龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

伯母が亡くなった。

2010年10月27日 23時42分02秒 | インポート
コタツで息を引き取ったのだという。私の母と同年代らしいから、80歳近くの年だろう。
一人暮らしの高齢者の最期については、いろいろな思いが交錯して語りにくい面がある。
一人で迎えるその時はやはり心細いだろう、と心配してしまう。しかしまたそうはいっても、家族が側にいたとしても、いつ何時体調が変化するかわからない以上、一人で死と向き合う可能性はゼロにはできない。
長生きすればこその一人暮らし、という場合だってあるだろう。
一人は確かに寂しいことも多かろう、と自分に置き換えてもそう思うが、あんまり「孤独」とか「孤独死」とかが、それ自体で救いがたい不幸ででもあるかのように扱われたり、同情の対象としてだけ語られるのもいしか釈然としない。

まだ老いの経験もさほどない駆け出しが、あんまりえらそうにいいたくはないが、死ぬときはどこにいても「一人」だろう。
家族に看取られる、ことは素晴らしい「当たり前」だけど、それをすべての人が手にできるわけではないし、またそうでなくては「幸福」ではないかのように思われるのもちょっとなんだか、他人のことであっても自分のことであっても嫌な感じがする。

ひとりで最期を迎えることが心配なくできて、安心して一歩を踏み出せる道筋のひとつであってほしい、と思うのは、
まだスタンダードにはならない考え方、だろうか。

本当にもし自分なら、どうだろう?
少なくても10年前だったら、そんな風に考えてみることさえなかった。
そばにだれかがいて、「こわがらなくてもいい」といって手を握ってくれたらうれしいのかな、やっぱり。

ただ、それはだれかに望むことではなくて、そういう巡り合わせがあったなら、神様に感謝する、っていうような種類のことのような気がする。
家族だから、とか、夫婦だから、とか、そういうことばかりの「当たり前」ではなんだか居心地がよくないのだ。
単にまだ、リアリティがないだけ?
それともやせ我慢の見栄っ張り?

いずれにしても、死が次第に身近な主題になってきたことだけは間違いない。
生きることを精一杯楽しむより他にとりあえずはどうしたら良いのかさえわからないのだった。