でも天使(これもエンジェルという呼び方とはちょっと違うけれど)の像や絵画が多数描かれていたのが特徴的なことでした。
総じて、よくわからないけれど古代的なもの匂いが残っている(ギリシア的なるものの模倣的な側面?あるいはローマ文化を新興のお金持ちが模写模刻させたりしてたのかな?)。

不思議な魅力が満載でした。

これも1000年単位で起こるような大災害と人間の営みが遭遇した結果としての廃墟の瓦礫、だと思うと、いとしさが増すような気もしたりして(笑)。

でも、1000年前の遺品を見て歴史に思いをはせるだけでは済みません。

家に戻ってきたら、近所の家では瓦が払底しているので鋼板屋根に葺き替えたら、300万円もかかったとか年寄りが話をしていました。
うちの瓦礫と化した文字通りの瓦屋根は、ずれてしまっていて、新たに屋根を葺くのと同様のお金がかかる、と診断されてもいます。一通り屋根をやり直せば150万から200万ほど。それでまた地震で壊れれば元のモクアミ。
今流行りの鋼板なら割高でも地震には強そうだし。

「人為」の裂け目を目に焼き付けたはずなのに、明日の生活を支える「家」の修復のために資金のことばかりに頭が行く……。

今週は、「日常」の中に深く静かに潜航していく日々だったようです。

そういう日常の修復もしていかねばなりません。
他方では、いまだに「フクシマ」は新聞の一面をにぎわせ、TVのトップニュースを飾ってもいます。
それも含めて「日常化」してしまう、というのは、なんだか居心地の悪いものを正直感じます。
本当はそれ、「日常」って呼ばないよっていう「日常性」。

ここ最近は、あまりに早く「慣れてしまわない」ことが大切な課題の一つになってきました。
へそ曲がりをしたいわけじゃありません。
ポンペイの人々も、あの日あんな風にすべてが火山灰に埋もれてしまう、と知っていたら、もうちょっと違った選択ができたのでしょうけれど、そんなことが分かるはずもありません。

今は福島第一原発1号機の水素爆発に関してベント実施のタイミングの遅れが「原因」として取りざたされています。

与謝野さんとか亀井さん、石原さんみたいに「天罰」だとか「神のみぞ知る」だとか、よそ者の政治的言説を弄するモノたちにしゃらくさいことを言われたくないと思うけれど、問題の本質は「ベント実施のタイミング」じゃないと思うよ。

どうなんだろう。
そういうのは、部分的かつ線状的な、一本の筋道を探し出すことが「論理的」であり「科学的」だ、みたいな発想に支えられた説得の方法じゃないかしらん。

原発の設計思想(30年以上前のものだから、っていうならさっさと廃炉にしておけって話だしね)とか、エネルギー政策の問題とか、日本における「安全神話」がどうしてこんな「知」の偏在を招いたのかとか、さまざまな分析を重ねていく以外にないのだろうね。
「フェイルセイフ」とかいう発想を教えてもらったのも実は東京電力で作った、富岡町の原発展示館みたいなところに行ったときのことだった。
間違ったときに安全側に触れて止まるようになっている、っていう話を聞いて、「へー、すごいなあ、さすが」と素朴に感心した記憶がある。

ま、結局それもある程度まで、だったってことなんだけどね。
こういう「事件」によってエピステーメーが亀裂を生じ、変質を余儀なくされ、新たな「人為」の基盤ができてくるのかしらん。
永遠に続くはずもない人の営みであってみれば、大きく考えると、この大震災もそういう大きな「知」の断層に直面する一こま、なのかもしれません。







5月17日(火)のこと「大震災が私達にもたらしたもの」

2011年05月17日 00時47分48秒 | 大震災の中で
大震災が私達にもたらしたものを考えると、本当にさまざまな側面があるのだとつくづく感じます。

個人的体験で恐縮ですが、震災の真っ只中で被災者になりつつ父親を看取ったこの二ヶ月の日々は、人と人との関係を感じかつ考える、貴重な機会になりました。

日々の営みの中で病院の一室に閉じこもったまま身近な人間の「死」と向き合いながら、あまりにも大きい自然の圧倒的な力を感じると、その人間の営みの極小の芥子粒のように消えていこうとする命(はかないけれどかけがえのないもの)と、その芥子粒たちが営々と営んで築きあげた人間世界の崩壊とを、同時に「自然の営み」との関係で受け止めることになります。

それは、結果として、私達家族をよりいっそう深いところで響き合わせることになりました。

単純に絆が深まった、ということでもありません。

それがうまく表現できなくて、この日記を書き始めました。


他方、知人や元同僚の中には、精神のバランスを崩して休養を取らざるを得なくなった人もいると聞きます。
あるいは、ぎりぎりのところでバランスを取っていた人間関係が、被災によって決定的に離れてしまった話も聞こえてきます。

安定していたはずの世界像が、ぱっくり裂け目を見せ、ガラガラと音を立てて崩壊し、地面がぐにゃぐにゃになってしまったのですから。比喩でなく。

まるで今までの日常生活が何かの仮象ででもあったかのように、感じられても不思議はありません。

でも、帰るべき安全な場所などどこにもありません。
そんなことを考えると、ふと、

「慌てずに、もう少し茫然としていませんか」と、隣に座った人を誘いたくなる瞬間があります。

しないけどね(笑)。

不安であることは、安心を求める根拠にはならないのかもしれない、と、そんな気もしています。

ほっとする瞬間がほしいのは事実ですが、忘却装置に身を委ねて過剰に「安心」はしたくないのです。

「人為」のリミットとしての「自然との遭遇」による「人為」の崩壊。
えらいこっちゃ、ですよねえ。
でも、そのことによって獲得させられた、この奇妙な水平的開放性は、私達がこの大震災から受け取った貴重な感覚でもあると思うのです。

不謹慎でしょうか。この非常時に。

傷を背負い、その有徴性故に日本中あるいは世界中から「見られる」存在になった「フクシマ」の民としては、この大震災がみせた「人為」の真っ只中の「裂け目」に、空白の中に描かれるべき図像を夢想せずにはいられないのかもしれません。
垂直的な積み重ねの「人為」像とは全く違った、「白描」とでも言うべきような、ありうべき倫理の姿の描線を、その空白の傍らに立ってぎりぎりのところで探していかねばならないようにも。







5月16日(月)のこと<「緊急事態に議論しても仕方がない」だって……>

2011年05月16日 21時55分27秒 | 大震災の中で
放射線管理区域でさえ、1.3mSv/3ヶ月が限度。

年間累積被曝線量20mSv以下なら大丈夫という基準、そして学校の校庭の線量が3.8μSv/hなら大丈夫、という基準は、果たして妥当なのだろうか。
それに関して、今日毎日新聞のサイトにこんな記事が掲載されていた。

特集ワイド:子供の屋外活動制限、基準放射線量 年間20ミリシーベルトって大丈夫?

問題視する側の視点は分かりやすい。
閾値(それ以下とそれ以上で結果が明らかに異なるような境界線の値)がないとするなら、被曝線量は少なければ少ないほどいいに決まっている。

それに対して

引用開始-------------------------------

 「問題はない」と主張するのは、福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーを務める山下俊一・長崎大教授(被ばく医療)だ。「100ミリシーベルト以下は白黒がはっきりしないグレーゾーンで、この緊急事態に議論しても仕方がない。放射性物質に汚染された環境の中でどう生きていくかを優先的に考えれば、『20』は許容範囲。仮に、慢性的に年100ミリシーベルト以下の被ばくが続いたとしても、他にもがんの誘発因子はあり、この数値を超えたら危ないとは言えない。我々の体はそんなに柔ではない。しかし個々が判断して嫌ならば、遠くに避難するしかない」と話す。

引用終了-------------------------------

これ、ちょっと発話主体に問題あり、という印象を持ちます。「この緊急事態」とは、誰にとっての緊急事態なのか?

