『宮廷人と異端者』(書肆心水刊)を読んだ。
副題は「ライプニッツとスピノザ、そして近代における神」。
面白い!
ライプニッツがいささかならず戯画化されているし、その現代的意義についてはほとんど触れられていないので、「今」ライプニッツをきちんと読もうとする人にとっては残念本かもしれない。
でも、そこはおそらく著者も織り込み済み。
この本の眼目は、現代におけるライプニッツ自身の哲学の評価ではない。
17世紀における「神」を巡って、ライプニッツという天才と、スピノザという天才が、どんな形で出会い、どんな「問題圏域」を基盤として対立し、それぞれが同じ時代の中でどう生きたか?
という時代のコンテキストを「想像」するためには、本当に素晴らしい本だ、ということだ。
まるで推理小説のような前半のワクワクだけでも、読む価値はあるんじゃないかなあ。
ライプニッツはスピノザの哲学を否定しようとして半生をそれに費やし、しかし結局成功しなかった、みたいなストーリーにしてしまうとお話がいささか貧弱になる。でも、単にそういう話じゃなくて、この本がなぞっていくライプニッツの「葛藤」は、私達にとっても無縁の話じゃないよねってことでもある。
個人的には今のところスピノザ哲学萌えしているのだが、スピノザの影に怯えるライプニッツ、というこの本の描写を読んでいると、よく知らない素人の私でさえ、いやいやライプニッツのモナド論とか、もっとなんか怪しくて面白そうでしょう、という感じがする。
おそらく、その辺りの事情、つまり「もっと別の本でいろいろ読みたくなる効果」は折り込み済みじゃないのかな、著者は。
敢えてライプニッツの近傍にスピノザを置いたら、ライプニッツの半生はどう見えてくるのか、という思考実験を(かなりライプニッツの残した文書を丁寧にたどりながら)している、と見て取れないこともない。
スピノザの、外部に超越的な参照点を持たず、あくまで唯一の「実有」としての神=自然の様態としてこの世界の事物を捉え、ということは全ての物質的存在に神が内在しているという考えの「危険性」を実感するという感じは、ライプニッツではなくても分かる。
私達もまたそのスピノザのあられもない徹底性に「怯える」瞬間があるわけだから。
え、その神様って、もはやあの超越者とはいえ、半ば人格神的な感じもある神様じゃないんじゃね?スピノザは汎神論とか言われるけど、無神論なんじゃね?という多くの人がスピノザを読んだときに感じる「異様さ」(上野修)。徹底性。透明性。謎めいた静けさ。
そういう意味ではここで描かれた戯画化されたライプニッツは、平凡な私達がスピノザと向き合ったときに感じるある種の「たじろぎ」の体現者、でもあるのかもしれない。
まあそれが哲学推理小説、というか映画っぽいいい感じで進行していくのだから、お話としては面白くないはずがない。
加えて、二人が生きた時代、環境、人生、食べ物や衣類など、が具体的に事細かく、しかも生き生きと描かれているのも素晴らしい。
正直、一番感心したのはそういう細かいディテールです。
哲学書として読まれるより、教養エンタ的ジャンルで上手に宣伝したらもっと売れるんじゃないかなあ。
(って、どれだけ売れてるのか知りませんけど。3800円+税という値付けからして、爆発的に売ろうとはしてないのかしら。火が付いたら結構いけると思うけれど)。
後半、17世紀以後の流れのノート的叙述は正直不満&不安。
これをやるなら、もう少し(「啓蒙的」になってもいいから)、ライプニッツとスピノザの現代的意義と課題、みたいなところを丁寧に追ってほしかった。
でもまあ、それは別の著作でやるべき話かな。
当たり前だけど、謎はスピノザの側だけにあるわけではない、ってことです。
副題は「ライプニッツとスピノザ、そして近代における神」。
面白い!
ライプニッツがいささかならず戯画化されているし、その現代的意義についてはほとんど触れられていないので、「今」ライプニッツをきちんと読もうとする人にとっては残念本かもしれない。
でも、そこはおそらく著者も織り込み済み。
この本の眼目は、現代におけるライプニッツ自身の哲学の評価ではない。
17世紀における「神」を巡って、ライプニッツという天才と、スピノザという天才が、どんな形で出会い、どんな「問題圏域」を基盤として対立し、それぞれが同じ時代の中でどう生きたか?
という時代のコンテキストを「想像」するためには、本当に素晴らしい本だ、ということだ。
まるで推理小説のような前半のワクワクだけでも、読む価値はあるんじゃないかなあ。
ライプニッツはスピノザの哲学を否定しようとして半生をそれに費やし、しかし結局成功しなかった、みたいなストーリーにしてしまうとお話がいささか貧弱になる。でも、単にそういう話じゃなくて、この本がなぞっていくライプニッツの「葛藤」は、私達にとっても無縁の話じゃないよねってことでもある。
個人的には今のところスピノザ哲学萌えしているのだが、スピノザの影に怯えるライプニッツ、というこの本の描写を読んでいると、よく知らない素人の私でさえ、いやいやライプニッツのモナド論とか、もっとなんか怪しくて面白そうでしょう、という感じがする。
おそらく、その辺りの事情、つまり「もっと別の本でいろいろ読みたくなる効果」は折り込み済みじゃないのかな、著者は。
敢えてライプニッツの近傍にスピノザを置いたら、ライプニッツの半生はどう見えてくるのか、という思考実験を(かなりライプニッツの残した文書を丁寧にたどりながら)している、と見て取れないこともない。
スピノザの、外部に超越的な参照点を持たず、あくまで唯一の「実有」としての神=自然の様態としてこの世界の事物を捉え、ということは全ての物質的存在に神が内在しているという考えの「危険性」を実感するという感じは、ライプニッツではなくても分かる。
私達もまたそのスピノザのあられもない徹底性に「怯える」瞬間があるわけだから。
え、その神様って、もはやあの超越者とはいえ、半ば人格神的な感じもある神様じゃないんじゃね?スピノザは汎神論とか言われるけど、無神論なんじゃね?という多くの人がスピノザを読んだときに感じる「異様さ」(上野修)。徹底性。透明性。謎めいた静けさ。
そういう意味ではここで描かれた戯画化されたライプニッツは、平凡な私達がスピノザと向き合ったときに感じるある種の「たじろぎ」の体現者、でもあるのかもしれない。
まあそれが哲学推理小説、というか映画っぽいいい感じで進行していくのだから、お話としては面白くないはずがない。
加えて、二人が生きた時代、環境、人生、食べ物や衣類など、が具体的に事細かく、しかも生き生きと描かれているのも素晴らしい。
正直、一番感心したのはそういう細かいディテールです。
哲学書として読まれるより、教養エンタ的ジャンルで上手に宣伝したらもっと売れるんじゃないかなあ。
(って、どれだけ売れてるのか知りませんけど。3800円+税という値付けからして、爆発的に売ろうとはしてないのかしら。火が付いたら結構いけると思うけれど)。
後半、17世紀以後の流れのノート的叙述は正直不満&不安。
これをやるなら、もう少し(「啓蒙的」になってもいいから)、ライプニッツとスピノザの現代的意義と課題、みたいなところを丁寧に追ってほしかった。
でもまあ、それは別の著作でやるべき話かな。
当たり前だけど、謎はスピノザの側だけにあるわけではない、ってことです。