龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
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久しぶりの一人暮らし

2013年11月21日 09時35分34秒 | 大震災の中で
今日はたまさかの一人暮らしで、朝からコインランドリーにて洗濯物を乾燥機にかけました。

昨夜干す根性がなかった。

買い物をしてから夕飯を作り、洗い物と洗濯をして風呂をセット。居眠り1時間の後辛うじて入浴し、朝起きてゴミを出し、コーヒーを入れて朝食を台所で食べ、洗濯物をビニール袋に入れてコインランドリーに立ち寄る。
仕上がりを待ちながらパソコンを見ている単身赴任?(横浜ナンバー)のお兄ちゃんの横で、朝のニュースとメールをチェックしてから出動。

単身赴任の時はそんなことが当たり前の日常だったけれど、久しぶりにやると非常に忙しいような気になる。

でも、自己の生活をコントロールしているという満足の感情も強くなるね。

掃除した時と一緒で。

こういう日常の繰り返しの安定は必要不可欠だけれど、この満足だけで一息ついてもいられないんだよねえ。

たとえは。

アマゾンから本が届くと、それを裁断してPDFファイルにするのが日課になった。もはや本棚が溢れないし、床にも本が流出することがない。これはこれで革命的だ。

でも。

いつの間にかタブレット端末が本を吸い込んでしまい、私はタブレット端末を育てるために「朝食」を作っている親みたいなことになっていやしないか、と不安にもなるのである。

もちろん、本のまま積んでおいた以前の方が、裁断して電子化するようになった最近よりずっと読む冊数が多かった、とかいうわけじゃない。

整理することが自然にできない散らかった行動になりがちな自分だからこそ、整理する行為はかなり自覚的にやらねばならない。
そしてそれを意識して完遂すると、どうしても満足してしまうわけです。

で、何が悪いんだ。
みんな大人はそうしてるだろう?

うん、別に悪かないんですがね。

そういうのって、個人的には大層な成果なので、むしろアディクションしちゃうんですよ。

ダイエットが軌道に乗るときとかもそう。

こういう自己コントロール感覚、というのは、ちょうどいい感じで収めるのが意外と難しいのです。

ま、普段だらしない日常に慣れてしまっているからそんなことがいえるんですけどね。