第一義的には原発事故に最も近く、飛散放射能の放射線を浴び続けている「フクシマ」県民にとっての緊急事態、でしょう。それと第一原発で事態の収拾に向けて作業をしている人々ですね。

「この緊急事態」という発話は、自分の研究における判断に基づいて、「安全だ」という言説を繰り返している過ぎない。
これは、決して当然のことではない。

「科学的」とは何か、なんて話をここで書くつもりはありません。こういうときの「知」としての「科学」は、すぐれて権力性と基盤を共有していることを、フーコーは適切に分析してきたのです。
つまり、「知的な言説」は、すでに「権力的」な姿勢と、基盤を共有しているのです。

山下氏は「この緊急事態」だから低線量にはこだわるな、といいます。

しかし、氏の定義しようとする「緊急事態」は、明らかに「現状適応優先」を欲望しています。

100mSvの線量以下は、閾値以下だから影響はない、砂遊びしても安全、一気に浴びても100人に一人か二人癌が増える程度だから問題ない……そんな風にもこの科学者は語っています。

その「科学性」を疑い得るかどうか、は、一義的には科学の問題ではありません。

だって、100mSv以下の低線量長期被曝については明確な結果が出ていないのですから。


この言説がその内にはらむ「権力」のありようについて見ていかなければならない。
つまりは、権力=言説分析のレベルで考えるべき事柄です。

「緊急事態」に「議論しても仕方がない」というのは、百歩譲って「フクシマ」の住民が言うのなら分かる。
哀しいサバルタン的発想ですがね。

むしろ問題は、さまざまな学者を招聘することが可能であっただろうに、「現状安全」を声高に語る種類の学者を招聘した県知事の「安全言説」を欲望する政治的姿勢の薄っぺらさでしょう。

この学者は、その学者なりの「信念」を、もしかすると「非政治的に」語っているつもりかもしれませんよ。
十分に「政治的」であったならば、これほど責任を取れない安請け合いはしないと思う。

だからむしろ、「科学的」であると本人は信じているからこそ、「知」と「権力」がリンクし得るのだ、という視点が、ここではどうしても必要になってくるのです。「科学的言説」がその基盤において抱えてしまう「権力性」への危険に気づいていないか、その「権力性」を振るうことこそが「科学的言説」の使命だとでも思っているとしか考えられません。

そうでなければどうして
「我々の体はそんなに柔ではない。しかし個々が判断して嫌ならば、遠くに避難するしかない」
という「恫喝」ができるのでしょうか。
これは本人の判断が「科学的」知見に基づいているかどうか、ではなく、言説の品性の問題でさえあります。
そして、品性の問題ということは単に言葉尻ではなく、「そのことばたちが何を欲望しているのか」に注目すべきだ、という意味です。

つまり、山下氏の言説は、自分の「安全」認識を言っているばかりではなく、「非常事態」と脅した上で、住民の不安を、「好き」か「嫌か」という情動的行動に「勝手に」書き換えようとする言説なのです。

「安全だって科学者が言ってるのに、信じないなら勝手にコストをかけて逃げれば?安全なのにさ」

分かりやすく翻訳すると、上記のような「欲望」をこの言説からはくみ取ることができます。

そりゃないよ、知事さん。
バカと科学者は使いようなんだから、この使い方はないと思うなあ。

「安全ていってくれたから、これはしてやったり」とか思ってないですよね?まさかねぇ。
いわき市長と福島県知事の、政治的言説に対する限界がうかがえる、「安全神話」の哀しい現実です。

これじゃあ、なんでもかんでも「不安だ」といってヒステリーを起こす反対派と一緒じゃないですかっ!

私達は、生活もしていかなければならない。フクシマも背負っていかねばならない。
フクシマ人のほとんどは、釈然としないままスティグマをせおわされちゃった、状態なんです。

だからこそ、簡単に「安全」と決めつけたり「不安」だと決めつけたりするのは、私達の立場にとってどちらも「胡散臭い」。

彼らが絶対普遍的一般的科学的に「胡散臭い」と言いたいのではないのです。

決めつけられるほど簡単な問題じゃないってこと。生きることと安全とがガチンコでぶつかってるんですよ。

日本だけでも、かつて年間1万人死んでいたからといってクルマ文化を捨てたりしませんでした。
しかもクルマの事故は日常的にその辺の道ばたで起きているにもかかわらず、です。

だからといって、私達は自動車事故はやむを得ない、必要なんだから事故死は我慢なんて考えずに、人類は共通してさまざまな努力と工夫を凝らし、年間6000人ぐらい(切りましたっけ?)まで事故死を減らすことに成功しているじゃないですか。

なんとかどこでぎりぎりのせめぎ合いが成立しえるのかを、リスクを最低限にするよう努力しつつ安全側に振った上で、それでもなお、フクシマに生活し続ける可能性を丁寧に模索していきたいのです。

ほうら見たことか、原発はやっぱり悪魔だったというような言説、フクシマ県民ヲワタ、的言説と同様、「緊急事態」だから、とか「安全に決まってる、びびるやつはどっかに逃げろ」とは、どこからかやってきた学者が当事者に得々として語るべき言葉の質ではないと思うのですが。

フクシマ県民がどこかで「愚かさ」を抱えていることは認めましょう。本当に神のごとく賢かったなら、原発がこんな風になる前に、原発保有国(じゃなかった県)から降りていればよかったのですから。残念ならが私達フクシマ人は、神様のようには賢くなかった。その通り。日本国民も、だけどさっ。
だからといって、山下教授の言を、そのまま鵜呑みにして「安心」て言われたから「安心」だっていうほど「賢く」=「愚か」にはなりたくないものです。「危険度は超強烈に高い」とまでは思わない。そうだったらもうとっくに逃げ出しています。そうじゃないから悩ましい。

境界線上のせめぎ合いを、どこで保ち続けるのか。どういう戦線を保持するのか。

少なくても私は、「緊急事態なのに、、オレが安全だっていうのが嫌ならならどっかに行け」なんていう「品質」の言説は、言葉の受け取り手のプロとしては、その「投球」、受けとるわけにはいかない、と強く主張しておきます。

さてでは、どこまで「逃げますか」と問われたら、私はフクシマに止まりつづけるでしょう、と答えておきます。

しょうがないから?他に行くところがないから?実は高をくくってる点で上記教授の思うつぼ?あるいは実は同類?

さて、どうなんだろう。自分でもその辺りはよく分かっては居ません。

「フラガール」で、失業する炭鉱夫のセリフが今も耳に残っています。
「なんでオレらが変わらねばなんね?変わっちまったのは時代のほうだべ」

そういうつぶやきを抱えながら、大きな変化に飲み込まれていきます。

「ずっとフクシマに住んできたんだ。なんでいまさらどっかにいかねばなんね?放射能まきちらしたのは原発のほうだべ」

そこに、「安全だ」と言われれば、変化に対応できない人ほど、あるいは高齢の人ほど、上のような気持ちで「安全言説」にしがみつくでしょう。容易に想像できます。
だから、問題は、「科学的」に安全か危険かが証明されるかどうか、の決着ではない。「緊急事態」なんだから、そんな決着はつかないのです。
それを頭から自分の主張を「決着」だと言い張るのは、科学者同士ならいざしらず、心の揺れる住民に、「科学」として与えるのは、やっぱりいかがなものかと思われますね。

原発「踊り」を、「安全だー、安全だ-」とかけ声をかけながら観客として居座り続けるよりは。あるいは、「危険だから」とこの土地を見捨てるのではなしに。
リスクを正面から見つめて、耳を澄ませてどのあたりに「妥当な臆病さ」があるのかを、探していきたいのです。

私はむしろ、今こそそういう「あえかな」「フラダンス」を踊りたいのです。
通じねえかなあ、やっぱり。

フクシマ人のあなたは、安心したいですか?
それともフクシマ人のあなたは、不安だからフクシマを去りますか?
あるいは、もう考えないで開き直りますか?

私はびくびくしつづけながら、それでもなお、ここに住み続けるにはどうすればいいのか、を、開き直ったりおびえたり、実は安全なのかも、と揺れたりもしながら、この土地に50年住んできた者として、その可能性を探していきたいです。

フクシマに住んでおられない方は、どうですか?
フクシマ市民はどうすればいいと思いますか?

