原発事故の映画、園子温監督作品『希望の国』を観ました。 2013年04月29日 22時40分18秒 | 大震災の中で 園子温監督作品『希望の国』を観ました。 感想はこっちに書きました。 http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980424 レンタル屋さんで観られる流通で、こういう映画を作ってくれたみなさんに感謝しておきたい。
「日々の新聞」といういわき市の隔週紙の取材を受けた。 2013年04月29日 15時29分56秒 | 大震災の中で とりとめなく一時間以上だらだらとしゃべっていたのに、見事に整理された記事になっていて、プロの技に感服。 個人的にはこのまま「エチカ福島」の趣意書にさせてもらいたいぐらいです。 記事はこちらで。 「日々の新聞」2013年4月30日発行 PERSONA欄(クリックすると拡大します) 取材の後、バックナンバーを送っていただいて読ませていただいたのですが、とても大切な発信を続けてている地元紙だと思います。 その姿勢に強い共感を抱きました。
なんとか草稿を書き上げた。 2013年04月29日 00時18分09秒 | 大震災の中で 「エチカ福島」の設立趣意書の草稿を、なんとか書き上げた。 しゃべりながら話を膨らませていくのは大の得意なのだが、「100字以内にまとめよ」なんて課題を生徒に出している割には、自分の考えをまとめるのが苦手だ。 悔しいから、考えていないとは思いたくない。 昔はもうちょっと文章を格好つけることができたような気さえする。 でも、ある意味では自分が主体から客体に移行しつつある(身体化?)ような気もしている。 主体から対象へ。 相変わらずブログでは考えをだらだらとこうしてまとまりなく書き続けてはいるが、「エチカ福島」はこのブログとは違う目的で始めた思考集団プロジェクトだ。 福島という場所において、倫理(ともがらのことわり)について具体的に人と出会いつつ考える。そしてそれを石に刻むように記録にし、何十年後かに残すのが大きな目的の一つだ。 できるなら、人為と自然を包括した世界それ自体の「理(ことわり)」として、その倫理を福島の人と共有できたら、とは思うが、それは望みが高すぎる。というか荒唐無稽な妄想に近い。 できるかどうか、じゃなくてただ、やっていくだけだ。 これを本気で言い出すとなにやら出来損ないの「預言者もどき」にでもなった気分になるので、あまり声に出しては言いたくない。 「倫理」とかいうものが果たして可能なのかどうか、という学問的な議論をしていく知識財もあいにく持ち合わせていない。 それでもなお、人は生きるときに「倫理」を必要とするのではないか。 もしそれを思考しなければならない場所があるとしたら、今の福島なのではないか。 そういう思いは消えないのだ。 じゃあ、しょうがないなあ、ってわけで。 やりつづけていく以外の選択肢がないのだから、続けていくことになるでしょう。 6月22日(土)に、「エチカ福島」第2回セミナーを開催予定です。 一度目は単発イベントでもいいが、継続していくならぶれないための原点確認が必要、の助言をいただきました。 というわけで、趣意書というか設立にむけての文書ができあがったら、またアップします。 現在添削してもらっているところです(笑)。