11/9(金)の福島民友新聞に
「成人期ad HDに初の薬」
という記事が載っていた。大人まで続く不注意や多動に対する薬物療法は今までなかった。 18歳以上に薬が承認されていなかったのだ。
今回、成人期の初の薬としてストラテラが承認された。
専門家は、 「厳しい状況にある成人期ADHD患者と家族に治療の選択肢を増やす一筋の光」と話している。
片付けられない人、情緒が不安定、学業・業務成績の不振、人間関係の構築が難しい、適応障害、日常活動困難等の症状があげられるそうだ。
小児期からの不注意、多動性、衝動性の確認が診断には必要ともある。
間違いなく、かつての私のことだ。
でも、50歳過ぎまで多動でやってきたし、私個人としてはもはや治療する必然性は薄い。
それに、子どものころから治療対象とカテゴライズされるのは不本意だった。
記事にも、
日本は薬の抵抗感も強い。治療には、職場や家族との連携、生活相談などが欠かせない
とある。
先週、特別支援課程の推薦入試小論文と面接を指導していた。そこで、障がいは個性では無い、なぜならその能力を伸ばすべきものではないからだ、というオープンキャンパスの授業を受けたと言う生徒の話を聞いた。
うーん、難しい。
障がいは個性では無い、というのには納得だ。
だが、ここまでこうして生きてきててしまったと言う現実を踏まえると、多動だって、結果としては個性っちゃ個性とも言えない事も無い。
なだ・いなだだったか、北杜夫だったか、北山修だったか、お医者さんの作家だったように思うが、病気というのは、誰か他者に迷惑をかけるかどうかが判断基準だ、という文章を読んだ記憶がある(精神的な病の場合)。
そう考えると、私の多動性はとんでもなく迷惑を周囲に与えてきた。
とはいえ、もうそれももうすぐ終わりだ。今となっては、
忘れ物もせず、集中力があり、片付けのできる私。
投薬によって、あっけなくそれが実現できるとしたら、私の人生は、何だったのだろうということになる(笑) 。
同じ生徒が、オープンキャンパスで、「マサオはマサオ(名前がちがってるかも)」という講義も受けたそうだ。
その人間はその人間であると言うこと自体で尊重されなければならない、ということだろう。
ちなみに、私が子どもの頃はADHDと言う呼び名はなかった。
微細脳損傷症候群とか呼ばれていたような気がする。
昔の話だから、正確な名前は覚えていないけれど。
もちろん脳の損傷など微細なのだから結局分からないという話のオチがついたのだが、でも、そういう設定をすることによって、しつけのせいだとか、心理的抑圧の結果だ、なんていう根拠のない昔の心理学的言いがかりのフレームから解放するという役割は果たしたらしい。
そんな話を聴いても、結局治療法もなく、ただカテゴリー変更をされてもなあ、って感じでしたが、個人的には。
その後、物理的に脳が壊れてるって話はいつのまにか流行らなくなり、だんだん話は機能障害みたいなことになって、ADHD(発達障害)やLD(学習障害)にその地位を譲っていく。
正直、カテゴライズされるオブジェクトの立場でいうと、だからなんだよ、という感じがずーっとありました。
まぁ、学問の発展というのは素晴らしいのだろうけれど、別に治療されたくは無い、と言うこともある。
一方、病院に行って、問診を受けてみようかとも思わないではない。治るならね。
もしかすると、適応しているんだからいいじゃないですか、なんて言われてしまうのかもしれない。
この程度なら、薬を飲んでも飲まなくてもいい、ということかな。
社会に適応できず苦しんでいる状態を、
「本人の努力不足」
と言われるのは不本意だし、辛い。
それは、痛いほどよくわかる。
だから、必要な人は必要な支援を受けられるべきだ。
私も、社会に出たての頃は、思い出すのも困難なほどメチャメチャだった。
よくあの頃の同僚の方々は「放置」しておいてくれたものだ。
いくら感謝しても感謝しきれない。呆れてものが言えなかっただろうと思う。
でも、それでも、どこまでコントロールが必要なのか?と言う問いは、簡単には答えが出ないような気もする。
まあしかし、若い方には治療をお勧めしたい。
治療によって、生活のクオリティーがぐっと向上する可能性が出てきたのだから。
ただし、カテゴリだけをいじっ、結局病気だと名指されるだけならほっておいて欲しい。
治療だって、フレームの中に人を放り込むことが優先ならやめておけと思う。
高齢者の延命治療もそうだ。
放置されて命を奪われるのは残酷だが、ただ生き長らえるだけのためのシステムも無残だ。
人が神様から与えられた生きる力を発揮できる基盤があればそれでいい。
自分にとっては、それ以上でもそれ以下でもないような気がいまはしている。
