震災から3ヶ月が過ぎた。
(大げさに聞こえるかもしれないが、それ自体は小さな形で)さまざまな「疲弊」の徴候が顕れて来つつある。
Wikiを引いたら、PTSDといえば、まず戦争帰還兵の心の傷から研究が始まった、とある。
忘れていたがそういえば聞いたことがある。
今日、母親と昼飯を食いながら
「戦争以来かねぇ、この大震災は」
と訊いてみたら
「いや、戦争も大変だったけど、終戦後はむしろ希望があったからね。これから良くなるっていう」
と80歳になる戦中派は言っていた。
先行きの暗さでいえば、「戦後」より暗いかも、という話だった。
示唆的だ(苦笑)。
これから福島は「長い黄昏の時を生きることになる」のだろう。
汚染物質の最終的は廃棄場所の候補にもなっているということだし、冷却によって排出される汚染水の処理さえメドが立っていないし、冷温安定化はどれだけ先か分からないし、冷温安定化は既に飛散した放射能の問題を全く解決しないし、調査が進むにつれてホットスポットは増えていくし、何より福島県産ブランドの受けた傷は、向こう何年かは回復の余地がないし、市民の内部被曝についてはほぼ大多数がそのまま「なかったこと」にされていくのかもしれないし、
福島県に住む限り、その闇の根源である洞穴のような東電第一原発の事故と向き合いつづけていくしかない。
そしてそれをそういう風に「福島県」の問題として切り分け、あるいは「日本」の問題として切り分けるのが、「人間的振る舞い」である、ということも間違いない。
科学に「福島県」とかいう「範疇」は別にないものね。汚染区域という概念はあっても。
私達が「福島」に生きるのは、それを自分の内面に位置づけ、生きる場所として「選び得ないものを選び直す」形でそこに生きる、ということになる。
究極的には東京に移住したって阿蘇のふもとでやり直したっていいわけだから。
実際、沖縄までいってしばらく逗留するよ、という福島県民だっているわけだし。
何を好きこのんで高濃度放射能汚染地区に住み続けるのか、という疑問が、「外部」には立ち上がるのかもしれない、とも思う。
でもね。
そこに生まれてそこに育ったから、そこに住み続けるっていうのは、そう簡単に変更可能なことではないと思う。避難するならむしろ、初動が勝負だった。
政治的にそれを抑制したんだね。民族ならぬ県民大移動を抑止することが一方では最も大きな政治的課題だったのだと今は思う。
情報を隠蔽した最大の効果が、福島県民を福島県内に住み続けさせることだったのだ、と今なら分かる。
「直ちに健康に影響はない」という枝野発言も
「20キロ圏内退避」という設定も
「100ミリシーベルト/年以下の累積被曝線量では、有意な危険は認められない」趣旨の山下俊一発言も、
「いわき市は安全です」宣言の渡辺いわき市長も
全て200万人大移動をこの震災の中で「二次的大震災」として起こさないために作用した言説だ。
それは、過度な移動を抑制するという意味では「パニック防止」という表現の側に評価は傾いていくのだろう。
他方、市民を危険性をもった汚染地域に留まらせるという意味では「情報隠蔽」による被曝被害の拡大という評価が下されていくに違いない。
福島県民は、ここでもまた、引き裂かれる。
「引き裂かれてる場合かっ。とにかく逃げろよ!思考停止して放射線を浴び続けるのかっ?!」
という「福島県民=愚民」という指摘も
「原発容認=追認が現況を招いたんだから、福島県民も愚かだよね」認識に加えて、一面当たってないこともないな、と思う。
他方、被曝の現実を踏まえれば、政治の「小汚い」姿勢は断固許し難い、とも見える。
「200万人を動かす覚悟なくして1億2000万人を動かせるのか」
というのは、一国の為政者に対して至極まともな市民の反応。
でもさあ、200万人は急には動かせないと思うよ、実際。
むしろ問題はここから先。
おそらく福島県民は、大震災と原発事故によって精神的な疲労が蓄積してきた3ヶ月後の今からいよいよ、その疲弊自体に対応する「症状」と向き合わなければならない。
改めて、福島に住むのか離れるのか。
「沈み続ける船」なら、退避するに如かず。
乗り換え可能な「船」ではなく交換不可能な「生きる基盤」としてとらえるなら、踏みとどまってそこに新たな営みを刻んでいく他はない。
今年の四月、東京から福島の職場に戻ってくることになった知人は、周囲の友人から
