龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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独立研究者 森田真生(独立研究者)のこと

2012年09月30日 11時22分45秒 | 大震災の中で
27歳の独立研究者、森田真生のことが書いてあった。

「これだっ!」

と思わず叫んでいた。
才能ある若手の数学者が、事情があって大学にいかず(いけず?)、「在野」(懐かしい言葉だ)で研究をしているだけのこと、と見てしまう人は今はもうそんなにいないんじゃないかな。

たとえばこういうことば。

「科学や数学って、知をどんどん広げて未知を覆い尽くすことではなくて、知の柔軟性や可動域を広げて動き回れるようにすることなんです。一方で優れた科学やアートなの存在感をありありと立ち上げて、その境界のインターフェースが燃え上がるのが知の喜びの根っこだと思うんです」

深く共感する人は、「今」はもうたくさんいるはずだ。

計算可能な数のみではなく、計算という方法ではアクセスできない計算不可能数が、数直線(世界)を支えているという話の中に「も」、私がスピノザを読み始めて「そこだ!」と感じたことの輪郭の手触りがある。

中世神学の神様はこの世を去って久しいけれど、それは繰り返し要請されなければならない、と思う。

たとえばこういう場所で。

「まず要素があり、その要素の集合として全体ができると考えるのではなく、まず全体があり、その関係性のネットワークが、個々の対象のアイデンティティを決めているのだ、と考えることはできないでしょうか。これが『圏論』と呼ばれる数学の基本的な思想です」

この「全体」=神様がある(いる)のかどうか、という話では必ずしもないのだけれど、その境界線の近傍に立って、向こう側に瞳を凝らし、耳を澄ますことが、絶対に「今」必要なのだと感じる。

だから、
「そこだ!」
と思うわけで。

AERAの10/1号、とりいそぎお薦めです。


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