100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ギリシア」編 クルージング29 サントリーニ島5

2008年03月21日 08時48分55秒 | ギリシア

 山頂にある商店街です。

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「ギリシア」編 クルージング28 サントリーニ島4

2008年03月21日 08時45分12秒 | ギリシア

 少ない平地にある小さな港に小船に乗り換えて上陸しました。つづら折の小道が見えますが、ここをロバに乗って上の町まで行くと聞いていたのですが、幸い?ケーブルカーがありそれに乗ることができました。

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「ギリシア」編 クルージング27 サントリーニ島3

2008年03月19日 08時51分44秒 | ギリシア

最接近の島です。

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「ギリシア」編 クルージング26 サントリーニ島2

2008年03月19日 08時47分45秒 | ギリシア

 もう少し船が接近した時の写真です。写真のように海岸からすぐに断崖絶壁で海岸線には殆ど平地はありません。

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「ギリシア」編 クルージング25 サントリーニ島1

2008年03月19日 08時43分43秒 | ギリシア

 最後の寄港地は火山大爆発とアトランティス伝説(注)で知られているサントリーニ島でした。(ギリシア語ではティラ島)ここの景観は私のような美的感覚のないものにも「すごい」?(語彙不足)と感嘆せしめる島でした。そこでいつもより多めにこの絶景の写真を紹介します。

 船から最初に見たサントリーニ島です。山頂に見える白いところは家屋です。

 (注)

 この火山大爆発は紀元前1540年に起き、高さ90メートルと推定される大津波が発生し、半径160キロメートル以内を水没させた。(「火山噴火と環境・文明」p43)

 紀元前5世紀のギリシアの哲学者プラトンが昔この地中海にアトランティス島があり繁栄していたが大地震により一夜にして海中に没したと、その著書で書いています。そこで古来よりこのアトランティス島の実在についていろいろ議論がなされてきました。その議論の一つにこのサントリーニ島の紀元前1450年の火山大爆発説があります。また前回紹介したようにクレタ文明の崩壊もこの火山大爆発が原因ではないかという説もあります。

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「ギリシア」編 クルージング4 クレタ島4

2008年03月17日 08時42分58秒 | ギリシア

 「牛の上のアクロバット」と名づけられた壁画です。 

 この文明が滅びたのは紀元前1450年頃とされています。その原因は2008年2月14日に紹介したミケーネの侵攻ですが、次回紹介予定のサントリーニ島の火山大爆発説もあります。 

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「ギリシア」編 クルージング23 クレタ島3

2008年03月17日 08時39分50秒 | ギリシア

 クノッソス宮殿の色彩豊かな壁画を考古学博物館で見ました。この写真は女王の間、浴室とイルカが描かれた壁画です。

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「ギリシア」編 クルージング22 クレタ島2

2008年03月15日 08時46分51秒 | ギリシア

 クレタ文明の優れていた例として写真のような下水道施設があります。

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「ギリシア」編 クルージング21 クレタ島1

2008年03月15日 08時42分44秒 | ギリシア

 次の寄港地はクレタ島でした。クレタ島にはすでに紀元前3000年頃から文明が起こり紀元前18世紀~紀元前15世紀にはクノッソス宮殿などが建てられ華麗な文明が花開きました。

 ところでヨーロッパ文明の源流はギリシア文明とされています。(特にヨーロッパ人の共通認識) 欧州共通教科書とされる「ヨーロッパの歴史」(注)では「ギリシア古典文化がローマ帝国を経て、ヨーロッパ文明の基礎になった」(日本語版 東京書籍p41)と書かれています。そして、そのギリシア文明の始原がこのクレタ文明というわけです。「ヨーロッパの歴史」では次のように書かれています。

 「クレタ島が事実上、ヨーロッパ最初の国家である。《英語版ではthe first genuine European state 最初の純粋な本物のヨーロッパ国家》クレタ島はギリシアのオリエントに対する進出のための足場」(p38)このようにヨーロッパ人のクレタ文明への思いが良く分かります。しかしどうもこれはヨーロッパ人の片思いではないかと私は思っています。まずこの文明を担った人たちは系統不明ですが、ギリシア人ではなくアジア系の人ではないかというのが最新の説のようです。とすれば「ギリシアのオリエントに対する進出」ではなく逆に「オリエントのギリシアに対する進出」の方が正確ではないでしょうか。