「故郷だからっていって、なぜ今福島に行かなくちゃならないの?」
と
「強いね、あなたは」
という二つの反応を受け取ったという。
ヒトはそろそろ、福島県民だけじゃなくて「裂け目」を生きるということがあるのだ、と気づいていい。
治療的排除的に一方的クリーンさを求める欲望からも、
統治し、数の上でヒトを効率的に生かしていく「生=権力」的な振る舞いからも
距離を置いて「分離」しつつてんでに共同性を求め直す道筋が私たちには必要だ。
自分自身が生きることからさえ、距離を持たずにはヒトは生きられないのだと、知っていい。
福島県民というカテゴリーを今「使用」することに意義があるとしたら、そういうことなんじゃないかな。
福島県とか20キロ圏内とか20ミリシーベルト/年とかいう区切りは、何かをあるいはだれかを同定するための機能としてだけ働いてしまいかねない。
でも、そうじゃないことにヒトは気づいてはいる。
「1ミリシーベルト/年以下であることが望ましい」
とか言うけれど、神様もいないのに「望む」って誰が何をどう、誰に対して「望む」のか。望んでどうなるのか?誰がそれを実現に向けて動かすのか。
「望みます」「願います」
というのは、現行ですべての権力から解放された「天皇」にこそふさわしい言葉であった、とふと、気付く。
無力であることと権力を行使してしまうことの隙間。
福島に踏みとどまることと逃走することの隙間。
村上春樹の世界像的にいえば、トーラス状の立体上に立ちつつ、その内側にあるドーナツの穴のような洞穴を見つめ続ける「非現実」と「現実」の隙間。
その中で単一の共同体を構成せず、「分離」「離散」しつつも粘る姿勢。
そういうところを私たち、いや、少なくても私は「生きている」「生きさせられている」のだと感じるのです。
たとえば東電第一原子力発電所で作業を続ける作業員の多くは福島県民だし、警戒区域から県内の他地区に避難・転校してきた児童生徒たちも福島県民だし、避難所暮らし4ヶ月目に入ってなおも体育館暮らしをするのも福島県民だし、日常がすっかり回復して、放射線量も低く、「どうして同じ福島と括られてしまうのか」と風評被害にいら立つ地区のヒトも福島県民だし、避難してきた親戚とバトルを繰り広げながら「避難民」の悪口をまきちらすおばさんもまた福島県民だし、都内の飲食店で福島ナンバーの入店拒否をされたりするのも福島県民だし、考えてもしょうがないから、何もなかったように「問題」を忘却して日々を生きる福島県民もいるし。
でも、その根底には3・11以後の「揺らぐ大地」(地面が揺れるという意味でも、精神的な安定という意味でも、社会的な基盤という意味でも)に対する「負の想像力」の渦巻きがグルグルしていることにおいて共通している。
原発事故の負の負債(負債は負に決まっている?)を自らが抱えていると思うヒトは、福島県民じゃなくてもその聖痕を「負の想像力」で背負うヒトだと思う。つまりは引き裂かれてる人々ね。
もう一度「日本」を、という言説に与するヒトは、その裂け目を回復すべき傷と見るのだろうし、引き裂かれた生をなおも生きるヒトは、それこそが生の与件だ、と見るのだろう。
これから先、なおも「福島県民」を生きるというのは後者であり、「日本人」を生きるというのは前者になるのかな。
反原発であっても原発推進であっても、前者のヒトが多い。
そういうヒトは「日本人」なのだろうね。
原発事故を「聖痕」と見なさなければ、そんな「福島県民」にならずに「日本人」であることを回復したい、と思うヒトもむろん福島在住のヒトにはたくさんいるでしょう。
当然「福島県民」として引き裂かれつつもさらに「日本人」としてもアイデンティファイしつづけていく、ってのが「ふつう」なんだけれどもね。
あー面倒くせぇ(苦笑)。
でも、そういうことはちょっと前までは、各自の「匙加減」に帰する問題であるかのように扱われてきた。
そういう意味では「いい時代」になった、ということでさえあるのかもしれない、ある意味ね。
だから、
「悲惨な現実によって傷つかなければヒトは生きることさえできない」
とは必ずしも思わないけれど、そうなってみないと「そんな風にしてもなおヒトは生きる」ということには気づかないっていうことはある。
そして、
「そうなっちゃった」
のだね。
さて、3ヶ月後の「今」から、いよいよ改めて問い直しをしなければならない事柄が出そろってきた感、があります。