「成人期ad HDに初の薬」
という記事が載っていた。大人まで続く不注意や多動に対する薬物療法は今までなかった。 18歳以上に薬が承認されていなかったのだ。
今回、成人期の初の薬としてストラテラが承認された。
専門家は、 「厳しい状況にある成人期ADHD患者と家族に治療の選択肢を増やす一筋の光」と話している。
片付けられない人、情緒が不安定、学業・業務成績の不振、人間関係の構築が難しい、適応障害、日常活動困難等の症状があげられるそうだ。
小児期からの不注意、多動性、衝動性の確認が診断には必要ともある。
間違いなく、かつての私のことだ。
でも、50歳過ぎまで多動でやってきたし、私個人としてはもはや治療する必然性は薄い。
それに、子どものころから治療対象とカテゴライズされるのは不本意だった。
記事にも、
日本は薬の抵抗感も強い。治療には、職場や家族との連携、生活相談などが欠かせない
とある。
先週、特別支援課程の推薦入試小論文と面接を指導していた。そこで、障がいは個性では無い、なぜならその能力を伸ばすべきものではないからだ、というオープンキャンパスの授業を受けたと言う生徒の話を聞いた。
うーん、難しい。
障がいは個性では無い、というのには納得だ。
だが、ここまでこうして生きてきててしまったと言う現実を踏まえると、多動だって、結果としては個性っちゃ個性とも言えない事も無い。
なだ・いなだだったか、北杜夫だったか、北山修だったか、お医者さんの作家だったように思うが、病気というのは、誰か他者に迷惑をかけるかどうかが判断基準だ、という文章を読んだ記憶がある(精神的な病の場合)。
そう考えると、私の多動性はとんでもなく迷惑を周囲に与えてきた。
とはいえ、もうそれももうすぐ終わりだ。今となっては、
忘れ物もせず、集中力があり、片付けのできる私。
投薬によって、あっけなくそれが実現できるとしたら、私の人生は、何だったのだろうということになる(笑) 。
同じ生徒が、オープンキャンパスで、「マサオはマサオ(名前がちがってるかも)」という講義も受けたそうだ。
その人間はその人間であると言うこと自体で尊重されなければならない、ということだろう。
ちなみに、私が子どもの頃はADHDと言う呼び名はなかった。
微細脳損傷症候群とか呼ばれていたような気がする。
昔の話だから、正確な名前は覚えていないけれど。
もちろん脳の損傷など微細なのだから結局分からないという話のオチがついたのだが、でも、そういう設定をすることによって、しつけのせいだとか、心理的抑圧の結果だ、なんていう根拠のない昔の心理学的言いがかりのフレームから解放するという役割は果たしたらしい。
そんな話を聴いても、結局治療法もなく、ただカテゴリー変更をされてもなあ、って感じでしたが、個人的には。
その後、物理的に脳が壊れてるって話はいつのまにか流行らなくなり、だんだん話は機能障害みたいなことになって、ADHD(発達障害)やLD(学習障害)にその地位を譲っていく。
正直、カテゴライズされるオブジェクトの立場でいうと、だからなんだよ、という感じがずーっとありました。
まぁ、学問の発展というのは素晴らしいのだろうけれど、別に治療されたくは無い、と言うこともある。
一方、病院に行って、問診を受けてみようかとも思わないではない。治るならね。
もしかすると、適応しているんだからいいじゃないですか、なんて言われてしまうのかもしれない。
この程度なら、薬を飲んでも飲まなくてもいい、ということかな。
社会に適応できず苦しんでいる状態を、
「本人の努力不足」
と言われるのは不本意だし、辛い。
それは、痛いほどよくわかる。
だから、必要な人は必要な支援を受けられるべきだ。
私も、社会に出たての頃は、思い出すのも困難なほどメチャメチャだった。
よくあの頃の同僚の方々は「放置」しておいてくれたものだ。
いくら感謝しても感謝しきれない。呆れてものが言えなかっただろうと思う。
でも、それでも、どこまでコントロールが必要なのか?と言う問いは、簡単には答えが出ないような気もする。
まあしかし、若い方には治療をお勧めしたい。
治療によって、生活のクオリティーがぐっと向上する可能性が出てきたのだから。
ただし、カテゴリだけをいじっ、結局病気だと名指されるだけならほっておいて欲しい。
治療だって、フレームの中に人を放り込むことが優先ならやめておけと思う。
高齢者の延命治療もそうだ。
放置されて命を奪われるのは残酷だが、ただ生き長らえるだけのためのシステムも無残だ。
人が神様から与えられた生きる力を発揮できる基盤があればそれでいい。
自分にとっては、それ以上でもそれ以下でもないような気がいまはしている。