『正法眼蔵随聞記』と平行して、
鈴木大拙『浄土系思想論』
を読み出した。『正法~』が自力系禅の教えとすればだとすれば、こっちは明らかに他力的「大乗系」の教えになる(のだろう)高校で教わった範囲だけど。あれ、でもどっちかっていうと、浄土宗というより、浄土真宗なのかな?絶対他力は後者だとならったような。
でも、実は法然さんと親鸞さんの違いをはっきり分かってない。
まあ、いいや(笑)おいおい見えてくるでしょう。
最初に読みだしたところでは、彼岸と此岸の「一如」がポイントになりそうだ。極楽と娑婆は1つではない。2つでもない。
「一如」なのだそうだ。
道元と違って脱力系なのかと、いっしゅん思うが、これはこれで、分別を越えて「霊性」を発揮しなければならないというのだから簡単に分かるというわけには行かないのだろう。というか「分かる/分からない」ではない次元に行く、という意味では道元さんと似ている面もあるのかしら(仏教だから当然?いやいやまだよくわからない)。
そこのところの「ジャンプ」をする前の此岸的準備運動の道具立てが違っていそうだが。
こうなると日蓮系も覗いてみたいが、こちらはいろいろありすぎてとりあえずお正月明けのぼんやりした頭ではまかない切れなさそうだ。
今年前半の課題ホッブズ『リヴァイアサン』に取り組む前の準備運動の一環かな。
これか?!
P 18-19
「両者(浄土と穢土:引用者注)の矛盾を高むれば高むるほど、相互映出の法界観または一如観が成立するのである。絶対矛盾の故に、却って映出即ち同一性が成り立つのである」
こりゃ、放置しておいた
『〈日本哲学〉入門講義 西田幾多郎と和辻哲郎』
を、読まねばならんではないですか。
道元は和辻哲郎、浄土は鈴木大拙で、しかも大拙=西田哲学系、となれば。
繋がってるなあ。
数年前に親鸞とスピノザを繋げる「真面目な」本を読んだけど、このあたりうろうろしているだけで犬も棒に当たるね。
ただ、犬は棒にあたって正気を失うかもしれないんだけどね。