龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

センター試験が近くなると

2009年12月25日 21時28分15秒 | 教育
「先生、点数が取れすぎて怖いんです」

国語の場合センター試験が近くなると、少なからずこういう生徒が出てくる。
そしてそういう生徒の場合、本当に本番では思ったように点数が取れないことがある(必ずってわけじゃないんだけどね)。

国語のセンター試験の問題演習は麻薬のようなもので、やりはじめたら、間をおかずに続けていかないと不安になるし、感覚も鈍る。
感覚でセンター試験の国語問題を解いている限り、そこから逃れられないのだ。

自分の理解した筋道で問題を解いていると、最初は点数が伸びない。
だたし、その時点ではただ分からないだけだから、不安にもならない。
ところが、点数が取れだしてからが問題だ。

本文と設問に即して答えるのではなく、自分で理解した道筋がそれなりに精緻になってくると、時々、本文と自分の読解とがぴったりと重なる時がある。
そうすると、当然のことながら高得点が取れるようになる。
そして、実はそこから不安が始まる。

テキストと設問に寄り添って、その論理展開に沿って答えを出したわけではなく、あくまで「自分」の「理解」をなぞっただけだから。

本文と自分の読みがずれたとき、こういう生徒はなすすべを持たない。

自分の読んだ結果を「読んでいる」だけでは、間違いはいつも自分の主観の外にある。

だから、ここから先いくら練習を積んでも、感覚が鋭敏になるだけで、自分の読みの「外部」に出られないのだ。

この恐怖は、味わった人でないと分からないかもしれない。

本当はここからほんのちょっと先に、安定した読解があるんだけどね。
やり方は二つ。 一つはイチローのように読解に必要なルーティンワークをしっかりやって、「自分」の「読み」の水準のぶれをなくすこと。

もう一つは、自分の読みを相対化して、もう一度テキストや設問に近づけて検証してやること。

どちらかができれば80%は堅くとれる。両方できれば90%が狙える。
もちろん、言うは易く行うは難し、なんだけど。 さらにもう一つ余計なことを言えば、実はそのルーティンワークをしっかりやることと、自分の読みを相対化することとは同じことの表裏になっている。ただ相対化しただけでは、混迷を深めるだけだし、ただ決まり切った手順をなぞるだけで点数が伸びるはずもない。一方で基準をたしかなものにするためにルーチンをしっかりとやって、その上で自分自身と対象の距離を測り直す。プロのやることは結局そういうことなんだろうなぁ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。