また、ぼちぼち行きます。
(大げさに聞こえるかもしれないが、それ自体は小さな形で)さまざまな「疲弊」の徴候が顕れて来つつある。
Wikiを引いたら、PTSDといえば、まず戦争帰還兵の心の傷から研究が始まった、とある。
忘れていたがそういえば聞いたことがある。
今日、母親と昼飯を食いながら
「戦争以来かねぇ、この大震災は」
と訊いてみたら
「いや、戦争も大変だったけど、終戦後はむしろ希望があったからね。これから良くなるっていう」
と80歳になる戦中派は言っていた。
先行きの暗さでいえば、「戦後」より暗いかも、という話だった。
示唆的だ(苦笑)。
これから福島は「長い黄昏の時を生きることになる」のだろう。
汚染物質の最終的は廃棄場所の候補にもなっているということだし、冷却によって排出される汚染水の処理さえメドが立っていないし、冷温安定化はどれだけ先か分からないし、冷温安定化は既に飛散した放射能の問題を全く解決しないし、調査が進むにつれてホットスポットは増えていくし、何より福島県産ブランドの受けた傷は、向こう何年かは回復の余地がないし、市民の内部被曝についてはほぼ大多数がそのまま「なかったこと」にされていくのかもしれないし、
福島県に住む限り、その闇の根源である洞穴のような東電第一原発の事故と向き合いつづけていくしかない。
そしてそれをそういう風に「福島県」の問題として切り分け、あるいは「日本」の問題として切り分けるのが、「人間的振る舞い」である、ということも間違いない。
科学に「福島県」とかいう「範疇」は別にないものね。汚染区域という概念はあっても。
私達が「福島」に生きるのは、それを自分の内面に位置づけ、生きる場所として「選び得ないものを選び直す」形でそこに生きる、ということになる。
究極的には東京に移住したって阿蘇のふもとでやり直したっていいわけだから。
実際、沖縄までいってしばらく逗留するよ、という福島県民だっているわけだし。
何を好きこのんで高濃度放射能汚染地区に住み続けるのか、という疑問が、「外部」には立ち上がるのかもしれない、とも思う。
でもね。
そこに生まれてそこに育ったから、そこに住み続けるっていうのは、そう簡単に変更可能なことではないと思う。避難するならむしろ、初動が勝負だった。
政治的にそれを抑制したんだね。民族ならぬ県民大移動を抑止することが一方では最も大きな政治的課題だったのだと今は思う。
情報を隠蔽した最大の効果が、福島県民を福島県内に住み続けさせることだったのだ、と今なら分かる。
「直ちに健康に影響はない」という枝野発言も
「20キロ圏内退避」という設定も
「100ミリシーベルト/年以下の累積被曝線量では、有意な危険は認められない」趣旨の山下俊一発言も、
「いわき市は安全です」宣言の渡辺いわき市長も
全て200万人大移動をこの震災の中で「二次的大震災」として起こさないために作用した言説だ。
それは、過度な移動を抑制するという意味では「パニック防止」という表現の側に評価は傾いていくのだろう。
他方、市民を危険性をもった汚染地域に留まらせるという意味では「情報隠蔽」による被曝被害の拡大という評価が下されていくに違いない。
福島県民は、ここでもまた、引き裂かれる。
「引き裂かれてる場合かっ。とにかく逃げろよ!思考停止して放射線を浴び続けるのかっ?!」
という「福島県民=愚民」という指摘も
「原発容認=追認が現況を招いたんだから、福島県民も愚かだよね」認識に加えて、一面当たってないこともないな、と思う。
他方、被曝の現実を踏まえれば、政治の「小汚い」姿勢は断固許し難い、とも見える。
「200万人を動かす覚悟なくして1億2000万人を動かせるのか」
というのは、一国の為政者に対して至極まともな市民の反応。
でもさあ、200万人は急には動かせないと思うよ、実際。
むしろ問題はここから先。
おそらく福島県民は、大震災と原発事故によって精神的な疲労が蓄積してきた3ヶ月後の今からいよいよ、その疲弊自体に対応する「症状」と向き合わなければならない。
改めて、福島に住むのか離れるのか。
「沈み続ける船」なら、退避するに如かず。
乗り換え可能な「船」ではなく交換不可能な「生きる基盤」としてとらえるなら、踏みとどまってそこに新たな営みを刻んでいく他はない。
今年の四月、東京から福島の職場に戻ってくることになった知人は、周囲の友人から
