國分功一郎 萱野稔人対談「スピノザの哲学」朝日カルチャーセンター6/18
のメモ(2)を、
メディア日記にアップしました。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980305
存在の可能性条件としての神を、一歩一歩高みに上っていくことで「認識」していく「説得しないスピノザ」。
どうしても、デカルト的ではなく、スピノザ的な歩みに近いところに立とうとしてしまいます。
さ
フーコー的、といってもいいが。ドゥルーズは、昔はむしろ分かりやすいと思って丸めていたのに、最近何人かのドゥルーズ研究者の話を聴くと、どうもこれも一筋縄では行かないらしい。
改めてドゥルーズのスピノザを読み始めた。対談後、『スピノザの哲学』は圧倒的に読みやすくなったが、「表現の問題」の方は、まだなかなか進まない。
分かりにくけりゃいいってもんじゃないんですが、「流通する言葉」、にはなり得ないモノやこぼれ落ちるコトに瞳を凝らそうとすると、どうしても分かりにくくはなってしまう。
自分の中の「わかりやすさ」にも、注意深くありたい。
一撃必殺の真理だけじゃないぜってことでもあるかな。
のメモ(2)を、
メディア日記にアップしました。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980305
存在の可能性条件としての神を、一歩一歩高みに上っていくことで「認識」していく「説得しないスピノザ」。
どうしても、デカルト的ではなく、スピノザ的な歩みに近いところに立とうとしてしまいます。
さ
フーコー的、といってもいいが。ドゥルーズは、昔はむしろ分かりやすいと思って丸めていたのに、最近何人かのドゥルーズ研究者の話を聴くと、どうもこれも一筋縄では行かないらしい。
改めてドゥルーズのスピノザを読み始めた。対談後、『スピノザの哲学』は圧倒的に読みやすくなったが、「表現の問題」の方は、まだなかなか進まない。
分かりにくけりゃいいってもんじゃないんですが、「流通する言葉」、にはなり得ないモノやこぼれ落ちるコトに瞳を凝らそうとすると、どうしても分かりにくくはなってしまう。
自分の中の「わかりやすさ」にも、注意深くありたい。
一撃必殺の真理だけじゃないぜってことでもあるかな。