ま、すくなくても許容量の限界を跳ね上げたのは、科学的なことじゃなくて、政治的な事柄に属するのは元々自明なんだけどね。それにこの山下さんは利用されたがってるだけです。正しいか正しくないか、を議論しすぎると、私は別の「罠」に嵌ると思う。

公害問題でも、「科学的証明」とか、その場では絶対無理だったはず。
でも歴史がその「政治性」を証明していく。

戦争でも「この非常時に」と戦争が終わるまではいいつづけていた人々は、結果としてみれば「状況適応」したに過ぎなかったことが分かる。戦争が終わると口をぬぐって次の戦後民主主義に「状況過剰適応」していったのでしょう。

私達は、その断層を、「歴史」として学んできている。

だから、「知」もまた「権力性」(これは必ずしも政府とか国とかいうレベルの話じゃありません)と無縁ではいられない、いやむしろ基盤を共有して共犯関係にある、と見ていくべきだと考えています。

どれだけ安全側に振って思考しつづけられるのか?
コストの計算だってそりゃしなきゃならないよ。平常の年間被曝量1.5mSv以内に、とかいったら、フクシマ人の過半を移動させなきゃならなかったりするわけで、そりゃあ無理。受け入れ先だってないし。
だからといって、だよね。
明示的な権力関係の被支配に置かれた人だけが「声を持たない」のではないのです。

私達はみな、どこかで「声を失って」いる。
そしてどこかで自分のものではない「誰かの声」でしゃべっている。
でも、その「声」の力学に耳を澄ませ続けることが必要だから、これを書いています。

安全/危険

の二分法でいえば、原発事故は「危険」です。その中で少しでも安全を高めつつ、フクシマを背負い続けたいのです。
校庭の土を掘り返すことだって、その一つ。
累積線量に注目しつつ、生活をコントロールしていこうとするのも、その一つ。
誰かの言葉をオウム返しに言うのではなく、ね。

「安全だ」という言葉にこそ、敢えてリスクを引き受ける当事者の矜持というフィクション性の自覚がほしい。どこぞの学者さんに慰撫されて安心するのじゃあ、目も当てられない。

安易な「安全」を内面化しない生き方が、フクシマ人にはとりあえず求められていると思うよ。
どんな言葉を外部から「規律」内面化の圧力としてかけられているのか、敏感でありたいですね。





5月15日(日)<もっとも大切な視点>

2011年05月15日 19時37分19秒 | 大震災の中で
日曜の午後、ようやく落ち着いてネットを眺める時間が取れた。
ここでも天皇の慰問に関連して触れた問題であるけれど、こういうブログに出会った。

  弯曲していく日常
     
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20110504#p3

そこからの引用です。
引用開始----------------------
放射能を浴びるという非常に危険であるが故に短時間しか従事できないという仕事に誰が従事するのか、というのが、現在大きな問題になっている。
 解決策は、作業者を固定しサバルタン化し圧力を掛け死に至る放射能を浴びる覚悟を自発的に抱かせるというもの。もう一つは全ての人が対等に交代で仕事につくというヴィジョンだ。あるいは50代以上の男性エリートをすべて交代で作業させよ、といった案もありうる。

 現実には、東電の従来の下請けに対する身分制的支配による前者の方法に頼っているようだが、非人間的である。

「中止して討論する」ヒマはない原発事故は、と怒鳴りながら、ヴィジョンについても、方針についても掘り下げた討論を一切せずに二ヶ月が過ぎようとしている。

私たちが前提にしている事、例えば原発推進体制や会社の存続といったものは、実は当然変わりうるものであり、危機の時こそそれを考慮に入れた真に深い〈討論〉がなされなければならない。

 権力者が情報を隠蔽し庶民の恐怖心、不安をコントロールすることにより支配を維持するという三文芝居を止めさせなければならない。
引用終了---------------

この問題、どう考えても考え抜くべき最重要課題の一つです。
「サバルタン」はサーバントの元かな?「従属者」の意味で、被支配を受けている者たちは自らを「語り得るのか」という問題設定でよく用いられる社会学の用語、ですかね。

つまり、黙って黙々と被曝線量を累積させながら原発事故収拾と沈静化に向けて「働いている人々」は、「被支配的立場」に置かれていて、有形無形にその被曝線量を増大させられる仕事をする覚悟を「内面化」させられてしまっているのではないか?という問題提起ですね。

それに対する有効な対抗提案がどこからも為されていない現実は、「フクシマ」の聖痕を受けた「被害者」である福島県民ばかりでなく、日本国民あるいは全世界が直視し、乗り越えねばならないことだと感じます。

「じゃあおまえやれ!」
と言われても困ることは事実。ぎりぎり追い詰められたら、私も「やる覚悟」を持ってしまうと思うけれど。
「絶対やだ、フクシマがどうなろうが日本がどうなろうが世界がどうなろうがオレは世界の果てまで逃げる」
っては、人はならないのですね、そう簡単には。
現に、「普通なら逃げ出す超高線量の作業を、黙々と日々行っている作業員の方々がいるわけだから。
責任かプライドかあきらめか、立場か使命感か。

いや、現実には東電→協力企業→下請け企業→人集め担当→作業員、みたいなヒエラルヒーが厳然として存在していて、その中で「被支配的な立場」で「言葉を持たない」=サバルタン化した状況に追い込まれた人々が現実に作業しているのじゃないでしょうか。

現に、福島県いわき市内の原発から数十キロ離れた温泉に宿泊して、朝、Jビレッジというサッカー施設に向かってバスで移動し、そこで装備を着装して危険地域に入って作業するのだ、という話があります。
そこに行ってインタビューしてこいって話ですよね、せめて。

でも、私達はそこに触れないまま、汚染物質や汚染水を外にまき散らし続けている原発事故の責任を東電に背負わせておしまい、みたいな報道になっている。

たしかに、作業員の方は大変だっていう報道はあります。

でも、それでおしまい。避難民の方とか、災害に遭った方とかのドキュメントは丁寧に見ることができるようになった。

今最前線で闘っている人の志気をくじいてでも彼らの命を守ることは
「反戦=非国民」的な短絡発想、ってことになるのかどうか。

あるいは国民がそういう重すぎる話題を避けるとメディアが判断しているのかどうか分からないけれど、本当は日本の将来の命運を握っている、大変な仕事をしている現場の作業員の方の「声」は、全くといっていいほど届かないのが実情です。

インタビューでも匿名がほとんど。

原発事故区域で、最も危険な作業をした自衛隊員は、イラク派兵の時よりも高い一日4万円超の手当を出す、という報道が今日ありました。

でもたぶん、ずーっとぎりぎりまで危険な作業をしている人は、自衛隊員ばかりじゃないはず。

「声を持たない」人の代弁なんてそうたやすくはできない。

でも、瞳を凝らし、耳を澄ませて「フクシマ」という「傷」を抱えていく、というつもりなら、今も作業を続けている人々に、私達が果たしてどんな「言葉を持ち得るのか」、自問しなければならないだろう。

ことばをもたないのは果たして本当に「サバルタン」と呼ばれる人々だけなのか、と。



5月15日(日)のこと<やっぱりネットの存在はありがたい!>

2011年05月15日 19時08分06秒 | 大震災の中で
最初、混乱の中でネットを検索しただけでは、さまざまな声が錯綜していて、何をどう信頼して考える材料とすればよいのか、が正直分からなかった。

だから、政府と新聞・TVの報道を基本にしながらこの2ヶ月は考え、行動してきた。

原発事故発生から2ヶ月がたって、ようやく全体を振り返ることができるようになってきて、うろうろしていたら、

宇宙線実験の覚え書き

というブログに行き当たる。
こういう仕事をしてもらえること、そしてネットでその仕事を共有できることに感謝。福島県内の人で、まだ未読の方は是非にも一度閲覧をお薦めしておきます。
公開されているデータを集めて入力して、福島県内放射線量の地図上での可視化を行い、併せて年間被曝量の推定図も作成してくれています。

そこからの引用。詳しくはoxon氏のサイトへ。

引用開始-----
この頃(3/23:foxydog注)、福島市でさえ放射線量が 5 μSv/h くらいありました。放射線量の測定に加えて、その成分の 1~10% 程度が半減期 30 年の Cs 137 であるということも、KEK の測定なんかで分かりつつありました。ということは、福島市より数倍程度高い放射線量の地域では、0.5 μSv/h 程度が長期にわたり継続するということです。0.5 μSv/h が 3 ヶ月間継続すると、約 1 mSv になります。一方で、日本の法律で定められている放射線管理区域が 3 ヶ月で 1.3 mSv の場所なので、この数値を超えるような場所はいくらでも出てくるということです。法律をそのまま適用すると、居住不可能な地域がボコボコ出てきます。
引用終了-------

情報は隠されているわけじゃない。上記oxon氏のサイトは可視的に一目瞭然の形に整えてくれているけれど、線量測定は、3月15日ぐらいから、ずっと県内各地のものが公開されつづけているはずだ。

問題は政府の扱い方における「権力性」なんだよねえ。

校庭使用可能基準がたしか3.8μSv/h。こうしてみると、改めて、高い。

高すぎる。
使える校庭の数を確保できるように文部省が丁寧に考慮して後出しじゃんけんした値か?と思われる。

データが信用できないんじゃないんだよね。
政府がデータをコントロールしているわけじゃない。
嘘を言っているわけじゃない。

問題は、大澤・萱野対談でも指摘されていたが、その「水準設定」や「解釈」において発動する「知」と「権力」の共犯的な関係性なのだと思う。

学校が大丈夫だと一度宣言してしまえば、たとえ市民がその基準に反対しても、過半の子どもが学校に登校すれば、より「安全」に振った対応を求める市民やその子どもは、「学校」という規律訓練の場から退場させられてしまうことになる。

「不安なら転校なさいませ、安全なんだけどね」
ってスタンスじゃあ、大多数の市民は抵抗できないだろう。
でもさ、どう考えても、普通に法律で、「3ヶ月で1.3mSv」が放射線管理区域の「上限値」と設定されていたのに、
校庭に寝そべって1年間生きてく人はそりゃあいないけれども、校庭の基準値が3.8μSv/h。

3.8μSv/h×24×30×12=30mSv/y

計算するとあきれます。
あまりにたやすく基準が緩められていることに茫然とする。

市民の避難基準となっている累積線量20mSv/yっていうのも、放射線管理区域(平時における貯蔵施設とか放射線治療施設の人を対象とした概念ですからねえ)の設定にくらべていかにも高いのでは?


