龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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秋沢陽吉の吉本隆明論、面白い。

2018年01月07日 10時55分09秒 | メディア日記
雑誌 「労働者文学」82号に掲載された秋沢陽吉氏の吉本隆明論が面白かった。

「吉本隆明は空っぽ、または吉本隆明的なるもの」

 普通の 「左翼雑誌」なので店頭で購入するのはかなり困難だと思うが、福島に住む人間としては避けて通れない 「吉本隆明問題」を丁寧に書いてくれていて、有り難かった。

ご案内の方も多いと思うが、吉本隆明は一貫して原発肯定派であり、原子力の科学的平和利用と核兵器の危険とを混同して反対するような 「輩」は断固許さない、というスタンスを保ってきた。そしてそれは福島の原発事故もぶれることがなかった。 「科学」と 「科学技術」を区別せよ、というのだ。

その吉本隆明の 姿勢を福島から批判する。
誰かがやらなければならなかった仕事を秋沢氏がようやくやってくれた。

吉本隆明の空虚さは原発政策についての無知をさらす一方で、糸井重里のような新たな 「空所」を招き寄せ続けている。

私には、日本において吉本隆明や糸井重里のような 「空所」を抱えたパフォーマーが繰り返し出現する理由が3.11以後、ようやく少しずつ分かってきたような気がする。

天皇の身体やキリストの身体、そして中産階級的なる身体、さらには我々 「庶民」の身体をどう受け止めるか?

身体を伴った哲学は今、吉本隆明の中には宿っていないのだろう。

私がアーレントのテクストに、そして國分功一郎のテクストに繰り返し惹かれ続ける理由もまた、分かってくる。

するでもされるでもない場所、ある種の者たちには 「空所」として受け止められ流通してしまう場所、その場所を生身の身体と結びつけたとき、身体もまたその 「空所」において消費されていくことに耐えねばならないのだろうか。吉本隆明藻糸井重里も、そうだという。開沼博もまたうなずいてみせるのだろう。

だが私たちは、もう少しその受肉された 「空所」に降りて行きたい。

そういうことだ。



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