龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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対談「スピノザの哲学」(2)

2011年06月29日 11時38分00秒 | 大震災の中で
國分功一郎 萱野稔人対談「スピノザの哲学」朝日カルチャーセンター6/18
のメモ(2)を、

メディア日記にアップしました。
http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980305

存在の可能性条件としての神を、一歩一歩高みに上っていくことで「認識」していく「説得しないスピノザ」。
どうしても、デカルト的ではなく、スピノザ的な歩みに近いところに立とうとしてしまいます。

フーコー的、といってもいいが。ドゥルーズは、昔はむしろ分かりやすいと思って丸めていたのに、最近何人かのドゥルーズ研究者の話を聴くと、どうもこれも一筋縄では行かないらしい。
改めてドゥルーズのスピノザを読み始めた。対談後、『スピノザの哲学』は圧倒的に読みやすくなったが、「表現の問題」の方は、まだなかなか進まない。

分かりにくけりゃいいってもんじゃないんですが、「流通する言葉」、にはなり得ないモノやこぼれ落ちるコトに瞳を凝らそうとすると、どうしても分かりにくくはなってしまう。

自分の中の「わかりやすさ」にも、注意深くありたい。

一撃必殺の真理だけじゃないぜってことでもあるかな。


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