むろん、放射線管理区域の設定は、安全マージンを取っているのだろう。平常時だからね。
じゃあ今は何時?「戦時下」?
少なくても「非常時だからは我慢しなきゃねっ」て話になるのかなあ。

「安全だ、っていわれているから安全」
「考えてもしょうがないから考えないようにしてる」
「まあ、みんな同じく生活してるんだし」

どうですか?累積線量推計の比較的高いところに居る人は、平時における線量設定から比べてかなり高いところにいることを十分自覚つづけられているのでしょうか。
同じ「フクシマ」に住む住民としていささか心配になります。





5月14日(土)のこと<公務員の原発事故避難への非難と処分>

2011年05月14日 00時36分03秒 | 大震災の中で
>原発事故後に有給休暇を取ったとして
>茨城県土浦市が職員3人を処分したことが、
>論議を呼んでいる。

詳細はこちらの記事を。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110511-00000006-jct-soci

細かい事情は分からないが、公務員には基本的に理由を問わず自由に有給休暇を取る権利があり、他方、上司には必要と認めた場合には業務命令を出してそれを変更するよう求めることができる、と理解している。

要は仕事なんてバランスの問題みたいなところがあって、歯車の一人がいなくなったからといって、必ずしも仕事が立ちゆかなくなるとは限らない。
ただ、じわじわと周囲に影響を及ぼし、疲労やストレスが蓄積して仕事のクオリティが低下する要因にはなるだろう。

前段で休暇が受理されている以上、緊急業務であることを十分考慮して上司が受理したのかどうか、から検討されるべきだ。

優先順位が順当ではない処分だと感じる。

まあ、自分のことに引き比べて考えてみると(特に緊急時というのは個々に事情が異なるので、漠然とした感想程度になりますが)、たとえば勤務中に事故やさしせまった危険が身に迫ってきた場合、顧客にその危害が及ぶ危険があることを認識しているにもかかわらず、自分一人で逃げてしまったら、処分云々をいう以前にもう自分自身の職業倫理として、その職は継続できない。

私の場合顧客が、保護されるべき年齢である、という点も大きいが。

上記の例でも、市内の建物の倒壊があったり、避難民を受け入れる緊急業務があったとなれば、公務員としては踏ん張りどころだと、基本、「公務員魂」的には盛り上がるところだ。

奥さんがパニックに陥った、との補足もある。
この場合は、けっこう難しい。奥さん+子どもだったら、静岡の親戚に送り届けて業務に戻る間、間に合わなければ年休取得も「あり」っぽい。

あとは奥さんの「パニック症状」の重症度にもよるかな。

さらに、ちゃっかり休暇的に5連休しちゃうのではなく、休む人も、平日年休取って休んだら休日出勤しましょうか、的な打診をしておくと良かったね、と思うのは日本人的「配慮」かなあ。

ただし、3月13日~15日の爆発を伴う福島第一原発事故の状況は、公務員ではあっても、危険を感じる瞬間はあって当然だ。職場を放棄しても逃げる、という確信犯だったのなら、周りが処分の妥当性を云々する意味も小さい。

他方、処分の実情が、「自分たちだけ休みやがって」的な恨み節や、市民向けに体面を取り繕って部下を率先処分、とかいうパフォーマンスだったら、困ります。

私の元同僚の中には(やはり公務員だけれども)震災以後、心の不調を訴えて入院加療に入ってしまった人が複数いますよ。公務員だろうが東電社員だろうが、自分や家族の具合が悪ければ、何があってもしっかりやすむべきだ。
他方、一端家族をつれて遠くに避難し、単身職場に戻ってきた人も多数。
私は家族だけ避難させて自分は年寄りの入院看護、で休暇、という形でした。

結局当たり前の話だけれど、状況による、よねえ。

ただし、基本権力を握っている人、状況定義力のある人は最後に逃げるべきだ。

どこまで何をしたら逃げたことになるのか、どこからどんな形で事態に参加すれば逃げないことになるのか。これも突き詰めるとそう簡単じゃないかなあ。

報道の内容とはほとんど無関係になってしまうけれど、「倫理」の問題も含めて、「私的」であることと「公共的」であることの関係についても、難しいですね。



5月13日(金)のこと<昨日の愚痴がきこえたみたい>

2011年05月13日 22時30分05秒 | 大震災の中で
今日、職場に人員加配検討の話が来ました。どうなるかは分からないけれど、検討してもらえるのとそうでないのとは全く違いますから。

愚痴が聞こえたかな?

結局いろいろ追いつかないのが被災という現状なんだよね、きっと。

いろいろがんばるんだけれど、どこまで頑張ればいいのか、だんだん見当がつかなくなってくるのです。
誰かに何かをしてほしいという感じはあんまりなくて、自分たちでなんとかできるもの、あるいは忍耐で乗り切れることは、なんとかしてしまいたい気持ちになります。
でも、気がつくと頑張りがきかなくなっていそうで怖い。

特にふつうじゃないときは、ぼちぼち行くのが一番ですね。

先月、体調不良で断念した温泉旅行を再チャレンジです。

なんだかんだいっても寿命が縮む思いをしたので、少しはのんびりしたいですね。何年か前、両親を連れて3人で行った温泉に今度は母と二人で。

父親が亡くなって二月ほど。もういなくなった家族なんだけれど「全然いない」ってわけでもないところが面白い。
むしろ、人の不在の方が「断片的」なリアルだったりします。

誰であっても、普段から24時間その人と一緒に過ごしてきた、と言う人はそう多くはあるまい。

だから、家族が死んで居なくなったとはいっても、常に「不在」を意識しているわけではない。

無論、頭ではいないと分かってはいる。

だが、身体に深く刻まれた記憶によって、私たちは時折不意打ちのように、故人がいたときの振る舞いを行動に一瞬蘇らせ、その後に「不在」を再認識させられる。

思わず表情を緩めて隣に同意を求めたとき、戸棚まで歩いていき、無意識に湯飲み茶碗を一つ多く手にしてしまったとき、テレビを見ながらふともういなくなった場所に視線を巡らせてしまうとき、人の「不在」はむしろ、そういう身体的な断片的不意打ちとして意識させられるのだ。

懐かしく思い出すためには、もう少し忘却に沈む時間が必要らしい。まだ私と母の間には、境界線上に佇む父親の痕跡が、時折領域を飛び越してこちら側にやってくる。

そういえば、彼は生きているとき
「死んだら淋しいから化けて出るよ」というたびに、「そんなことできんもんならやってみな」と母に軽く流されていたものだった。

しかし、一人でテレビを観ている母親の背中は、まだ何かぎこちない。それは寂しさ、というのとはちょっと違う。まだ身体的な世界が新たな秩序を未だ纏い得ていない、とでもいう感触だろうか。

「喪に服す」とは、この身体的空間像の組み換えに時間をかける、ということだったのかもしれない。
脳みその無意識に組み上げられた存在感
=「日常性」。
そこにしっかりと根を張った人物像は、ゆっくりと退場していくのだろう。急ぐ理由は何もない。毎日お茶を一緒に飲みながら、少しずつ変化していけばいい。

葬、喪、鎮魂とは、本当に「遅れた」モノたちの心のケアそれ自体なのでした。



あまりにひどいので書いておきます。

2011年05月12日 22時18分55秒 | 大震災の中で
>福島県教委は「教えるべき学校がない皮肉な状況。教師をリストラするわけにもいかず、
>予算上、『加配』という形をとらざるをえない」と別の問題も生じている。
(産経新聞5月12日21時3分配信)

そりゃないよぉ。あんまりなので書いておきます。

福島県では、原発事故の影響で児童生徒が数千人の規模で県外避難をしています。
ですから、電卓を叩けば教師の総数が「余ってしまっている」状況が全体としてはおきているのかもしれません。

でも、対応の失敗もあると思うのです。
福島県では、震災に伴って、人事を凍結しました。転任の凍結ですね。
ですから、転勤の内示を受けていた人たちも、教諭は現任校に4月以降も勤務しています。

