龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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5月23日(月)「いわきは闘っている、ということ」

2011年05月23日 20時52分13秒 | 大震災の中で
知人のブログにこうあった。

>いわき市にいる人は、そこで踏みとどまって未来と闘おうとしている人たちです。
>行く場所さえ亡くしているひともいる。仕事があるから残らざるを得ない人もいる。
>でも、みんな、闘ってる。
>私は、そう思ってます。

同感です。選択の余地があって、子どものために退避を決断することだって大事な闘い方だし、敢えてここに残ることだって苦しい戦いだけど、単に安全神話を鵜呑みにしているわけじゃない。
選択肢なく警戒区域指定で移動を余儀なくされた人も、選択の余地なくここで仕事をしている人もいる。
東電の最前線で仕事をしている人だって、「福島の住人」だし。



>今回の災害で、日本の国民はなんて大人しいのだろう、という趣旨の言葉を海外の友人から沢山言われました。
>クーデターが起きるでもない、暴動になるでもない、なんて大人しい、真面目な国なんだろうと。
>でも、それは諦めているからじゃない。
>おとなしく、羊のようにしているのは、そのほうが事態が早く終息すると知っているからです。
>東京電力に石を投げてもどうしようもない、それよりは早く、一日でも早く、彼らの力を借りてなんとかしてもら
>いたい、と思っているからです。
>私たちだって怖くない訳じゃない。リスクや不安は知れば知るほど大きくなります。
>でも、その努力は、無駄じゃない。
>無駄じゃないんだ、って、私はずっと信じています。


http://machikodiary.blog.shinobi.jp/Entry/276/


いわき市の職員の呟きだけれど、もう一度水素爆発があったら、もういわき市は「もたない」だろうとの声も。
現状の飛散放射能線量で推移するなら、なんとか生活していけるだろうか。
しかし、本当のところは分からない。
大丈夫かもしれないし、大丈夫じゃないかもしれない。

年間累積量20ミリシーベルトの被曝量レベルというのは、完全に政治的な選択ですよね。
その上、長期化したら長期低レベル累積線量が、どこまで累積量が上がるかも未知数だし、それがどんな影響があるのかも分からない。

それにしても、政治とはいえこの年間20ミリシーベルト以下という限度は日本の平常時と比較してどう考えても高すぎるよねえ。

特に、子どもは最大限放射線の被曝から守られるべきだと思う。
せめて、平常時、仕事で被曝する人の限度「管理区域(3ヶ月1.3ミリシ-ベルト)」以下に押さえる基準で学校を運営してほしいと願うのは、無理なことなのだろうか。

そんなに「非常時」が日本の政府や国民は好きなのかなあ。

踏みとどまらないと福島が、いわきが、なくなっちゃう、と思う危機感も確かにある。
そう思って大人が踏みとどまるのは戦いとして理はあるとも思う。

でも正直、将来を担う子どもたちに対する扱いが、文部科学省、ひどいと思うよ。







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