 この地では「線文字A」と「線文字B」という2種類の文字が発見されています。「線文字B」は2008年2月12日~14日で紹介したミケーネでも発見されており1952年に解読されギリシア語を表記する文字ということが分かりました。これに対して「線文字A」はこのクレタ島だけで発見されており「線文字B」より古くいまだ解読されていませんが東方系ではないかとされています。長くなるのでこのくらいで止めておきますが、このことからも前述の「ヨーロッパの歴史」の記述には少し無理があるようです。写真はクノッソス宮殿遺跡です。

 (注)

 ヨーロッパでは第2次世界大戦後共通の歴史認識を持つことが長く模索されてきました。最初は学校の歴史書の作成が試みられましたが、結局、15歳~16歳の生徒を主な対象とした副教材念頭に置きながらも、啓蒙書としても読むことを目指して1992年に出版されたのがこの本でした。最初はフランス語版(日本語訳はこのフランス語版から)でした。この本に対するヨーロッパ各国内部での批判もたくさんあるようですが、非ヨーロッパ人の私から見て「ヨーロッパナショナリズム」とも言うべき偏重があるような気がしています。その一例としてクレタ文明の評価があるような気がしましたので前述のようなことを紹介してみました。

 なおこの本に興味がある方は「国際歴史教科書対話」(中公新書)を参考にしてください。

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「ギリシア」編 クルージング 20 ロドス島9

2008年03月13日 08時59分26秒 | ギリシア

 リンドスの3枚目の風景です。

 このロドス島は前述のように1522年にオスマントルコ帝国の支配下になりますが、1947年ギリシアに編入されました。

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「ギリシア」編 クルージング19 ロドス島8

2008年03月13日 08時54分32秒 | ギリシア

 リンドスの風景の2枚目です。

 附録 

 2月26日に書いたmanifest destiny (明白な天命)について質問があったので少し説明しておきます。アメリカ合州国は建国以来先住民ネイティヴアメリカ人を殺戮しながら西部へ領土を拡大していきました。そのときこの西部拡大を正当化するための思想がこの神の意思manifest destiny でした。

 私はブッシュ大統領のイラク侵略もこの思想の延長線上にあるではないかと思っています。

 アメリカ合州国の小学校の家庭学習書に次のように書かれています。 “President Polk believed in the doctrine of Manifest Destiny , the idea that it was the will of God for the United State to extend from the Atlantic to the Pacific . (合州国が大西洋から太平洋に領土を拡大するのは神の意思、すなわちManifest destiny という教義をアメリカ大統領Polkは信じていました)

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「ギリシア」編 クルージング18 ロドス島 7

2008年03月13日 08時45分28秒 | ギリシア

今まで紹介したところは騎士団の館があったところでしたが、そこから南に下がったところがリンドスで風光明媚なところでした。以下3枚写真を紹介します。

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「ギリシア」編 クルージング17 ロドス島6

2008年03月11日 08時50分28秒 | ギリシア

 騎士団はここを本拠としてイスラーム勢力に聖戦を挑むというのが大義名分でしたが、実際は海賊行為をやったに過ぎないといわれています。写真はその海賊船の模型です。

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「ギリシア」編 クルージング16 ロドス島5

2008年03月11日 08時45分09秒 | ギリシア

ここにある博物館にいきました。写真は騎士の制服です。

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「ギリシア」編 クルージング15 ロドス島4

2008年03月09日 08時56分32秒 | ギリシア

 写真は騎士館跡です。

 AYAKA HAMANO さんコメントありがとうございました。冒頭の所を読んで楽しんでいただき大感激です。(またすべてに目を通していただいたようですね)実はこのことを書きたくてこのブログを書き始めたのでした。私の旅はパックツアーなので現地の人たちのホスピタリティに出会うことは稀で特に印象深いことでした。時間はかなり経過していますが(1999年)今も鮮明に思い出します。ルーマニアにはもう一度行きたい!今後ともこのブログをよろしく。

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