龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

「ライプニッツとスピノザ、そして近代における神」の感想

2012年06月11日 23時57分01秒 | 大震災の中で
『宮廷人と異端者』(書肆心水刊)を読んだ。
副題は「ライプニッツとスピノザ、そして近代における神」。

面白い!
ライプニッツがいささかならず戯画化されているし、その現代的意義についてはほとんど触れられていないので、「今」ライプニッツをきちんと読もうとする人にとっては残念本かもしれない。
でも、そこはおそらく著者も織り込み済み。

この本の眼目は、現代におけるライプニッツ自身の哲学の評価ではない。

17世紀における「神」を巡って、ライプニッツという天才と、スピノザという天才が、どんな形で出会い、どんな「問題圏域」を基盤として対立し、それぞれが同じ時代の中でどう生きたか?
という時代のコンテキストを「想像」するためには、本当に素晴らしい本だ、ということだ。

まるで推理小説のような前半のワクワクだけでも、読む価値はあるんじゃないかなあ。
ライプニッツはスピノザの哲学を否定しようとして半生をそれに費やし、しかし結局成功しなかった、みたいなストーリーにしてしまうとお話がいささか貧弱になる。でも、単にそういう話じゃなくて、この本がなぞっていくライプニッツの「葛藤」は、私達にとっても無縁の話じゃないよねってことでもある。

個人的には今のところスピノザ哲学萌えしているのだが、スピノザの影に怯えるライプニッツ、というこの本の描写を読んでいると、よく知らない素人の私でさえ、いやいやライプニッツのモナド論とか、もっとなんか怪しくて面白そうでしょう、という感じがする。



おそらく、その辺りの事情、つまり「もっと別の本でいろいろ読みたくなる効果」は折り込み済みじゃないのかな、著者は。

敢えてライプニッツの近傍にスピノザを置いたら、ライプニッツの半生はどう見えてくるのか、という思考実験を(かなりライプニッツの残した文書を丁寧にたどりながら)している、と見て取れないこともない。

スピノザの、外部に超越的な参照点を持たず、あくまで唯一の「実有」としての神=自然の様態としてこの世界の事物を捉え、ということは全ての物質的存在に神が内在しているという考えの「危険性」を実感するという感じは、ライプニッツではなくても分かる。

私達もまたそのスピノザのあられもない徹底性に「怯える」瞬間があるわけだから。

え、その神様って、もはやあの超越者とはいえ、半ば人格神的な感じもある神様じゃないんじゃね?スピノザは汎神論とか言われるけど、無神論なんじゃね?という多くの人がスピノザを読んだときに感じる「異様さ」(上野修)。徹底性。透明性。謎めいた静けさ。

そういう意味ではここで描かれた戯画化されたライプニッツは、平凡な私達がスピノザと向き合ったときに感じるある種の「たじろぎ」の体現者、でもあるのかもしれない。


まあそれが哲学推理小説、というか映画っぽいいい感じで進行していくのだから、お話としては面白くないはずがない。

加えて、二人が生きた時代、環境、人生、食べ物や衣類など、が具体的に事細かく、しかも生き生きと描かれているのも素晴らしい。
正直、一番感心したのはそういう細かいディテールです。

哲学書として読まれるより、教養エンタ的ジャンルで上手に宣伝したらもっと売れるんじゃないかなあ。
(って、どれだけ売れてるのか知りませんけど。3800円+税という値付けからして、爆発的に売ろうとはしてないのかしら。火が付いたら結構いけると思うけれど)。

後半、17世紀以後の流れのノート的叙述は正直不満&不安。
これをやるなら、もう少し(「啓蒙的」になってもいいから)、ライプニッツとスピノザの現代的意義と課題、みたいなところを丁寧に追ってほしかった。

でもまあ、それは別の著作でやるべき話かな。
当たり前だけど、謎はスピノザの側だけにあるわけではない、ってことです。



1324人の福島県民が東電会長らを告訴

2012年06月11日 23時17分30秒 | インポート
東京電力福島第1原発事故で被ばく被害を受けたとして、発生時の福島県民1324人が11日、東電の勝俣恒久会長や原子力安全委員会の学者ら33人について、業務上過失致傷容疑などで福島地検に告訴状を出した。(毎日新聞)
記事は下のURLで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120611-00000073-mai-soci

いよいよ長い戦いが始まりました。

今後、最後まで注目していきたいと思います。

私は、被曝被害の責任が刑事的に問われないとしたら、この国に未来はない、と考えています。

東電会長や原子力安全委員会の学者さんは否認すると思いますが、刑事的責任を追及する必要があります。

「人為を超えたもの」をきちんと見つめるためにこそ、人為と自然との臨界面を法的にも明らかにする努力が、私達に課せられた課題の一つだと考えるからです。


---------------------------------------------------------
個人的には今回の原告には残念ながら参加できませんでした。
高橋哲哉氏の講演会でその動きは聞いていたが、行動が伴わなかったのです。
反省。
-----------------------------------------------------------