龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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5月24日(火)「野菜から花へ植え替えられた我が家の庭」

2011年05月24日 20時39分25秒 | 大震災の中で
生前父親は、暇さえあれば庭に出て、野菜や草花、庭木の手入れに余念がなかった。

今でも天気の良い休日の午後、母親と居間でお茶を飲んでいると、一仕事終えた父親が縁側から上がってきそうな気がする。

父が亡くなってからは、母が一人で庭いじりをしている。けれど、大きく変わったことが一つ。
ホームセンターに行くたび、いつも浅めの段ボール箱に一杯花の苗を買ってくるのだ。
母親は連れあいの霊前に供えるから、と今は言っているけれど、そうなるまでには二ヶ月かかった。

それまでは、父が春先にむけて作っていた菜の花やほうれん草を取ってきては、
「よく洗えば食べられるよね」
と自分に言い聞かせるようにおひたしにしようとし、何度かは食べていた。

そうはいいつつも、彼女なりに気にしているのだろう。
80歳になる自分一人ならば全部食べても平気なのだろうけれど、一緒に暮らす者のことを考えると無理はできない。
結局収穫したのはごく少量。ほとんどは庭の肥やしになってしまった。


付着した放射能の放射線量の多寡は、自宅なので計測もしていないから分からない。
このままではいつ「野菜作り」を再開できるのかも分からないままだ。

けれど、花ならば、目で楽しめる。

今、家の裏の畑は、父親が野菜を植えていた畝を埋め尽くして、綺麗な草花がびっしりと植えられている。
無理に庭で取れた野菜を食べる必要があるわけではないし、花でも野菜でもいずれ年寄りの手すさびにすぎない。

けれども、父親の死と放射能飛散と地震とが同時に3重の「ズレ」として、母親の前に立ち現れている。

「こんなことは戦争以来だね」

笑いながら、歯止めがかからないかのように彼女は花を買い続けている。今週の日曜日にベコニアや日日草を大量購入してきた(その前はマリーゴールドとペチュニアだった)。
今度はサルビアとコスモスを買いに行くのだそうだ。
アメリカシロヒトリ用のスプレーも必要だし、除草剤も撒かねばならないという。

野菜は身体の中に取り込んで新たな「生への促し」になるけれど、放射能は「死への促し」にしかならない。
うちの庭で花を愛でることは、幾重にも「死」のイメージが重なることになってしまった。

ただし、それは必ずしも悪いことばかりを象徴している、というわけでもないのだ。

年老いた母と、初老の息子が二人、老父を失って暮らすには、大量の野菜より花のあふれた庭がむしろふさわしいだろう。そして、夏になってさらに花が溢れれば、そこを我が物顔に歩くもう「一人の家族」、老いた柴犬にとっても、大根やキュウリよりも楽しめる草むらになるかもしれない。

やっぱり、富士には月見草、じゃあないが、

「放射能は老後によく似合う」

若い人には酷な現実だよね、当然ながら。



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