しかし一方、新採用は4月に配属されます。
新採用とは、教諭として正式採用された人ばかりではありません。臨時の講師も全て、4月1日から新任校に配属されています。
その結果、転勤するはずだった教諭の補充に新採用や講師がたまたま配属されたところは教員数が余剰となり、講師が転出して、教諭がくるはずだったところは教員数が不足することになったのです。

分かりやすい話ですね。

それでも、1年間凍結ならば、不足する学校に通年で講師を配置することでしのげます。
ところが、数ヶ月だけ、ということになると、そのままアンバランスは放置されて、被災の中で7月までは人員不足のまま仕事を強いられることになりかねません。

余っている分、不足している場所も多いはず。

現に私の部署は授業スタッフが1人不足のまま、避難場所での授業が始まりました。
1人が3ヶ月不在っていうのは、ボディブローのように効いてきます。

いちおうナンチャッテ被災者なんだけどね(最近の口癖かっ<笑>)。




それで新聞には教師が余っているかのごときコメントを出すとは。
「怨嗟の声」の一つも書いてみたくなりました。

やれやれ。


5月12日(木)<避難場所で授業がようやく始まった>

2011年05月12日 21時50分21秒 | 大震災の中で
3月11日以来2ヶ月。始業式から数えても3週間以上たち、授業が始まった。
双葉地区からの避難師弟20人以上を受け入れた私の勤務校自体が、地震で建物が壊れ、大学に間借りをすることになった。

被災地でかつての「日常」を立ち上げ直すのは大変だ。何が大変かといって、全てが「非日常」であるなかで、何ができるのか、そして何が無理なのか、全て手探りなのが辛い。
避難場所として私達を受け入れてくれた先に本当に感謝しつつも、悪態を「百万陀羅」吐かねばならぬほどの難行である。
津波に小言を言っても始まらないし、かといって私どものところに社長も部長も首相も王様も来ちゃくれない。来られても困るが。
てめえらでなんとか校舎という「家」を失ったマイナスを飲み込み、「仮設」ができるまで踏ん張らねばならない。

さて、またこういうことを書くと叱られてしまいそうだが、私個人についていえば、この、学校が再開できない「被災」を、あまりマイナスとだけ捉える気にはなれないのだ。

生徒たちは夏休みを前倒しした結果になり、8月上旬まで休み無く授業が続くことになって気の毒ではある。
大学の教室は出席率100%を前提として作られていないし(学生の数に見合った座席はあるけれど、実際に全席座ると「非人間的状況」だ)、講義中心だから大教室が比較的多い。
現況、120人が一クラスにひしめいて一日を暮らす「クラス」が出てきた。そうでなくても80人クラスがほとんどである。
いわゆる「高校生活」は成立しない。


いわき市内の高校は、数校そういう状態になっている。それでも3月に被災した学校はプレハブ建設が着工しているが、4月11日の余震で壊れた高校は、避難する場所もなく、体育館をパーティションで区切って、ほんとうに「避難所」的授業を強いられてもいるのだ。

体育館を区切って授業をすれば、「規律訓練」的側面は幸か不幸かほとんど成立しない。隣の音は聞こえまくりだし、壁で仕切られていない中での授業は、集中力を欠き、散漫になることが予想されるだろう。

さて、それがマイナスとだけ感じられるわけではない、というのは、ちょっと申し訳ないというか失礼なというか、バカな話、だろうか。

でも、そういう「不幸」は、人を結びつけもし、共有基盤を再確認させられもし、大きく成長する端緒ともなり得る。彼らはぐっと大人になった。

不幸が人を大人にする、なんてセリフ自体、戦争帰りの大人の捨て台詞のように私は若い頃受け止めていたから、あまり口幅ったいことは言えない。

「フクシマ」や「東日本大震災」は、戦後の焼け野原以来59年ぶりに生活保護200万世帯超をもたらそうとしている。
でもね、東北の人だから、とか日本人だから、とかいうんじゃなくて、人はどんなにひでえ状況でも、そこから状況に適応し、状況を変化させ、あるいは自らの立ち位置・姿勢を変えてでも、それを糧にして自分を動かしていくように出来ているのだと思う。

以前から書いている「日常性」の忘却装置とは似ているが、違う。

「日常性回帰」の欲望によって作動する「忘却装置」は、世界をプラスかマイナスかでしか計算できない。

でも、「非日常」は、「日常」的価値を重んじる眼鏡をかけるものにとってだけ「マイナス」に見えるにすぎない。

もちろん、家がつぶれれば生活は立ちゆかない。現代人、水とガスと電気が本当に長期間断たれれば生きて行かれない人が増えるだろう。

当たり前の話だ。

ただね。

どういう生活様式や水準、姿勢、価値観が「あり得るのか」が、「非日常」の中では全て問い直しを迫られる。

逆に言えば、我々凡庸な輩がにもかかわらず「コモン・センス」を問い直せるのは、こういう「聖痕」が「人為」に裂け目を示した瞬間だけなのだ。

だから、何の解決もしていないのに、「無力」である「王」に慰撫されるだけでは足りないのだ。
あるいは、補償を求めて怨嗟を声を出すだけでは足りないのだ。

もちろん、慰められなければこころは石のように固まってしまう。
とうぜん補償されなければ、津波や原発事故の瞬間の中で凍り付いたまま置き去りにされ、生活が破壊されてしまう。

だから、癒されることも大事だし、恨みを忘れずに相手にその怒りを突きつけることも大切だ。

しかし、その中で世界を縮減してしまうのでは何にもならない、と私は思う。

他の人の体験ではない。
何か理屈が分かって言っているのでもない。
具体的かつ個人的に、私は3/11以降、むしろ世界に対する視界が圧倒的に晴れ上がったのを本当に「確実」に感じるのである。

真実が見えた、という方向性ではない。
そっちではなく、「真実」が全てではないのだなという手触り、異質さゆえの共鳴を、その「負の聖痕」から波動のように感じ続けているのだ。


この「晴れ上がり」の感触についての言及は、被災された方に対して「失礼」だというか「傲慢」だというか、そっちの方向に受け止められてしまうと本当に不本意である。あるいは、これほどの苦しみを受けている人間を前にして、

「それはマイナスばかりじゃない、なんてどの面さげて言えるのか」
と言われればその通り。

ごめんなさい、である。

でもね、考えてみると自分自身もそれなりにナンチャッテ被災者とはいえ、被災者ではあるんだよね。

職場が2ヶ月封鎖されて開店休業状態。
その2ヶ月を取り戻すべく、仮住まいで仕事を立ち上げるのは、正直結構しんどいのです。

家だって一部損壊5%は下りるけれど、査定は10%程度。保険金と補修の金額差はざっと4~5倍。
全部現状復帰するには100万単位でお金はかかる。むろん全部借金です。

ローンも残っている家なのにさっ。

にもかかわらず、これはマイナスばかりではない、と感じるのです。

単なる不安への過剰適応症状?そういうタイプ?
はたまた誘拐犯に人質が恋愛感情を抱くたぐい?ダメンズに惹かれる娘的心境?
いやいや、個人の「変態性」には還元できないと思う。

そういうプラスとマイナスの「隙間」でバランスを取るという「心理主義的な考え方」では、これは測れないんじゃないか。

マイナスとかプラスとかいうその根底にある場所に触れて、皮膚が深いやけどをしたのだけれど、その痛みが「覚醒」をもたらした。

つまり、プチ「地獄」、プチ「死への漸近体験」みたいな。

日常性が瀰漫している時なら、無用の長物なのかもしれない。
そして「非日常性」が今はやっているのは間違いない。

でも、もう、物心ついたときから求めてきたものだから、この体験によって世界が「晴れ上がった」感触を、なんとかして「伝えたい」のだ。

これ以外に、人に伝えるべき事柄は、私にとってはもう存在しない。

「啓蒙について」(カント)について書かれた「啓蒙について」(フーコー)を読むにふさわしい時は、今をおいてない、のも道理かもしれない(笑)。


5月12日(木)のこと<大量の水が漏れ続けている>

2011年05月12日 21時02分31秒 | 大震災の中で
 福島第一原発一号機で、圧力容器に穴があき、燃料は底に溶けて固まった状態になっていて、そこに注入された水は万トン単位になっていて、うち行方不明の水が3000トンにも上るという。

 どの話に驚いたらいいのか素人には分からないほど、驚きだ。

 そして、三号機では取水口から海に、セシウム134についていえば法定基準の62万倍の濃度の汚染水が漏れていたのだという。

 水位が思ったほど上がっていないという話は聞いていたから、そりゃあ漏れていたんだろうさ、と想像はできる。
 その想像が確認されるまでは、「確認できていない」という話にとどまる。
「確認できていない」→「可能性を否定できない」
に変化するまでには、かなりの時間がかかる。「可能性を否定できない」というのは、こちら側で聴いていると
「認めたくはないが、どう考えても認めないでは記者会見を乗り越えられないから、ぎりぎり相手が疑っているところにはボールを投げておこう」
という姑息さが見え隠れしてしまう。