「故郷だからっていって、なぜ今福島に行かなくちゃならないの?」
と
「強いね、あなたは」
という二つの反応を受け取ったという。
ヒトはそろそろ、福島県民だけじゃなくて「裂け目」を生きるということがあるのだ、と気づいていい。
治療的排除的に一方的クリーンさを求める欲望からも、
統治し、数の上でヒトを効率的に生かしていく「生=権力」的な振る舞いからも
距離を置いて「分離」しつつてんでに共同性を求め直す道筋が私たちには必要だ。
自分自身が生きることからさえ、距離を持たずにはヒトは生きられないのだと、知っていい。
福島県民というカテゴリーを今「使用」することに意義があるとしたら、そういうことなんじゃないかな。
福島県とか20キロ圏内とか20ミリシーベルト/年とかいう区切りは、何かをあるいはだれかを同定するための機能としてだけ働いてしまいかねない。
でも、そうじゃないことにヒトは気づいてはいる。
「1ミリシーベルト/年以下であることが望ましい」
とか言うけれど、神様もいないのに「望む」って誰が何をどう、誰に対して「望む」のか。望んでどうなるのか?誰がそれを実現に向けて動かすのか。
「望みます」「願います」
というのは、現行ですべての権力から解放された「天皇」にこそふさわしい言葉であった、とふと、気付く。
無力であることと権力を行使してしまうことの隙間。
福島に踏みとどまることと逃走することの隙間。
村上春樹の世界像的にいえば、トーラス状の立体上に立ちつつ、その内側にあるドーナツの穴のような洞穴を見つめ続ける「非現実」と「現実」の隙間。
その中で単一の共同体を構成せず、「分離」「離散」しつつも粘る姿勢。
そういうところを私たち、いや、少なくても私は「生きている」「生きさせられている」のだと感じるのです。
たとえば東電第一原子力発電所で作業を続ける作業員の多くは福島県民だし、警戒区域から県内の他地区に避難・転校してきた児童生徒たちも福島県民だし、避難所暮らし4ヶ月目に入ってなおも体育館暮らしをするのも福島県民だし、日常がすっかり回復して、放射線量も低く、「どうして同じ福島と括られてしまうのか」と風評被害にいら立つ地区のヒトも福島県民だし、避難してきた親戚とバトルを繰り広げながら「避難民」の悪口をまきちらすおばさんもまた福島県民だし、都内の飲食店で福島ナンバーの入店拒否をされたりするのも福島県民だし、考えてもしょうがないから、何もなかったように「問題」を忘却して日々を生きる福島県民もいるし。
でも、その根底には3・11以後の「揺らぐ大地」(地面が揺れるという意味でも、精神的な安定という意味でも、社会的な基盤という意味でも)に対する「負の想像力」の渦巻きがグルグルしていることにおいて共通している。
原発事故の負の負債(負債は負に決まっている?)を自らが抱えていると思うヒトは、福島県民じゃなくてもその聖痕を「負の想像力」で背負うヒトだと思う。つまりは引き裂かれてる人々ね。
もう一度「日本」を、という言説に与するヒトは、その裂け目を回復すべき傷と見るのだろうし、引き裂かれた生をなおも生きるヒトは、それこそが生の与件だ、と見るのだろう。
これから先、なおも「福島県民」を生きるというのは後者であり、「日本人」を生きるというのは前者になるのかな。
反原発であっても原発推進であっても、前者のヒトが多い。
そういうヒトは「日本人」なのだろうね。
原発事故を「聖痕」と見なさなければ、そんな「福島県民」にならずに「日本人」であることを回復したい、と思うヒトもむろん福島在住のヒトにはたくさんいるでしょう。
当然「福島県民」として引き裂かれつつもさらに「日本人」としてもアイデンティファイしつづけていく、ってのが「ふつう」なんだけれどもね。
あー面倒くせぇ(苦笑)。
でも、そういうことはちょっと前までは、各自の「匙加減」に帰する問題であるかのように扱われてきた。
そういう意味では「いい時代」になった、ということでさえあるのかもしれない、ある意味ね。
だから、
「悲惨な現実によって傷つかなければヒトは生きることさえできない」
とは必ずしも思わないけれど、そうなってみないと「そんな風にしてもなおヒトは生きる」ということには気づかないっていうことはある。
そして、
「そうなっちゃった」
のだね。
さて、3ヶ月後の「今」から、いよいよ改めて問い直しをしなければならない事柄が出そろってきた感、があります。
また、ぼちぼち行きます。