龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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ケン・ローチ監督作品『家族を想うとき』観るべし。

2020年02月15日 13時38分12秒 | メディア日記
たまたま単館上映系の映画館が地元に一つ(2スクリーンのみ)が残っている。
2スクリーンのみとはいえ今晩の地方小都市の経済状況では存続してくれるだけでありがたいというしかないのだが、たまたまスケジュールが合ったので、
を観てきた。
切なかった。

お話は、世界の経済状況の急変で仕事も家も失い、夫は借金を重ねてでもなんとかもう一度家族のために家を買い直したいと思うが、選んだ宅配便の仕事は、1日休むと無休どころか100£ものペナルティーを課される過酷な「自営業」であった。身体も痛めつけられ、家庭を顧みることもできず、次第に家族の間にも亀裂が……というストーリー。

一度宅配の自営業主の方と話をしたことがありますが、どこの国(映画はイギリス)でも本当に過酷な状況がありますね。コンビニの時短問題も同質の課題がありそう。
フランチャイズゆえに「上司と部下」の雇用関係ではなくあくまで「契約」だから、リスクを背負わずに人を雇えるという、持てる者に好都合なシステムは、いたるところに蔓延っていて、実質的には「労働者」であるにもかかわらず、実質的には選択の余地もない「追い詰められた自営業主」として働きづめになるしかない。

そういう「相対的な貧困」の負のスパイラルを丁寧に描いています。
『パラサイト』のようなエンタテイメントに振ったつくりではなく、いわゆる社会派の人生切ない系ですが、席を立つことは許されない感じで(笑)観ていました。

『パラサイト』の家族も、普通に暮らせていたはずの「元中流」の匂いがしますね。
子どもたちも能力はある。
『家族を想うとき』の子ども二人も成績は優秀。
しかし、もはや子どもの才能は、階層維持や階層上昇のいわゆる「メリットクラシー」(能力中心主義)の幻想を持つ要素になり得ておらず、むしろ「絶望」への傾斜を強めるファクターですらあるかもしれない……。

希望は映画のかにはありません。しかし、映画を作って届けるその人々の姿勢の中には希望が宿っている。
監督も制作の人々も、役者さんも、映画館の経営をする人も。

では僕らはどうする?
いつもそこに戻ってくる。

2020年3月14日(土)は、
第14回エチカ福島『水になった村』をフォーラム福島で開催中・上映します。

よろしかったらぜひ!



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