ともあれ、何に驚けばいいのか、だんだん分からなくなってしまうよ。通常規定値の62万倍、とか言われても、ああまたか、みたいになりかねない自分の脳みその「適応力」を考えると、嫌になっちゃう(苦笑)。

一号機の炉心圧力容器の底に塊状になって燃料が水の中にあると、表面積が小さいから内部に熱を持ちやすく、冷却がしにくい上、その水が漏れているとなると、高濃度汚染が心配されるため、作業工程に支障をきたすかもしれない……

とか言われても、もう私達にはどうすることもできないです、はい。
正直なところ、現場は話を聞いているだけでも、どんどん高濃度汚染が炉心から外に広がりつつあって、もう廃炉やむなしというレベルではなく、施設を含めた周辺地区に帰るためには相当な年月を要するのではないか、という危惧が頭をもたげてくる。

双葉地区からいわき地区に避難してきた人たちは、もう簡単には戻れないことを「覚悟」している、という話も聞く。
その「覚悟」を強いられる心中を察すると、言葉もない。

「フクシマ」の「聖痕」は、そういう幾多の「受苦」を世界に発信しつづけているのだとすれば、私達は、この大惨事と出会ったことから目をそらさずに、どこまでも命のあるかぎり、瞳を凝らし、耳を澄ませ、触れ続けることによってその「裂け目」をふさいでしまおうとする力に抗い続けなければならない、と改めて思う。

さて、今眼前に進行しているこの事態に瞳を凝らし続けるためには、努力し力を込める「やり方」、「姿勢」についても考えていかなければならないだろう。

またトンチンカンなことになるのかもしれないけれど、
カントの『啓蒙について』についてフーコーが書いた『啓蒙について』を読んでいる。
どこがどう繋がるのか繋がらないのか、まだ分からない。
しかし、理性の私的使用と公的使用の一致する場所に「啓蒙」が置かれている、という指摘は、そしてそれがカントの3批判の「方法」「姿勢」を最もよく示しているのではないか、というフーコーの言及は、今晩ゆっくり考えてみるべき課題である。


5月11日(水)のこと<天皇夫妻の訪問は福島市と相馬市でした>

2011年05月11日 23時38分25秒 | 大震災の中で
天皇夫妻の被災地慰問は、福島市と相馬市でした。

そりゃ第一原発現場作業員のところには慰問には行かないわなあ。
ってか、そんな無鉄砲は言い出したりもしないのだろう。

結局ほどよいところで調和するのだろうね。

やはり天皇は「日本社会」程度の辺境を守る祭祀の規模のものにすぎなかったのか。

残念。

少なくても現在進行形の「フクシマ」という聖痕は、今のところ簡単に慰撫され、忘却され、回収され得る傷ではない。

それを喜んでいいのかどうか分からないが。

天皇は日本社会の問題を封じ込めるという意味で「瓶のフタ」だ、なんて比喩を用いる人もいますね。
たしかに不満の調整弁として「機能」している面がある。

でも、その水準を動的に定位しつづける嗅覚というか、触角というか、それはある種「至芸」でもある。
その「文化」レベルでの高いパフォーマンスぶりが忘却の空白装置としてあまりにもうまく作用しつづけ、その周辺に渦巻く「政治」とか「権力」の身振りが、上手に脱色されていくという弊害も持つ。

弊害と言うより、そういう「空白化装置」であるからこそ、表舞台の「政治力学」から退場して1000年ちかく経っても無くならない(というより日本の政治ならぬ政治、権力ならぬ権力が作動しつづける不可欠の前提として機能しつづけている)。

私が勝手にそんなことを言ってもたいした意味はないが、明治期は後半から特に使い方を間違えたのか、とさえ思う。

自慢じゃないが、子どもの頃、私は
「天皇なんて仕事は大変だから一刻も早く退位し、普通の人として「解放」してあげればいいのに」
と本気で思っていた。

今は、天皇システムすげえ、おそるべし天皇制、と宗旨替え。

ってか、このすごさを分かりすぎるとやばいと思うが、気づかないのももっとやばい、ぐらいのことは分かってきた。
大人になるのが遅すぎる、だろうか。

天皇はやっぱり原発の「親戚」みたいなところが、ある。

「人為」の果ての空白に立つのだから、「責任」なんて取るはずもない。だからこそ生き延びる。そう。

問題はだからおそらく「責任」を取らないことではない。「責任」を取らないからこそ機能し続けるのだもの。
とすれば、「責任」を取らないから問題だ、と天皇に匕首を突きつけたつもりでも、そのやり方では戦いきれないのではないか、と思うよ。

それが正しいとか間違っているとか、政治的に利用されているとか、いや日本人だからこそ、とか、そういうことは正直この私のこの感触の問題からずれていく。

そうじゃなくて、問題があるとすれば、根本的に常に生き延びる側に立つ手品が胡散臭いのだね。
結果として被爆したり戦争に行ったり津波を受けたりせずに、天皇カンパニーは延命しつづけている。

常に生き延びるのはもはや「賭け」ではなく、「胴元」のテラ銭狙いかインチキ野郎に決まっている。

その「弱さ」=「無力さ」を装った「強さ」・「しなやかさ」は、本当に滅びたことがない究極の擬制的共同体の機能のみが続いていく不気味さをはらんでいる。

本当には「聖痕」の側には立たず、常に生き延びる側にいながら、しかも祭祀の力によってその近傍に立ち、幽霊たちの声を聴く力を持ちながら、それらを鎮魂せしめていく。

「エセ文学かっ?!」

そうか。
この辺り、三島由紀夫晩年の「素っ頓狂」な言動を想起させずにはいられない。

あの頃、「文化防衛論」(今時の人は全く知らないんだろうなあ。オレも中身は分からないが。だって「文化」「防衛」ですよ。意味分からん)なんぞという「荒唐無稽」にも思える論を展開したあげく、市ヶ谷の自衛隊で決起を求めて果たせず自決に至る流れなんて、未だに意味不明だが、それでもなにやらこの辺りのことをやり出すと、よほど注意深く思考をクリアに保たないと、頭に霞がかかってくるのを感じる。

「人為」のリミットにおける裂け目の傍らに立ち(そこは正直凄いと今も思う)、祭祀によってその「空白」の力を現世に召喚し、日本という限定された場所において、「場所の持つ宗教性」に訴え続ける。

身を寄り添わせることだけが異様に上手で、現実に力を持つ言葉を全く持たないのは恐ろしいね。

んー、平成天皇は「象徴天皇」というシステムをある種完成の域にまで持って行きつつあるかも。

単純な為政者のガス抜きに利用されることに上手に乗っている、っていう底の話ではないな、どう考えてもこりゃ。
宗教装置とか文化装置と、知・政治・権力の関係を、頭の温度を下げてさらに瞳を凝らしていかねば。

大震災や原発は、もちろんある種「人為」のリミットではあるけれど、引き金を引くのが「自然」であるだけまだ「かわいいもの」なのかもしれない、とさえ見えてくる。

さて、だが、このとき「自然」とはいったい何のことか。「自然/人為」の二分法では捉えきれない「自然」を再び想定してしまう危険はないのか。

逆説的かもしれないけれど、天皇性=天皇制は、そういう「自然」周辺の言説についてまでグルグルしてみないと捉えにくいかもしれない。

私は「フクシマ」において一瞬天皇夫妻と、あるいは「日本」とすれ違った、ということか。

この問題もさらに要検討です。




5月10日(火)のこと明日から授業開始

2011年05月10日 23時55分56秒 | 大震災の中で
明日から授業開始。
3/11以後、校舎が地震で立ち入り禁止&危険状態となり、一度だけ体育館で始業式・入学式をやった以外は休業中だった職場が、ようやく再開される。
場所を大学に移し、設備をお借りしつつ3ヶ月ほどの居候生活が始まった。

彼ら高校生が、現役のうちに「大学」の匂いを肌で感じることができるのは大きな収穫になると思う。

一方、「高校生」としての彼らの生活の日常を保持しようとするのは大変だ。

どこまで「非常時だから」と認識・行動すべきなのか、はいろいろ難しい。

たとえば携帯電話の扱い一つにしても、福島県内の高校は敷地内使用禁止で統一されている。
持ってきてもいいけど、校内では使わないで、というスタンスですね。
でも、大学生とかそんなルールはない。さてどうする?
みたいなね。
些細といえば些細、どっちでもいいといえばどっちでもいいことの一つ一つの積み重ねが、「高校」という擬似制度的な共同体を構成し、その中で好むと好まざるとに関わらず、私達教師も生徒も保護者も周囲の人々も生きている。

