龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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『歩道橋の魔術師』作:呉明益 訳:天野健太郎 刊:白水社

2018年05月14日 22時52分14秒 | 観光
『歩道橋の魔術師』作:呉明益 訳:天野健太郎 刊:白水社
を読んだ。
1980年代~90年代にかけて、台湾にかつて存在していた「中華商場」(台北の町中、大きな道路と線路に面した商業ビルの中に小さなお店がなかにぎっしり入っていて、それがが歩道橋で繋げられている、駅前のショッピングモールのようなもの)を舞台にして、その中で生活する人間くさい商店街の人々。当時そこに生活していた少年や少女の回想として語られていくその「中華商場」の物語は、読み進めるうちに、小説家がかつてそこに生活していたとおぼしき不思議な魔術師の存在を聞き書きしながら「この小説」を書き留めていっているような体裁がおぼろげに立ち上がってくる。

私はこの「中華商場」があることに台湾にいったことはないけれど、夜市で怪しげでおもしろいお店をたくさん冷やかしてあるいたことはある。そのときの印象が鮮烈で、なんとなくそういうイメージを重ねながら親しい感じを覚えつつ作品を読んでいった。

魔術師は決して物語りの主人公ではない。敢えていうなら、主人公はかつて存在していた猥雑で人々の生活感にあふれたこの「中華商場」それ自体だろう。
今はもう存在しないその懐かしき「ショッピングモール」は、一見ちょっとノスタルジックな語りの中に漂っているように見えるかもしれない。そしてそう読まれることを、作品はとりあえず拒まないのかもしれない。
しかし、読まれるべき第一の筋は、けっして懐古的な感情、ではないだろう。

その体験はこの中で大人になった元少年、元少女たちの中に沈殿しながら息をしている。主人公たちはそれを昔の物語としてではなく、そこにあったものとして受け止めている、そんな気がしてくる。

まあ、知的な筆致の小説ですから、ワイルドな魔術的リアルがそこにあるわけではありません。しかし、台湾で描かれなければならない小説でありつつ、その台湾の「中華商場」を全く知らない私たちが読んでも、その「記憶」の手触りというか記憶されたものの記述されていく手触りは十二分に手応えとして伝わってくる、すてきな本でした。

こういう小説が読めるということは、間違いなく幸せです。

これからも台湾小説をもっと読みたいという気持ちにさせられる一冊。

ぜひよろしかったら。