龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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映画『海街diary』を観る

2015年06月29日 11時49分44秒 | メディア日記
柄になく山登りをに参加しようと計画していたもののあいにくの雨。
ちょうど通りがかりの映画館で
『海街diary』という映画をやっていたので、友人に勧められていたこともあり、ふらっと入って観てきた。

この鎌倉の坂道の上にあって四人姉妹が住んでいる家と庭、最高だった。
是枝裕和監督、ラブである。

といっても、
『ワンダフルライフ』と『誰も知らない』の二作しか観ていないし、劇場で観たのは『誰も知らない』だけだから、ファンというほどのものではない。

ただ、主役の少年(柳楽優弥『誰も~』)や少女(広瀬すず『海街diary』)をちょっとドキュメントっぽく撮らせたら、右にでる人はそういないのじゃないかしらん。
この『海街~』ても、サッカー少年たちの撮り方(=撮らられ方)はすごいと思った。そういう主人公たちがある空間を占めているとき、その空間を含めてこちらに届くものは何なのだろう、といつも考えさせられてしまう。いろいろ技術的なことはあるんだろうな。

たとえば主人公が転校生として入っていくときの中学校の教室が、すごかった。そういうところを見るためだけでも、Blu-rayがあったら買いたいところだ。

それに比べると大人は難しい。役者さんが、というだけではなく、こちらが大人を観る瞳こそが上記の空間を拒んでしまうのかもしれない、とも思う。

ストーリーと画像のせめぎ合い、とかいった単純な説明では足りない。

この映画を見たいと思わせられる風景は、市川崑のような美しさというよりは小津安二郎の、あたかもあの退屈な定型の反復であるかのようなものに近いのかもしれない。

難しい映画論とかは分からない。ただ、画面を観るという行為と、映った生き物(動物)を観る行為と、 「人間」をみる行為と、その人間の結果として生じる物語を読む行為との関係を考えちゃうということだ。

端的に言えば、
長澤まさみの撮られ方はどうか。
大竹しのぶの撮られ方はどうか。
この女優たちを、こんな顔に撮る監督を私は他に知らない。
そういうことだ。

堤真一や綾瀬はるかの顔はいつもの顔だ。樹木希林は昔から撮られる顔が出来ている。
子供たちはその瞬間に向けて顔が生成される感じ、とでもいえばいいだろうか。
何種類かの顔が、庭や建物と並んで主人公になっている、のかもしれない。

鎌倉の街を見る楽しみは、まあ余得、といっておこう。

私の中では、リリー・フランキーの顔はどうする?ってかんじだった。

いろいろお薦めです。


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