大災害による避難、原発事故による避難のとき、もはやすでに具体的な事物としての「町」や「学校」はなくなっているのに、「町民」や「高校生」、そして「家族」は、それを容れる具体的な器としての「家」や「校舎」や「地域」を失っても継続していくのが分かる。

他方、継続していくのは確かだとしても、変質を被るのも避けられない。
だってもう、バーチャルなんだものね、ある意味。

避難所、にいくと、それが分かる。ほとんど全ての「生活物資」が、「物資」としてその都度供給される以外は、体育館に敷かれたシートの何平米かのみが生きる「場所」に過ぎなくなる。
たまたま「町民」や「集落民」、「家族」が多く揃っていれば、避難所もまた擬似制度的共同体として立ち上がる場合もあろう。しかしそれは例外的なことではないかなあ。

災害によって、居所を失うとはこういうことなのだ、と、「仮の住まい」で授業を始めようとする前日に、つくづく我が身のこととして切実に思う。

つまりは、全てを一から「意識」しなおさなくてはならない現実に直面するのだ。
そしてそれは、ほぼ不可能に近い。

「人為」の総体は、「意識」しえるものと「意識」しえないものが総ぐるみになって成立している、と言い換えても良い。

ただし、いそいで付け加えれば、人間は「意識」と「無意識」によって作られているわけではない。
そこに、「器(うつわ)」としての「箱モノ」があり、生活を支える水や水道や電気があり、その基盤を支える法律や行政の営みがあり、間を駆け抜ける物流があり、情報ネットワークがあり、そして何より人間の直接的・近接的な「おつきあい」がある。

私達はそれを人間の脳みそとしてバーチャルに受け止め、「基盤」として受け止め直し、それを前提とするよう脳みそのネットワークを張り直して、その上でそんなことを意識せずに、「意識」と「行動」をそういう基盤の上に成立させている。

考えてみれば当たり前のことだ。
「コモン・センス」
しかし、それを微細なレベルまで「意識」で再現することは不可能だ。

被災するという現実は、そういうものを「全て」失うということだ。
だからまず始まるのは「脳みそ」の認識の無意識的な空転、なのかもしれない。

バーチャルな「間借り」の場所で始められる前日の教師としての「私」の心的動揺は、そんなところから来ているのだと思う。

今まで、避難所になっていた学校に勤務し、宿直をしたりもしたが、その扉の向こう側の世界にはなかなか入れなかった。
自分の「脳みそ」がフリーズしてしまうのだ。
その「フリーズ」した向こう側に、これから足を踏み入れようとしている。

「人為」と「自然」を対立させたり、「市民」と「権力」を二分法で考えたりするだけでは足りない、というのは、そういうところにも関わっているのだと思う。

個人的に生活の前提を失うということはもちろんあり得る。
突然の家族の死、家計を担う家族の失業、交通事故死、借金返済による居住空間としての家屋を手放す、子どもにとっての離婚、不登校などによる休学・退学etc.
私達は今まで、そういう「不幸」を「個人化」し、「内面化」しつつ、「個人の人生」を生きて生きた。

そして気がついたら、「地域」の地縁的関係も「親戚づきあい」の血縁関係も以前からくらべたらかなり希薄な、
「社会化」され、「過剰流動化」した労働力もしくは労働力予備軍あるいはかつて労働力であった者たち、として、「社会的」な「扱い」をされるべき存在に成り下がってきたのだ。

まことに、いわき市が4月6日の小中学校「始業式」にこだわり、文部省が福島県の校庭で児童生徒が活動できる範囲の線量設定に手間取ったのも納得がいく。

「社会化」された「市民」を囲い込みえるのは「学校」か「職場」か「病院」・「施設」しかないからだ。

人間は、「本当は」「本来は」、などと呟いても今、意味は成立しないのかもしれない。

社会学者やNPO組織で活動している人のネット配信ラジオ番組を聴いていたら、興味深いことをいっていた。

退場不可な共同体(旧来からの地域とか学校とか家族とか)と、出入り可能な共同体(NPOとか)とがある。

前者はそこから「逃げる」ことができず、拘束性が非常に高い。そのために強制的に「居場所」は設定されるが、その敷居が高く参加できない場合がある。

他方、

後者は「出入り自由」だが、そのために「自由で自立したコミュニケーションスキルの高い」人でないとそこに居場所を見つけられない人が出てくる。

その二つをどちらか選択する、というのではなく、多層に組み替えながら生活基盤を支えていく必要がある、という話。

もう一つ興味深かったのは、今機能している代表的な共同体としては、

1,伝統的な地縁的共同体(お墓を守る昔からの歴史的集団)
2,近代的な市民意識の高いコミュニティ(行政に何を要求するか集団)

と2種類あって、どちらも「居場所はそこじゃねえよなあ」という人たちが参加できないものになってしまっている
という分析。

1・2におけるコミュニケーションスキルが低い引きこもった状態の人とか、子連れのシングルマザーは居場所がないが、それ以上に子連れのシングルファザーはもっと帰属しにくいんだよ、という話もそこに重ね得る。

となれば、WebやTwitter、SNSなどをそこにどう組み合わせていくか、ということも課題となってあらわれてくる。

携帯は使わせない、なんてばかり言ってるわけにも行かなかったりするのは、「高校」と「大学」の器の違いだけではなく、今日本が抱えている「集団帰属」の問題水準でもあるってことでしょうか。

ともあれ、被災者であることを「刻印」された「間借りの生活」が明日から始まります。
それが3ヶ月続くと、こんどは「仮設校舎」というスティグマを背負って「仮設での生活」が続いていくのですが。

そういう脳みその「刻印」抜きには、私達は一時も生きていくことができないのだ、ということ。

もしかすると、その「刻印」を内面化し、忘却することが「日常」なのかもしれません。

どんな「刻印」でも、人は慣れていきます。

慣れって、偉大でかつ愚かですね。




5月9日(月)のこと<産経新聞の記事をみてびびびびっくり。>

2011年05月09日 21時36分47秒 | 大震災の中で
5月7日付けの産経新聞サイトを見てびびびひっくり。
首相が浜岡原発の停止を求めたことが、世界の信頼を失う信用失墜行為だ、というのだ。
詳細はこちらを参照。
へえ、そうきたか、と思った。

私は直ちに全ての原発を止めるのは難しいと考えているので、必ずしも思いは単純ではない。
が、この産経新聞の記事は、決定的にレトリックがひどい。
自民党の推進派の表現と同じたぐいの愚かさなのだ。

産経新聞は「全部止めるなら理屈は通るが」という主張を推進派の引用で語らせて、浜岡原発停止要請に疑問を投げかけている。
これでは自民党の推進派が河野太郎に「原発反対なら社民党に行け」と極論をふっかけたのと同じだ。
むしろ、全面停止を声高に叫ぶ原発反対派の尻馬に乗って議論を補強しなければ自分の論が立てられないかのような印象さえ抱かせる。

「3/11」以降、何でもかんでも「変わってしまった」とは必ずしも思わないが、原子力発電についてはもはや議論の基盤が大きく変化してしまったのだ、ということに、早く気づいてほしい。

反対か賛成か、稼働か停止か、という0/1の問題の立て方自体が、決定的に事象を見誤っている。

電力供給量の一定量確保が必要なのは分かっている。
他方「フクシマ」の原発事故で、危険性の認識は全世界が共有した。

この状況で逆に日本が原発を稼働し続けたからといって、世界が信頼感を抱く、というものではないだろう。
バカバカしいにもほどがある。
むしろ平気で全部を稼働させ続けたら「正気を疑われる」おそれさえあるとおもうよ。

浜岡原発を止めるよう要請したのは、東京に近いから被害が甚大になるため、に決まってるでしょう。

政権浮揚策とか、米軍基地が横須賀にあるから、とか穿った見方はそれこそ☆の数ほどあって、それはそれで面白くないこともないが(笑)、我々が納得して実現するフィクションを理由とするのだとすれば、そこに無理矢理菅首相の「意図」の「真実」を読み込んでいるうちは、その鏡に自己の欲望を映すだけだろう。

それでも、その言葉が政治的に説得力があるかどうか、が問題なのだとすれば、浜岡原発の停止要請は政治的フィクションとしての説得力を「一定程度」持っていると私の瞳には映っている。

ま、地方は人口密度が低いから後回し、というのが現実なんだけどさっ。
だから、その首相の判断が特別に「正しい」とは思わない。むしろやっぱり後出しじゃんけんの手遅れな手当ではあり続けている。

だって、結果としてフクシマは事故が起こるまで放置され、東京は事故が起こる前に防衛されるわけだし、おそらく、さらに後回しにされるのはまたぞろ地方の人口密度が低い、そして行政の補助の依存度が高い、「麻薬依存」が高まった植民地状態の地域なのだろうから。

現実っていうのはひどいものだ。でもね。

すべてを平等に検討してから、とか風呂敷を大きく広げてもことは進むまい。
逆に中部電力が赤字になるかも、なんて些細なことを心配してみせる産経の報道も、物事を動かしたくない欲望の反映にすぎまい。

だから、今は敢えて首相の決定を支持しておきたいのである。

それはもしかすると、私が聖地「フクシマ」と向き合うことによって生じた「信仰告白」なのかもしれない。

私たち「フクシマ」人は、「フクシマ」が自ら不可避的に選択してきた「現状追認」の結末を、この悲惨な原発事故にみいだした。
そしてその結果私達は「フクシマ以後」人となったのだ。

私という「フクシマ人」=&≠「フクシマ以後人」は、自らの受けた傷において、あるいは第一原発という「負の聖地」の名において、浜岡原発停止を支持するだろう。

まあそれでもなおグローバルな経済を「信仰」し、原発推進を謳う企業や国に与するものはいるに違いない。
それはそれでいい。私は反対だけど。
しかし、それもまた「フクシマ」という「負の聖地」の「光」照らされるとき、不可避的に逆照射された影絵のような形を示すという意味で、ある種の「信仰告白」の意味を帯びるだろう。

「フクシマ」の被害は、中央の政策放棄によって、被らなくてもよいモノを被った側面があると私は考えている。
そしてだからこそ今は、もうその危険を無視して同じことを繰り返すのだけは見たくないのだ。

もう一つ別件です。

さてでは、人口密集した都市部に対して、人口密度の低い田舎はどこまで植民地的に奉仕し続けるのだろうか。

たとえば、最近になって「飯舘村に風向きからいって高濃度の飛散放射能が降り注ぐことは予測できたが混乱をおそれて発表を控えた」とかいった5月2日の会見政府の人(細野豪志)の発言を聞くと、ああ、実に人(ここではフクシマのイイタテ)というものは軽く適当に扱われているのだなあ、とシミジミ思う。

そこから考えてくと、たとえば、避難区域から福島市ははずれたし、いわき市も外れたことの理由も推測できる。

年間20ミリシーベルトの蓄積線量という基準はむしろ、科学的な定量的分析の結果としての判断ではなく、ジオグラフィカルな人口分布を踏まえて政治的に決定されたのだろう、と。

たしかに基準はどこに線を引くかが難しい。

現在避難地域は約20万人ぐらいだろうか。それに福島市といわき市が入ったら、80万人を軽く越えてしまう。
だから、その中の範囲で決定されたと推測するのはむしろ自然だろう。

同様に、3.8マイクロシーベルト/時

という校庭活動許可の線量も、後出しじゃんけんで最後に出てきたやり方からすれば、数字を見て基準を決めたのだろうな、と推測できる。

なぜなら、行政は学校によって決定的に市民をコントロールできるからだ。

おそらく、フーコーの規律訓練分析の成果の一つは、ここにまざまざと鮮やかに現れている。
大量の人間をコントロールするためには、規範が必要だ。そしてその基準は、大きな権力の「意図」というよりは、むしろテクノロジーによって決定される。そして、それは「知」の姿をしていながら、すでに「権力的」な振る舞いにならざるをえないのだ。
学校の校庭が「安全だ」と言われれば、その活動をする生徒はそこにとどまるだろう。
子どもの学区に、ほぼその親たちは実質的に「縛られる」
だから、学校から生徒を逃がさなければ、市民を「意図」したかしないかは別にして、あまりにもたやすく制御できてしまうのだ。

普段私達は、「安全です」とか「危険です」という判断は科学的知見によって示されるモノだと認識しているし、そうあるべきだともおもっている。

しかし、科学による予測は、初期条件によって将来像が全く異なるものだ。変数設定だって、十分な過去のデータ分析による蓄積範囲を所詮は越えられない。

政府の基準を巡る様々な公表(もしくは非公表)は、地理的な人口条件を踏まえた「後出しじゃんけん」としか考えられない。

だって20ミリシーベルト/年よりは10ミリシーベルト/年の方が安全だし、原発は浜岡だけ止めるより全部止めた方が安全だ。

そんなことは子どもでも分かるさ。
別に「原発止めたきゃ社民党に行け」と推進派に言われなくても誰だって分かっている。
でも、全部いきなりはなかなか止められないだろうその理由も分かる。

ここでは、権力中枢が真理それ自体を隠蔽したり、恣意的にお手盛りしている、と考えるだけでは済まない事態が進行している。

行政であれ、政治であれ、過失を犯した企業であれ、科学であれ、第一原発で現在進行中の事故の総体を、「真理」の名の下に定義しきることなど無理だろう。

「比較的低濃度の汚染水を流します」

と、白昼堂々、日常的感覚なら超高濃度の汚染水を海に流す決定を記者会見で発表する保安員の人の顔を見ながら、「人為」があられもなく裂け目をべろっと人前にさらした瞬間の空白を味わった。発表する人が心なしか「笑って」いるようにさえ見えるのは、私達がその人の表情をもはや「読める」ものとして判断できないからだろう。

よくtvを観ながら記者会見に出てくる人を見て、「へらへらして報告すんなよ」と突っ込んでいる人が最近いるが、それは自分の困惑をあのこわばった表情に投影して、それを「へらへら」と「受容」しているだけのことにすぎないのではないか、という疑いを持つ。

きっと、決定的な瞬間は、「空白」「へらへら」としか映らないことって多いんじゃないかな。
そしていつだって、後からしか世界は見えてこない。

決定的なことはいつだって、あらかじめ準備していて起こらなかったことの向こう側から、その準備していた「人為」を引き裂いてたち現れる。

よく科学者は正しく恐れて冷静に対応しなさい、という。

でも、そんなことは、与えられた初期値が変われば、「冷静さ」はたちまち「愚かさ」に転落するのだ。
「科学」や「正しさ」を買いかぶりすぎてはいけない。

むろん微細なところから、大きなシステムまで「知性」や「科学」や「権力」の意味をしっかりと分析・理解することも大事だろう。

しかし同時に、その基盤の偏りやゆらぎ、裂け目を注意深く、「正しさ」の中から微細な揺れや歪みとして嗅ぎつけ、肌で感じ、瞳を凝らす力を持たねばなるまい。

ああでも、こういう「言い方」は、見えないものを観る超能力みたいな話として聞こえてしまうんだろうか。
分かる人には分かるっていう話じゃないつもりなんだけれど、難しいね。

これも宿題として考えていかねば。


5月9日(月)のこと<そりゃないよ、細野くん。頼みます(>_<)>

2011年05月09日 13時26分33秒 | 大震災の中で
今時の目が離せない状況に置いてはいささか旧聞になるが、毎日新聞の5月2日午後8時の記事にこんな記事があった。

飛散放射能の予測データについて。

細野豪志首相補佐官は、記者会見で「市民に不安を与え、パニックが起きるのを恐れた。公表が遅れたことをおわびする」と謝罪した。
いわゆる「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)のデータなどである。
結果としては、そのシミュレーションの中に実際の各地点における計測データと非常によく一致するものがあったことが、その後の発表で分かってきた。

もちろん当たり外れは予測だからあるだろう。

しかし、その代表的なものは、やはりなんとしても当時に発表すべきだった。

風向きによって、雨の降る時期によって飛散量がこれほどまでにまだらになるのだと、そのことを我々は、そのデータから即刻読みとることができたはずだ。

それを「パニックが起こる」ですって?

わたしは、こういう判断、こういう言葉に心の底から怒りを覚える。
人為の届く範囲なら、自分たちで判断できる。近代における約束事の大基本じゃないか。

この細野発言には、21世紀になってまで、こんな為政者の愚かさを見なければならないという悲しい現実が示されている。

人々がパニックを起こさないためにどう伝えるかこそが、時にはインチキまで含めて言いくるめる力を持った政治家どもたちのアナウンス能力の腕の見せ所ではなかったのか!?

特に、浪江町・飯舘村・福島市など、内陸部で爆発後に線量が、突然上がり、しかもそのことに何の準備もできないばかりか、「安全です」だけを愚か者扱いされて繰り返し聞かされ続けた侮辱は、筆舌に尽くしがたい。

現実的な不利益の話もあるだろうが、今しているのはそういうことではない。

もっと大切な話だ。

ここで最も怒りを覚えるのは「人為的制御」によって「人間」が操作されてしまっているからだ。
「人為が届かない」話ではない。

政府の諸氏特に政治家は、心してこの報いを待つべきである。